57話 親子ごっこ(サチ視点)
荒れ地と森に挟まれた国境付近では目印という目印がない。代わりに石垣があった。石垣がクイッと折れている場所が魔国、グリンデル、主国……三国の交わる場所である。待ち合わせ場所はここだ。サチたちは一時間ほど歩き、この待ち合わせ場所についた。
ザカリヤは、「離れていろ」と一言。
ガンッと拳を一回放っただけで、石垣を破壊した。ガラガラ崩れ落ちた範囲は十キュビット(五メートル)ほど。奴隷も輸送隊員も目が点である。こんなに簡単に壊れるなら、設置する意味がないのでは……と思いつつ、サチは通った。
国境を越えた先はグリンデルの奥深い森だ。この森はローズ領ともつながっている。
森はすっかり雪化粧を施していた。サチが魔国で過ごす間に雪が積もっていたようだ。今年は降るのが遅かった。国境を境に気候まで変わってしまうのは瘴気のせいだろうか。魔国の乾いた地面から一転、白い地面が足を冷やした。
常に曇っている魔国だとわかりにくいが、グリンデルは夕方だった。寒さに震えるエルフたちのためにザカリヤは魔術で火を起こした。雪を払った切り株に着火すると、湿っているためモクモクと黒い煙を出す。
憔悴しきった罪人どもと、不安を滲ませるエルフたちは死んだ目で焚き火を眺めた。サチは倒木に交代で座らせ、エルフを休ませることにした。彼らは両手を縛られ、腰に結わえられたロープで数珠繋ぎにされている。女子供が多いし、輸送隊員より疲弊している彼らをサチは早く解放してやりたかった。
──もう少しの辛抱だ。グリンデルの兵が着いて現場を確認してから。
アフラムには、グリンデルの衛兵隊長名義で偽造した文をすでに送っている。虫食い穴を使うから着くのに時間はかからないだろう。状況によっては隊員たちを先に引き渡してから、アフラムを捕らえてもらうのでもいい。
「しかし、ダリウス、がんばったな! 相手が雑魚とはいえ、多人数に臆さないのはえらいぞ!」
地下で飼い慣らされていた時の習慣が戻ってくる……サチはザカリヤに褒められて、嬉しくなってしまった。なんだかんだ言ってもザカリヤは特別だ。グリンデル、いやアニュラス中に知れ渡るほどの英雄。その名声はアスターやダニエル・ヴァルタンと並ぶ。凄い人に褒められて喜ばないほうがおかしい。誰にだって承認欲求はある。認められれば嬉しいのだ。少し前のサチだったら足手まといにしかならなかったのに、今はちゃんと役に立てている。
仮面に隠れていても、サチが笑んでいるのがわかったのだろう。ザカリヤは手を伸ばしてきた。サチはスッと身を引いて避ける。うっかりまた、頭をクシャクシャやられるところだった。
伸ばした手を避けられても、ザカリヤは懲りずに褒め続けた。やり合っている最中、サチの様子を観察していたようだ。
「必要に応じて体術を使うのもよし。狙う場所も合っているし、俺の攻撃の邪魔にならないよう、ちゃんと安全な場所へ移動していたな? 皆まで言わずとも、わかってくれるのは嬉しいぞ。さすがは俺の息子だ」
──は!? 息子だと!?
サチは耳を疑った。そんなことを言われたら狼狽するではないか。まさか……気づいてなかったと思うが……
ザカリヤは隊員たちから背を向けた状態で面頬を上げ、目配せしてきた。
──ああ、そういうことか
彼らの前で“ザカリヤ”と本名を呼ばせるわけにはいかないから“父上”と呼べと。おしゃべりをしなければいいだけなのだが、待っている間の沈黙が耐えられないらしい。
「父上のお手前も素晴らしかったです」
サチは乗ってやることにした。演技だからなのか、案外恥ずかしくない。普通に違和感なく“父上”と呼べた。
「あの黒い剣は前に使っていたのとは違いますね? 魔力の量も段違いだった」
「あれは魔剣だ。まあ、俺でなくては扱えぬ代物だが。くくく……詳細はあとで教えよう」
「父上には教えていただきたいことがたくさんあります」
「このヤマが終わったら、少しずつ教えてやろう。しかしダリウス、なんでも俺と同じにしようとしないことだ。模倣はもちろん大切だが、人には向き不向きがある」
「まずは剣術からですか?」
「うむ。おまえは自分で思っているより、基礎はしっかりできているだろう。応用に入って問題ないところだ。しかし、基礎的な練習の繰り返しは大事だぞ? これはすべてに言えることだ」
「勉強になります。でも、いくら努力しても空回りのような……父上のように強くなるにはどうしたらいいのでしょう?」
「それはな、ダリウス。急いてはいかんのだ。時がくれば、自然と身に付くこともある。根を詰めすぎても失敗する。努力の足りぬ者が多いなか、おまえは真面目過ぎるからな、そこが難点だ」
このごっこ遊びは結構楽しかった。ザカリヤもサチが素直なものだから、調子に乗っている。
──こうやって話してると、本当の親子みたいだな
周りからもそう見えるだろう。“もしも”など存在しないのに、もしも、母がザカリヤを捨てなかったらと考えてしまう。国を取らず、この男を取っていたら? 今頃、こうやって仲良く話していたのかもしれない。サチは本当の両親に育てられ、なんの苦労もせず無償の愛を享受できたはず……
──いいや、そんなことは有り得ない。
そんな“もしも”があったら、この世にエドアルド(クリープ)もランドルも生まれなかったし、謀反を起こしたあと、イアンは死んでいた。
──俺がここでこうしていることによって、きっと得るものはある。つらいこともあったけど、絶対に無意味ではなかったはずだ
そう思わなければ、自分で生きていることにならない。ただ、時に流され生かされているだけになってしまう。理不尽に奪い取られていくスタートでも、自身の力で切り開いていけばいい。
──だから、“もしも”なんて言葉はいらないんだ
雪の積もった森は静かだ。動物たちは穴蔵や木の虚で眠っている。新しい生命が地中で息吹いているのにもかかわらず、その気配は冷たい雪に閉ざされていた。
ときおり、湿気を含んだ雪がドサッと枝から落ちると、ドキッとしてしまう。夕暮れ時の物悲しさが倍増されるのは寒さのせいだろう。
依頼主があらかじめ連絡してくれたおかげで、たいして待たずに王城からの迎えはやってきた。
くだらない親子ごっこの途中、駆歩する馬の足音が聞こえ、サチはホッとした。親子のおしゃべりは楽しかったが、長時間歩かされたエルフたちの体力が心配だったのである。人間より気温の変動に強いとはいえ、ほとんどが女性や子供だ。だが、これから敵と対峙するのだから、安堵しても気を緩めてはいけない。
雪に和らげられる蹄鉄音は穏やかだ。日が落ちて闇となった木々の向こうからランタンの灯りがちらつく。一日のこの時、日没が遅い魔国のほうが数分だけ明るくなる。
この作戦を嫌がっていたのが嘘みたいにザカリヤは堂々としていた。甲冑に被われていてもわかる。寒かろうが、いつでも動けるよう筋肉はしなやかだろうし、美しい顔には余裕の笑みすら浮かべているのだろう。頼もしいことこのうえない。
サチはザカリヤに倣い、胸を張った。冷静を保てるのはザカリヤのおかげだ。普段はぐうたらのヒモ男というのを忘れるぐらい、ここ数日でザカリヤの評価は上がった。
だが、見覚えのある黒ずんだ甲冑が見えてきた時、サチの動悸は激しくなった。あれは、衛兵隊ではなく騎士団。こともあろうか、団長自らお出ましとは──
グリンデル王国騎士団長ゲオルグ・アッヘンベル。
短髭の嫌味な男。甲冑に揮発性の毒を塗ってグラニエを殺そうとした卑劣漢。心を落ち着けようと、サチはザカリヤのほうを見たが……
ザカリヤは小刻みに震え始めた。精気の乱れから動揺しているのがわかる。
「父上?」
「くそったれ……なんで奴なんだ……裏切り者めが……」
サチの聴力でしか聞き取れないほど、ザカリヤは小さくつぶやいた。どうやら、アッヘンベルを知っていたようだ。




