53話 親子(サチ視点)
武器庫から出たあと、サチとザカリヤは無言で荒野を歩き続けた。
少しまえに青空が見えていたのは幻だったのか。不変的な荒野が厚い雲の下、茫漠と広がっていく。こんな環境にもかかわらず、根を張ろうとする雑草の類には恐れ入るも、黒くひしゃげた抜け殻は物寂しさを倍増させる。
ガチャリ、ガチャリ、ガチャリ……
一歩進むごとに、金属のぶつかり合う音がするのはなぜか。サチは音の発信地、ザカリヤの背中を見上げた。
武器庫にて話しながら、さり気なくザカリヤは布に甲冑一式をくるんでいた。それにもう一枚の布で作った紐を通し、背負っているのだ。その姿は畳んだ翼を圧迫しているようで、少々痛々しい。
──教えてもらう時に俺が着るやつだろうか。サイズを確認していないのが気になるが……だとしたら、持たせるのは悪い気がするな。
それに、見た目とか雰囲気からして、ザカリヤに荷物を持たせるのは間違っている気がする。小者のサチが荷物を持たなければいけないのに、主に持たせているような図となってしまう。一応、世間でザカリヤは英雄と讃えられていたのだし、サチからしたら目上の人物だ。
──ジャンに荷物持ちをさせるのだって、どうかと思うのにこれは……アスターさんに荷物を持たせるようなもんだよな。
平気な顔でズンズン進むザカリヤを横目で見つつ、サチは煩悶した。まともな関係性であれば、迷わず声をかけられるのに、それができない。この男は実の父親であるが、おそろしく零落してしまい、誇りも何も失っている。尊敬に値する人物どころか蔑視の対象なのだ。
──でも、母上は俺が父に荷物を持たせているのを見たら、悲しむだろうか。こんな馬鹿男でも、好きだったに違いないだろうから
ついにその考えへと至り、サチは意を決した。
サチがピタッと止まると、ザカリヤは十歩以上進んでから振り返った。そして、こともなげにサラッと──
「ファルダード、あと少しで国境に着くからな。がんばれ」
「……は? 国境??」
どこに向かっているか、サチは聞いていなかった──国境だと!?
思ってもなかった言葉に、荷物がどうとか、どうでもよくなってしまった。
しかし、ザカリヤの居住区は国境近くとはいえ、さすがに歩いて数時間で着く距離ではなかったはず。
魔国内は時空に歪みがあり、数時間が数分に感じられたり、逆に数日過ぎてしまうことも多々ある。住人にしかわからぬ特別な移動方法があるようだ。
「あれ? 言い忘れてたか。おまえがクラウディア様のことを思い出させるもんだから……あのな、国境に向かってるんだよ、俺たちは」
「なんで?」
「国境を越えるんだよ」
「だから、なんでだ??」
「そこで野暮用がある」
「剣を教えてくれるのでは?」
「ああ、それな? 野暮用が終わってからにしような? おまえにも、ちょっと手伝ってもらう」
話がちがうじゃないかとサチは激高しそうになったが、我慢した。せっかく教える気になっているのに、また気が変わられては困る。
「野暮用って、どんな?」
「えっとな、カワウの貴族にアフラムという奴がいてな、奴隷商人なんだが……」
ここまで聞いて、物凄く嫌な予感しかしない。アフラム?……既聴感のある名前だ。サチは身構えた。
クズ父の野暮用はろくでもないに決まっている。これでも、グリンデル国内で英雄としての人気は衰えていないのだから、なんとも言えぬ気持ちになる。かつての英雄が賊と変わらぬというのは悲しいことだ。
「そいつを殺せと……」
「手伝わない」
サチは即答した。カワウの貴族を襲う──どこかで聞いたことのあるような内容だ。このクズ父は裏稼業の仕事を息子に手伝わせようとしている。
「アフラムはグリンデルの国境を許可なしに侵して、奴隷を大量に輸送している。通常、規模の大きい商業活動を行う場合は届け出が必要だろう。アフラムはセコい奴だから、領主に銅貨一枚も払いたくないのさ」
「だから、俺は手伝わないって……」
「アフラムを殺してほしいと依頼してきたのは、グリンデルの貴族でな、以前から領土を侵されるのが我慢ならなかったらしい。元は国の管轄だった国境近くの領地を、戦果報奨として与えられたそうなのだが。国境の警備に経費はかさむし、踏んだり蹴ったりみたいで……くくく。かわいそうに」
ザカリヤはサチの言葉をまったく聞こうとしない。はっきり嫌だと言っているのに。こういうところはアスターと同じだ。
「以前はアフラムの奴、主国の虫食い穴を使って移動していたようだな。国王がシーマに代わってから取り締まりが厳しくなっただろう? それで、グリンデル国内を通るようになった。一度に数十人移動するのに、どうして捕まえられないか……」
「国境近くに虫食い穴があるとか?」
「そうだ! それ! どうやら、わかりにくい場所に虫食い穴があるらしい。それを使って移動してるらしいんだよ。依頼主も捜索しているそうなんだが、これがなかなか見つからない。グリンデルとカワウを結ぶ虫食い穴は稀少だからな。今回の依頼はそれを調べるのも含まれる」
なるほど。主国外に虫食い穴は少ない。見つかれば貴重な交通機関として役立てられるだろう。領主としてはおいしい話だ。
それはさておき、どのように断ろうかと、サチは思案した。犯罪行為を拒絶したら、剣を教えてもらえなくなる。だが、手を汚したくはない。これまでずっと守り続けていた矜持を捨てることになる。
──なんとか、うまい方向へ持っていく方法はないものか
子の心、親知らず。サチの思惑など露知らず、ザカリヤは話を進めていく。
「依頼内容は今言ったとおり、アフラムの殺害と虫食い穴の調査。アフラムは妖精族のなかでも最高峰の美しさを誇るエルフをさらって、奴隷にするようなゲス野郎だ。殺されて当然だから、罪悪感など抱かなくてよい」
「ザカリヤ、あんたは俺に人殺しをさせるつもりなのか?」
サチは感情を抑え込み、ただまっすぐにザカリヤを見つめた。
単に見るだけ。それだけで、やましい人間はサチを嫌悪する。養父も学院時代の同級生たちもそう。サチは自分が誰よりも清廉なのだとわかっていた。
うしろめたさがあったのだろう。ザカリヤはサチから目をそらした。しかし、フッと一息吐き、言を発した時にはサチの目を見返してきた。
「ファルダード、おまえの手を汚させはしないさ。クラウディア様が悲しむからな。俺が戦っている間、おまえは奴隷たちを解放してほしいんだ。アフラムを殺したあと、奴隷たちはどうなるかわからない。グリンデルは国全体がヘリオーティスのようなもんだから……そのまま、奴隷として売られるならまだいいほう。下手すりゃ殺処分だ」
ふむ、そういうことか──とサチは思った。それなら協力できぬこともないが……
「一つ、確認したい点がある。依頼主の本来の目的は、アフラムの悪行を暴くことじゃないのか? 殺してしまったら、それまでのことが有耶無耶になる」
「しかし、依頼は“殺し”だ……いや、できれば生け捕りにして連れてこいと言われてるが、そんなの面倒だろう」
「要は証拠を押さえればいいんだよ。有無を言わせぬ証拠を突きつけ、従わせる」
「そんなことできるのだろうか……」
「第三者、公的な機関に介入させる。そうすれば、アフラムもごまかせない」
「公的な機関だと!? まさか……」
「そうだ。グリンデル王家に介入させる」
ザカリヤはしばし黙った。何を考えているか、サチにはだいたいわかる。余計なことは言わず、思考させるのに任せた。
水分を失った草が風に吹かれ、あちこちで乾いた悲鳴をあげる。音も色もない無味乾燥な世界。
ガチャリ……ガチャリ……
甲冑のこすれる音が始まると、サチは自然に声をかけることができた。
「荷物、持つよ」と。




