51話 出会い(サチ視点)
サチは新しい家族と王都で暮らすこととなった。
サチの父親と思われるエリク・スターノは田舎から出てきた若者や失業者に職を斡旋する口入屋として、スイマーの下町で働いていた。四階建ての一階が事務所で三階がサチの新しい住居だ。
親子の対面はちっとも感動的ではなかった。エリクはサチの顔を見ると、あからさまにガッカリした。サチは母親のマリィと全然似ていなかったのである。父親であるエリクにも似ていない。
エリクは大きな鷲鼻と分厚い唇、垂れ目の馬面で栗色の髪。一方、サチは低く小さな鼻に唇も薄く、丸い輪郭、黒髪、特徴的な黒目がちの奥目をしている。共通点のないサチをエリクが、
「おまえは俺の子じゃない」
と、はっきり言い切ったのも当然だった。エリクはすぐにでもサチを追い出したいようだったが、サチも必死だった。サチは酒乱で女たらしの父親に気に入られるため、最大限の努力をした。
毎日、食事を作り、掃除をし、洗濯をし、労働する生活が始まる。朝早く起きて家事をし、昼間は学校、帰ってきてからは口入屋で事務を手伝う。夜は遅くまで勉強。
役に立つので追い出すのはやめたものの、エリクがサチに親としての愛情を持つことはなかった。
九歳から通っていた王都内の学校へは祖父が授業料を前納してくれたから、卒業するまで通い続けることができた。問題はその先だ。
幸い、成績優秀なサチは教師に気に入られていた。メラク神父に卒業後の進路を相談したところ、学術士学校へ国策特待生として推薦してもらえることになったのである。
それがどうして、王立学院になってしまったのか?
王立学院は、クロノス国王が貴族の子女を通わせるために設立した試験的な施設である。家庭内に教育環境を作れる貴族は、これまで学校教育を受ける必要がなかった。
民へ教育を施す試み……と言えば聞こえはいい。本来の目的は思想統制だ。全国民の学校教育を推進するにあたり、まず王立学院が創立されたのだった。
この学院は国王自らが運営に関わっており、かなり格式の高い貴族の子女でないと通えなかった。家柄の水準が落ちる場合、コネなしで入学させるのは難しい。だから、サチに入学許可が下りたのは不自然だった。なぜか学術士学校を断られ、そちらのほうへ行くようにと指示されたのである。推薦してくれたメラク神父に聞いてもわからないし、埒が明かなかった。何はともあれ、就職するより進学したほうが学匠になる夢へ近づける。不本意ながらも、サチは通わざるを得なかった。
学力が高かったので、サチは二年飛び級した。一応指定の制服があったので、衣服は問題ない。立ち居振る舞いや言葉遣いは幼少期に教育されている。貴族のなかで通用するかは、リンドバーグの城で過ごした時に立証済だ。入学早々、平民ということがバレたのは見た目のせいではなかった。
おそらく、教職員で父兄に漏らした人がいて、それが子供に広がったのかと思われる。言うまでもなく、教職員も貴族だ。
サチもコソコソ隠したくなかったので、聞かれれば正直に答えた。馬鹿にされようが、気にせず堂々としていたところ、生意気だと言われるようになった。最初は無視、軽くからかわれる程度だ。サチは痛くもかゆくもなかった。愚かしい態度を取る人間に、もとより興味もない。しかし、平然としていたことで火に油を注いだようだ。イジメはエスカレートしていった。次第に物を隠されたり、取られたりするようになる。これには困ってしまった。それで、学院内の教会に助けを求めたのである。
サチの相談を受けた神父は、問題の生徒を呼び出し叱責した。その結果、サチは大勢から殴る蹴るの暴行を受けることとなった。
ユゼフと出会ったのは、その時だった。
ユゼフが入学したのは、ディアナを見守るためだとサチは聞いていた。当時、ディアナ王女は十三歳、ユゼフは十六歳。王立学院は十二才から十八才までの通学が可能で、途中から入学するケースも少なくない。
王族のディアナが通学するのはかなり異例だった。ローズ系の継母ミリアムとの確執が原因では……との噂もあったが、真相は不明だ。
ユゼフは、校内での彼女の評判や交友関係を知りうる限り報告しなければならなかった。要は監視役である。
月一度、王城に仕える侍従長のもとへ出向き、「王女様はお元気ですか?」「楽しそうに通われていますか?」「なにか王女様の周りで変わったことはありませんか?」などの簡単な質問に答えていたそうだ。
学年も性別も違うため、そばに近づくことすらできない。サチから見ても、無意味な役目に思えた。女性のお目付け役は友人のような関係だから、侍従長は別の視点がほしかったのかもしれない。
私生児のユゼフも居づらいのはサチと同じだった。親しくなったのは自然の流れだったのだろう。サチと違うのは、シーマのようなボスキャラに気に入られて、うまくやっていたところか。シーマやイアンは、いつも家来をぞろぞろ連れ歩いていた。
夏休み明けの放課後ということもあって、校内には人があまり残っていなかった。
校庭で暴行されるサチは「死」を覚悟していた。提出するはずの課題を盗まれたのだ。抗議して当然である。しかし、その抗議は暴力という形で返された。誰も助けてくれない。
──入学するんじゃなかった。ここには貴族しかいないから、俺の味方はいないんだ。教師もみんな、見て見ぬふりをしている。死んだところで、事故として片付けられるのだろう
暴漢に襲われ、なすすべを持たぬ今と同じくサチは絶望に支配された。意識は混濁し、だんだんと痛みの感覚まで薄れていく。もう駄目かと思った時、どこからともなく音楽が聞こえてきた。
ヴァイオリンだ。誰かがヴァイオリンを奏でている。耳を介さず、脳に直接響いているかのような不思議な音色だった。天から下りてきたその音はサチを優しく慰撫した。
──生きろと言っているのか? 俺に?
そんな気がした。そう思ったとたん、体は動かないのに意識がハッキリしてきた。全身、殴打されて痛い。それでも、サチは絶望から這い上がった。
刺激的な痛みが収まったかと思ったら、今度は生温かい液体をかけられた。いじめっ子たちが、動かなくなったサチに小便をかけているのだ。潔癖なサチには耐え難い仕打ちだった。サチは甲羅の中の亀のように息をひそめ、嵐が過ぎ去るのを待った。
やがて、反応しなくなったサチが死んだと思ったいじめっ子たちは、恐れと罪悪感から逃げた。ヴァイオリンの音色も消えている。それが本当に天から下りてきたのか確かめたくて、サチは起き上がった。
どんより垂れ下がった雲がサチを見下ろしていた。
──もう一度、音を響かせてくれ。俺は生きていてもいいのか?
サチは手を伸ばして空に問いかけた。空は答えてはくれない。さっきのあの美しい音色は幻聴だったのかもしれなかった。だが、指の先にあった雲がサァッと動いた。
隠されていた太陽は、これでもかと自己主張する。眩さにサチは涙をにじませた。目をそらさなかったのは、自分を照らす光がとても心地よかったからだ。
──わかった。これが答えだ。俺は生きていてもいいんだ
サチは自然と微笑んだ。空が答えてくれたのだから、きっとそうなのだ。身体がジワジワと温かくなってきて、痛みや小便の臭いなどどうでもよくなってきた。一日休んだら、また学校へ行こう。殴られても起き上がればいい。まだ、殺されてないのだから望みはある。
ふと、気配を感じて振り返ると、校舎からやってくる影が見えた。背は高く痩身。短い黒髪。仕立ての良いダブレットを上品に着こなしている。制服はあってないようなもので、学院の生徒は私服が多かった。私服姿の彼をサチは敵だと思った。スタンダードな貴公子が何用かと身構える。
思ったとおり、近くまで来た彼はサチに視線を当てられると目を泳がせた。これは珍しいことではない。まっすぐに視線を当てると、後ろ暗い人間は目をそらす。
いかにも良家の子息っぽい風貌。綺麗な顔立ちだ。暗い目元に通った鼻筋。特徴といえば、右目尻に泣きぼくろがある。それと、整っているのに尖ったところがない。
──貴族様が冷やかしにきたか? あいにく俺はゴキブリなんで、しぶといんだよ
サチは自分でも気づかぬうちに、ひねくれた思考をしていた。だから、うつむき加減だった彼が急に顔を上げ、
「立てる? 医務室に連れて行くよ」
と、声をかけてきたので驚いてしまった。彼はサチを助けるためにやってきたのだ。
これがユゼフとの出会いだった。
彼に高ぶったところがないのは、私生児という出自も関係していた。ユゼフの実家とサチの家は割と近く、打ち解けるまでに時間はかからなかった。
また、その日を境にイアンが絡んでくるようになり、サチはいじめられなくなった。イアンがいじめっ子たちを牽制したのだ。暴行を受けるサチを見て、「死にそうになっても、ひざまずかないとは、なんてタフな奴なんだ」と見直したそうな。
あの時のヴァイオリンの音色はなんだったのか。あれはイアンが奏でていたのである。




