27話 イアンの日常(イアン視点)
(イアン)
食後、さっさと後片付けをしてイザベラとクリープは出て行ってしまった。
イアンはまた一人。これが、つらいのである。いくら怒られても、うんともすんとも答えが返ってこなくても、一人よりはマシだ。イアンは長時間の孤独に耐えねばならなかった。
──そうだ、パン焼き窯!
本当はこの偉業を誉めてもらいたくて仕様がなかった。イザベラの機嫌が悪すぎたために言い出せなかったのである。
もともとあったパン焼き窯は黒曜石の城と消えてしまったのだろう。村には置かれてなかった。パン焼き窯さえあれば、地下室に残っていた麦を使ってパンが焼ける。イアンは昨日から、このパン焼き窯作りに執心しているのだった。
地下から上がってすぐの所にそれはある。イザベラたちは出る時に気づいただろうか。布を掛けてあるから、何か作っていることに気づいても、それが何であるかまでは、わからないかもしれない
イアンが道具を持って上がってくると、草むらの中で気配を消していた“彼”が姿を現した。
「ギ……ギギギ……」
ずんぐりむっくり、緑色の肌をした小人。名前はラキという。パン焼き窯は彼の指導のもと、製作したのだ。イアンは廃村を捜索中にラキと出会った。襲ったりしてこないし、友好的な異形だ。
「ギ……グギグギャ、ゴングリガギィ」
ただし、何を言っているかさっぱりわからない。イアンは知りうる限りの魔族語と身振り手振りで、なんとか会話するのだった。
パン焼き釜については、地面に絵を描いて説明した。するとラキはうなずき、材料の煉瓦や土台となる加工した石まで持ってきてくれたのである。
「あとは雨除けの屋根を設置して終わりだ。ラキ、ありがとうな!」
「グギギ……」
「仕上がった暁には、何かお礼をしたいんだけど、俺にできることはあるだろうか? あげられるような物は何も持っていないし……」
「グギャグギャ」
ラキは皺だらけの顔でうしろを指差し、訴えている。何を言わんとしているか、イアンは想像力を働かせるしかなかった。
「向こう?……もしかして、向こうにラキの村がある??」
ウンウンとラキはうなずく。正解だ。どうやら、ラキはイアンに自分の村へ来てほしいようなのだ。
「困ったなぁ。行きたいのはやまやまなんだけど、結界が張られていて俺だけ外に出れないんだよ」
イアンが頭を振ると、ラキはがっくりと肩を落とした。
何はともあれ、板を重ね合わせ、釘を打つだけなので雨除けはすぐできた。イアンは上機嫌で釜をうしろから横から、離れた所から眺めて出来映えを確認する。
「うーん……我ながら素晴らしい! 試しに何か焼いてみたいな! またアルミラージがやってこないだろうか……そうだ! 祝いに一杯やろう! ラキ、ここでちょっと待っててくれ」
イアンは地下室に残っていたワインをラキに振る舞おうと思った。地下室に下りようと振り向くと……
「クリープ!?」
ロープを吊してある穴の前にクリープが立っていた。無表情、無気配は相変わらずだ。
「ググギギギ……」
クリープに気づいたラキはスッと景色に溶け込み、透明になってしまった。
「クリープ……おまえ、出かけたはずじゃ」
「出かけるふりをして、戻ったのです。妙な気配を今朝から感じていたので、不審に思いまして……妖精族、ゴブリンの一種でしょうか」
「ああ、あいつはラキ。何日かまえ、出会って友達になったんだ。おまえが現れたら消えてしまったぞ? なんでだ?」
「妖精族の亜種の一つで、用心深く臆病なのですよ。基本的に自分たちと違う種族とは関わらないです。特に人間を嫌悪していて、絶対に近づいてきません」
「へ? そうなのか? 俺には全然そんなことなかったぞ?」
「イアンさんは人間じゃなくて、魔人です。それに同じ妖精族のエルフの血も入っているし……でも、それだけじゃないかもしれません。小人の妖精族の亜種は何種もあるようですが、同種以外は見ることすら叶わない種族なのですよ。あんなふうに仲良く話すなど……」
クリープはブツブツ言っていたが、イアンはほとんど聞いてなかった。できたてのパン焼き窯を見てほしかったのである。
「それより見ろよ、これ! 少しは手伝ってもらったけど全部俺が作ったんだぞ! これでパンが焼ける!」
「しかし、残っている麦を石臼で挽いて小麦粉を作っても、たいした量になりませんよ。数回焼いて終わりかと。少人数ですから、手間を考えると今まで通りパンを買ったほうがいいのでは……」
クリープは平気で水を差す。高揚感が勝るイアンはキレたりしなかった。
「バカだなぁ、おまえは! ロマンだよ、ロマン! ここにパン焼き釜があるという! 見て見ろよ! 想像するんだ、ここにパンや肉を入れた時、どうなるか!」
「煙が出ます」
「そう、モクモク煙が上がる……で、何かがここ一杯に広がるんだ! それが、なんだかわかるか?」
「……わかりません」
「香りだよ、とってもいい香りだ。それだけじゃない、優しさや笑顔、ワクワクも一緒にやってくる」
クリープには理解できないのだろう。文明の利器に初めて触れた猿のごとく、パン焼き釜を調べている。釜の内部がどうなっているか、のぞき込んでみたり、煉瓦の接着がちゃんとされているか、土台、雨除けのネジの所……
「素人目なので詳しいことはわかりかねますが、とても丁寧に作られていると思います」
クリープの言葉にイアンは満足した。これはクリープにしては最上級の褒め言葉だ。
「だろ!? わかるか?? パンが焼けて、皆が幸せいっぱいになるところを想像しながら作ったんだ。だから、出っ張りがないか確認してヤスリもかけるし、モルタルも丁寧に塗ってるだろう?」
クリープは素直にうなずいている。それで充分。イアンは気分良くなり、ラキと一緒に書いた設計図まで腰袋から出した。
「見ろ。作るまえにこうやって設計するんだ。この丸みを出すためにどんだけ俺が苦労したか……」
クリープがおとなしく聞いているものだから、どんどん気分がのってくる。イアンは自慢を続けた。
「まあ、俺は剣の天才で超高身長のイケメン様なんだが、身軽で曲芸っぽいこともできるし、教会で働いていたこともあるから聖職者も向いてるな? ヴァイオリンとピアノも弾けるし。これだけでも多才だろう? そのうえ、料理も作れるし、パン焼き釜も作れるなんて、神が二物を与えぬというのは嘘だな。本当にすごい、俺……すごい」
相手がイザベラだったら「うるさい」と一蹴されるところ、クリープは聞いてくれるからいい。無表情無反応にも慣れた。イアンは顔の描かれた壁を相手にしているつもりで、延々とおしゃべりした。
「あの……イアンさん……」
しかし、今日は珍しくクリープが口を挟んだ。いつもしゃべらない壁がしゃべったので、イアンはドキッとする。
「僕が戻ってきたのには、もう一つ理由があります。じつはイアンさんにお願いがあるのです」
「お願い? 俺に??」
「はい。剣を教えていただきたいのです」
驚いたイアンはすぐに反応できなかった。顔の描かれた壁と剣のレッスンがイアンの脳では結びつかない。クリープは構わず続ける。
「以前、アスター殿の指導を受けた時、短期間で劇的に向上しました。僕の場合、素人ですから、どなたかの師事を受けて成長できたらと思いまして……イツマデぐらいは倒せるようにならないと、このさき厳しいかもしれません。サチの捜索は長丁場になるでしょう。少しずつ情報収集しながら、修練したいのです」
「んと……素養があれば、短期間でも劇的に上達することはある……一つ聞いておきたいんだが、クリープは異様に素早い時とそうでない時があるな?」
「それは魔力を読んでいるからです。だから、魔力の弱い人間と対峙する時は思うように戦えません」
「なるほど……ちょっと確認してもいいか?」
イアンはクリープに身体を曲げさせたり、直に触って筋肉の動きを確認した。こういう時のイアンは極めて真面目になる。冷徹に注意深く点検する。一通り、クリープの身体を調べた後、
「うん。申し出、受けて立とう。クリープ、俺がおまえに教える」
八重歯をなめ、いつものイアンに戻った。




