14話 アスター邸にて(ユゼフ視点)
アスターの屋敷は王都にある。騎士団本部からは歩いても行ける距離だ。馬だと一時間かからなかった。
屋敷に着くなり、アスターは着替えると言って部屋へ引っ込んでしまった。ユゼフは汚れた上衣を脱ぎ、暖かな居間で待つ。出迎えてくれたカミーユ夫人の腕の中には可愛らしいヴェルナーがいた。
「突然の訪問、申し訳ない。気遣いは不要ですので」
「どうか、かしこまらないで。あなたは家族よ。自分の家だと思ってくつろいで」
優しいカミーユ夫人にユゼフは壁を作る。
一人掛け、二人掛け、三人掛け、それぞれ違う色のソファーとスツールが鎮座する居間だ。明るいカーテンがふんわり窓を覆う。家具の一つ一つがよく手入れされており、愛情を感じる。好きな物を集めただけと思われるのに、なぜかうまく調和していた。
オレンジ色のウールのソファーに沈み込めば、居心地良すぎてそのまま眠ってしまいそうになる。生姜のたっぷり入ったハーブティーには鎮静作用がある。甘いのが嫌いなユゼフは蜂蜜を入れない。そのどれもにモーヴの影がチラつくものだから、ユゼフはこの場所が嫌いだった。
最愛の妻を失った痛みは継続している。起きていても寝ていても、無情にユゼフを責め続けていた。ディアナにうつつを抜かしている間は忘れていられたのに。
「ユゼフ、ありがとう。ダーラが無事帰ってきてくれた。あなたが手を回してくれたんでしょう?」
「いえ。俺はなにもしてませんよ」
「わかっているわ。リゲルが絡んでいるんだもの。イアンが戻ってこないところをみると、なにかあったんだろうけど」
正直、リゲルの話は出してほしくなかった。賢い夫人はすべて見抜いている。
「死んだ者に操を立てる必要はないし、あなたは堂々と恋をしてもいいのよ。負い目を感じなくてもいい」
ユゼフのためを思って言う言葉が、膿んだ傷口をえぐってくる。無条件に受け入れられることがつらいのに、なぜ彼女にはわからないのだろう。
モーヴの面影が見え隠れするその笑顔が憎たらしかった。カミーユ夫人の存在自体、ユゼフにはつらいのだ。そして、聖女のようなこの人は、決して心を開かないユゼフに寂しそうな顔を見せたりもする。
外はカリカリ、中はふんわりのゴーフルやタルトにプディングがのったフラン※をテーブルに出されても心躍らない。格子模様のゴーフルで連想するのはローズの主殿を守る空濠である。そして、フランはモーヴの大好物だ。しかし、陰気な気分は新しい情報によって緩和された。
「じつはここだけの話、ユマは見つかっているの」
「えっ!?」
「アスターには言わないでちょうだいね。赤ちゃんが産まれるまで隠しておくつもり。あの人にはいい薬になるわ」
家出した次女、ユマはダーラの子を身ごもっている。
「たまたま入り込んだ、とある未亡人のお屋敷でお世話になっているの。アンジェには本当に頭が上がらないわ。純粋なご厚意からユマを受け入れてくださった」
アンジェとは? ユゼフはしきりに記憶を手繰らせたが、思い当たらなかった。
「ユマは学匠になるための勉強をしているそうなの。アスターとは縁を切って、学で身を立てたいと」
「カミーユはそれでいいのですか? ユマが帰ってこなくても?」
「ええ。それがあの子の幸せならね。アスターとの関係を修復するのは、時間かかるでしょうが。それでも構わないと思っている。少しずつ歩み寄れれば……」
ユゼフは視線を宙に泳がせた。自由に生きることを選んだユマのことは応援したい。かつてのユゼフも家というしがらみに囚われていたから、気持ちはよくわかる。
ユゼフはヴァルタンの家族を憎んではいなかった。躾に厳しい義母は葛藤しつつ、苦しみながらも育ててくれたし、厳格な父や兄たちもユゼフにさして興味を持っていなかったが、邪険にはされなかった。
彼らから見てユゼフは非常に出来の悪い落ちこぼれであるにもかかわらず、受け入れてくれたのだ。使い道は皆無ではないと。ユゼフは確かにヴァルタン家の三男坊であった。
家族というよりか、家という制度に縛られていた側面が大きい。ユゼフは役立たずなりに家のため、貢献する必要があった。
ユマも同じ。結婚相手は家のために選ばれる。家という共同体にて、個人の意志は無視される。そこからようやく彼女は自由になれた。
アスター家とヴァルタン家の違いは愛情の有無である。アスターは表面上は傲慢ぶっていても、ユマのことを案じていた。ディオンやモーヴの死からも、まだ立ち直れずにいる。遊びに興じたり、仕事に邁進するのがその証拠だ。
「アスターのことなら大丈夫。この子がいるんですもの」
カミーユ夫人は微笑んで、腕の中で眠り始めたヴェルナーを見せた。愛らしい赤ん坊は口をもぞもぞ動かしている。ギュッと握られた小さな手が可愛らしい。目の縁についた涙の跡が白く乾いていた。
ああ、そうか。ヴェルナーのお陰でアスターさんはかろうじて繋ぎ止められているのだな──ユゼフは解した。闇へ落ちず、ギリギリのところでカミーユ夫人とヴェルナーに助けられているのだ。モーヴを失ったユゼフにはそのような存在がなかった。
赤ん坊に見とれている間にアスターの着替えは終わった。
襟と袖周りに凝ったレースが使われているダブレットは、いかにもアスターらしい。留め具にさり気なく使われる宝石もそうだが、華美になり過ぎないよう巧みに装飾されている。こういったお洒落は貴族の嗜みであると同時に見栄でもあった。
イアンや先ほど対戦したグラニエもそう。彼らは強さだけでなく見栄に異様なほどこだわる。騎乗技術、剣技、完璧な立ち居振る舞いと同じく服装もステイタスの一つ。
上っ面の風采にばかりこだわる彼らがユゼフは嫌いだった。どうして、徹底的に格好つけようとするのか。格好つけがいわば、彼らの生きる意味といっても過言ではなかった。
彼らは死ぬ間際まで絵になるような、詩になるような自分を思い描いている。戦いのまえに化粧を施したりするのもそう。装飾品に金をかけるのも。気障なセリフや所作も──まったく彼らの生き様には反吐が出る。
アスターは居間から出て行こうとするカミーユ夫人を抱き寄せ、キスをした。甘い顔を見せるのはその一瞬だけ。愛妻と赤ん坊が去ったあとは、いつものふてぶてしい顔に戻る。ユゼフは気を引き締めた。
──さあ、なにから話すか。どこをどう切り取っても、暗い話ばかりだが。
死んだ彼の元部下の話? 裏切り者の末路? 三百年前から繰り返される王たちの戦いの話? 王の後継者が魔人という事実? 眠り続ける王の秘密? 哀れな王の精気を吸い取る魔人の話?
「どうせ、イアンがまたやらかしたんだろう?」
アスターのほうから口火を切った。
「イアンがわがままを言ったか、勝手な行動をとるかして、皆の足を引っ張った。普通にしてたら、逃げおおせたところを現れた魔人にさらわれたと。ローズと魔国の国境近くでウダウダやっていたんだろう。魔人はグリンデル王家と契約している魔族だろうな。安否は不明と」
全部、当たっている。アスターが優れているのか、イアンが絡んでいるからなのか。
「イアンの馬鹿め。頼んだことを何一つできないんだから。ダーラを連れ帰ったのもリゲルだろ? あいつのことだから、剣の打ち直しのことも忘れているに違いない。ラヴァーは職人に預けっぱなしになっているから、あとで引き取りに行かせないと……」
やはり後者……イアンのこととなると、アスターは渋い顔になる。またか……と。しかし、今回は深刻だ。
ユゼフは腹を決めた。そうだ、まずこの話をしなくては。魔人にさらわれた友の話を。真の英雄、真の王の生まれ変わり。清廉なサチ・ジーンニアの話を──
※ゴーフル……ワッフル
※フラン……エッグタルト




