49─2話 メラク神父(サチ視点の)
乳香の香りが、少しだけサチの気持ちを落ち着かせる。
メラク神父は祭壇の前で手を合わせ、祈りを捧げている最中だった。
扉の閉まる音を聞いて振り返った顔は、数年前と変わらない。神父の視線は、背中でぐったりするマリィへと移った。
「サチ!? どうしたのだ??」
「説明している暇はありません」
外ではもう四秒数え終わった。奥まで走り、サチはベンチの上にマリィを寝かせた。
「賊に追われています! 俺が時間稼ぎするのでマリィを隠すか、連れて逃げてください!」
それだけ早口で伝え、サチは入口へ戻った。そして数日前まで、ただの飾りだった剣を抜いた。
「どういうことだ!? わけがわからん。マリィはケガしてるじゃないか? 動かしていいのか? 手当ては?」
神父は困惑している。とりあえずケガの確認をするため、マリィをうつ伏せにさせた。
「きゅーう」
「じゅーう」
サチは木が歪んでできた隙間へ、剣を素早く差し入れた。
「ぎゃっ!!」
手応えを感じる。剣を差し入れたのは、ちょうどイボの男が立っていた辺りだ。致命傷でなくとも、深手を追わせることはできたかもしれない。
直後、荒々しく扉が放たれ、男たちが入ってきた。一瞬見えた外にイボの男が倒れている。
「テメェ!! ぶっ殺してやる!!」
まず、斬りかかってきたのは傷の男だ。耳障りな金属音が清廉な空気を切り裂いた。
サチが剣を受けたその時、
「ここは教会だ! 血を流すことは許さない!」
メラク神父が叱咤した。サチでも怯む迫力である。信仰心を持つ者なら誰しも恐れるだろう。しかし、相手はならず者だった。
男たちは一時止まっただけで、すぐにまた戦いを再開させた。
傷の男の剣をなんとか受けても、後ろから牛角兜の男が斬りつけてくる。サチは本能的に刃を振り回すしかなかった。貴族のように、幼いころから武術の教育を受けているわけではない。まともに戦えるはずがないのだ。
鎖帷子を着ていたので、斬りつけられても傷は負わなかったが、一人でも倒せないのに相手は二人。殺られるのは時間の問題と思われた。
サチの実戦経験は王城に攻め入った一回きりである。初めて人を殺したのは、思い出したくもない記憶だ。今は殺らねば殺られる。
「着込みか」
つぶやき、牛角男は重量のある剣を背中に叩きつけてきた。衝撃と打撃による痛みでサチが体勢を崩すと、前にいた傷の男の剣が左肩を貫いた。
一箇所でも激痛は全身に走る。サチは片膝をついた。が、まだあきらめていない。
「先生! マリィを連れて早く逃げて!」
切願し、剣を握りしめる。自分の左肩から刃を抜こうとする傷の男に向かって、剣を突き出した。
しかし、難なく避けられ、傷男の刃は再度サチを貫いた。今度は胸だ。すかさず、背後の牛角男がサチを刺す。さっきの打撃で着込みは破壊されていた。
痛みよりまえに、サチのなかで時が止まった。正面と背面、両面から胸を刺されている。
男たちがほぼ同時に刺した剣を抜いたとたん、血が勢いよく吹き出した。あえなく、サチは床に突っ伏し、力を失った身体は弛緩した。
また、時は動き出す。
肺をやられたのか、呼吸が苦しい。心臓は逃げたのか、まだ無事だ。この出血量なら大動脈は切られていまい。
こんな状況であっても、サチは自らの傷を冷静に分析した。
──まだ……死なない。死ねない。俺はやれる……
そう思っても、身体は軟体動物のごとく緩慢になり、指先一つ動かせやしなかった。
「おい! まだ、こいつ生きてる」
「とどめをさすか?」
「待て!」
剣を振り上げた牛角兜を傷の男が制した。傷の男は刃先をサチの顎に当てて、顔を上げさせる。
「見てみろ。こいつの目を? これは惨めに殺される負け犬の目じゃねぇ」
「ほんとだ。ムカつく目をしてやがる。目ん玉をえぐり取ってやろうか?」
「いや、もっといいやり方があるぜ? こいつには兄貴を殺られたんだ。楽には死なせねぇ」
兄貴というのは扉の向こうで倒れていたイボの男のことか。扉一枚隔てた所から差し入れた刃が、偶然にも兄貴分の命を断ったというのか。今の状況下では、そのまぐれがマイナスに働いたとしか思えない。
傷の男はいやらしい笑みを浮かべ、背後のメラク神父とマリィを見た。
「かわいい娘じゃねぇか? しかも、ちょうど食べ頃だ」
メラク神父は両手を広げてマリィをかばった。
「この子に手出しすることは私が許さない。大ケガをしているのだ。乱暴なことをすれば、死んでしまう」
傷の男は一寸躊躇するも、ズカズカと前へ進み、剣先を神父の胸元に突きつけた。
「この娘がケガをしたのは俺らの責任じゃねぇ! ケガのせいで死んでも、俺らの落ち度にはならねぇ!」
メラク神父は野蛮な男たちより背が高い。神聖な礼拝堂で立つ姿には、言いようのない威圧感があった。
今にも神父を斬り殺さんとする傷顔の肩に、牛角兜が手を置く。
「神父を殺しては寝覚めが悪い」
「そう言われればそうだ」
傷の男は剣を鞘に納め、拳を振り上げて神父を殴った。神父は一発で床に倒れ込む。倒れた神父を今度は二人がかりで、殴る、蹴る──動かなくなるまで暴行した。
「これくらいでいいだろう」
傷の男は動かなくなった神父に背を向け、牛角の男と共に意識のないマリィを持ち上げた。それから、サチのいる入口付近へと運んだ。
「今からテメェのかわいい妹をめちゃくちゃに犯してやる。動けねぇテメェの目の前でな?」
傷の男はサチの表情が変わるのを確認し、満足そうに笑った。
「やめろ」
サチはかすれ声で言ってから、もう一度、口を動かした。声が出ない。もがけばもがくほど、この野蛮人たちを喜ばせるだけだった。
「そうだ、負け犬らしい目になってきた。妹が弄ばれるのを死にながら、その目で見るんだな」
傷の男は言うなり、マリィを抱き起こし、ワンピースを首元からダガーで切り裂いた。
ヒュッと息が止まるかとサチは思った。
こぼれる白い肌……まばゆさが目を刺す。マリィはまだ男を知らない。幼い乳房を見ると、男たちは歓声を上げた。
サチは必死でマリィの所へ行こうと手足を動かしたが、血で滑り、指先ほども前進できなかった。
そこで悟った。今いるのは、自らの血でできた血だまりの中だと。
──マリィが何をしたっていうんだ。小さな子を爆発から守って大ケガをした。あの子はいつだってそうだ。誰に対しても思いやり、手を差し伸べる。マリィのような子が酷い目に合うのなら、神などいない。俺は神を信じない
サチの視界は真っ暗になる。
──これで終わりなのか……
物心ついてから今までの出来事が、絵巻物語のように脳内を駆け巡った。




