10話 一騎打ち③(ユゼフ視点)
戦闘前、ダレていた空気はキュッと引き締まる。以前のユゼフだったら、緊迫する空気に圧倒されてしまっただろう。気持ちが高揚してくるのは、ユゼフの中のエゼキエルが目覚め始めているせいかもしれない。
「にゃ、にゃううううー! にゃおおおおおおんっ!!!」
試合開始の合図はアキラ。愛らしい黒猫はアスターの腕の中、黒い目をキラキラさせて叫んだ。
──すまんな、アキラ。おまえの兄貴には勝たせてもらう。好きな人のためだ。悪く思うな
戦いはいつも唐突に始まる。ぼんやりしていたら、終わってしまうのは人生と同じだ。先に駆け出したのはカオルだった。
ユゼフの目は動き出した獲物を捉える。次の瞬間、一心同体の葦毛が地面を蹴った。主の力を信じる葦毛は怖いもの知らずだ。たとえ前にいるのが悪魔だろうが、突っ込んでいくだろう。
風を起こす。強い風を──葦毛が飛んだ!! ユゼフは戦斧をギュッと握りしめる。すれ違う一瞬、手に持った戦斧で叩き落とせばいい。これは武器のデザインを施しただけの棒切れである。実戦では殺しに行くが、競技は落馬させればいいのだ。ランスが迫ってくる。ユゼフの敏感な第六感は障害物を感じ取った。剣技は関係ない。これは反射神経や獣の勘で戦う。
ダンッ!! 音がワンテンポ遅れてやってくる。落馬したカオルはうつ伏せに倒れた。
「よっしゃーーーー!!! ユゼフ様、圧勝ーー!!!」
ティモールの叫ぶ声が聞こえる。意外に呆気なかった。カオルのランスのほうが長かったので、無意識に盾で受けていたのだろう。盾は手綱を持つ左腕に取り付けられている。ユゼフの戦斧はカオルの肩を打ったようだ。
ユゼフは慌てて馬から飛び降り、カオルを助け起こした。カオルのバイザーを開けると、鮮血が……
……鼻血を出しているだけだった。
「だ、大丈夫か?」
カオルは鼻に思いっきり皺を寄せ、ユゼフの手を払いのけた。ディアナにそっくりだ。ディアナも癇癪を起こすと、こういう顔になる。
「まだ、試合は終わってない!!」
カオルは立ち上がり、鼻血も拭かずにバイザーを閉じた。一試合、三ラウンドだ。バイザーの隙間からのぞくカオルの目は闘志に燃えている。一度でも、ユゼフに先点を取られたことが悔しいのだ。どんくさい運動音痴に遅れをとってしまったことが。
ユゼフのほうは今ので要領がわかったので、負ける気がしない。むしろ、カオルへの興味を失ってしまった。
──これ、武器を持たなくてもイケるんじゃないか?
ギリギリにすれ違えば、腕を伸ばして届く。盾を使ってもいい。騎乗技術だけで、倒そうと思えば倒せそうだ。
ユゼフの興味は対戦者から戦い方へと移った。次に戦うグラニエは間違いなく強敵だ。次戦に備えて練習をしておきたい。
定位置に戻ったユゼフが手ぶらだったので、騎士たちはざわめいた。すぐに試合再開とはいかず、審判役の騎士がユゼフに歩み寄る。
「どういうことです? 武器を持たぬとは?」
「絶対に武器を持たねばならぬというルールなのか?」
「いえ……そういうわけでは……」
「では盾で戦う。気遣いは不要だ」
ユゼフの態度に激怒したのはカオルだ。バイザーを上げて、喚き散らした。
「ふざけるなっ!! 戦いを舐めているのか!! 一回勝ったくらいでいい気になるなよ?」
やはり遺伝だろうか。ディアナによく似ている。負けず嫌いなところとか。あんまり怒るもんだから、ユゼフは武器を取りに戻ろうかとも思った。その時、天幕のほうから──
「ユゼフおまえ、おもしろいじゃないか!!」
アスターが大口開けて笑い出したのである。愉快でたまらんといった様子でガハハと豪快に笑う。
「戦いはこうでなくっちゃな? おまえときたら、普段は陰気でノロマのくせに、やる時はやってくれるんだからな」
上機嫌のアスターを前にユゼフは引き下がれなくなってしまった。
「にゃうううおおおおおおん!!」
二回戦。始まる。
頭に血が昇ったカオルは突進してくる。その時点で狩る側ではなく、狩られる側だ。野生のハンターは獲物が動くのをジッと辛抱強く待ってから飛び付く。省労力で的確に急所を捉えるのだ。無駄のある戦い方はしない。
ユゼフは馬同士が正面衝突してもおかしくないほど、カオルの軌道に寄せた。主と一緒なら従順な葦毛も恐れ知らずだ。勇敢な馬はまっすぐに敵へ向かっていった。
ヒヒーン! いなないたのはカオルの白馬のほう。魔獣のごとき葦毛に対し、腰が引けている。
──まずいな……スピードを落とさずに来てもらわないと、思い描いた通りにいかない
乱暴に鞭を当てられる白馬は可哀想だ。ユゼフは目を閉じた。白馬の中に入って操ることも可能だが、それだと反則になってしまう。彼女のために戦うのだから、卑怯な手は使いたくない。
カオルの長剣が迫ってくる。この一回で決めようとユゼフは目を開けた。葦毛のスピードをさらに上げる。寄せる。
パァン! と軽い音がした。カオルの長剣はユゼフの盾に当たって、粉々に弾け飛んだ。同時にカオルは馬ごとドウと倒れる。葦毛が横から思い切り、その身をぶつけたのだ。
今度はティモールだけでなく、騎士からも歓声が上がった。
「うおおおおお!! すっげぇ! ユゼフ様、さすが!」
ティモールが吠えている。カオルがちょっと気の毒だと思ってしまうのは、その容姿のせいもあるだろう。美男子というのは、本人の気づかぬところで得をしている。
カオルは右腕を負傷していた。左手だけで必死に起き上がろうとしている。まあ、それだけで済んだのは幸いだったと言うべきか。案の定、ユゼフが助け起こそうとしても拒否された。負けたことが納得できないのだ。
次戦で必勝しなければ、まぐれ勝ち、もしくは奇術を使ったのだと思われる。ユゼフはきりり、身を引き締めた。次の相手は確実に強い。トリを飾るのはアスターではなく、彼であるべきなのかもしれない。なにせ、彼はあのサウルのガーディアンなのだから。
手当てを受けるため、カオルは観客席へ引っ込んだ。哀れな美男子は噛ませ犬だったのである。代わりに颯爽と現れたのはジャン・ポール・グラニエ。
謎のヴェールに覆われた偵察部の元隊長。剣技のほどは知られてないが、その騎乗技術は一流だと噂される。騎乗するのはスラッとした青鹿毛だ。黒々と美しい毛並みを見せる馬は、澄まし顔の主とは反対に鼻息荒く猛々しい視線を浴びせてくる。
観戦する騎士たちの空気が明らかに変わった。先ほどまでは色物、珍奇な見せ物を見る目だったのが、羨望の眼差しに変わっている。どこからか聞きつけたのだろう。観客は騎士だけではなくなっていた。集まってきたのは城に勤める女たち、行儀見習いの貴族の娘や市門から入って来た町娘もいる。その彼女らが皆一様に、うっとりと溜め息をついた。
伸びた背筋は彫像を思わせる。彼を象徴させるピンと反った口髭はもちろん、艶のあるグレイヘアや優しい目元、すべてが洗練されている。立ち上るオーラからして違った。
彼こそ騎士の鑑。
さすがのアスターも彼には遠慮する。観客席から高らかに呼びかけた。
「美しいな。グラニエ、騎士団に戻ってきてくれて嬉しいぞ」
「戻るつもりはございません。一時的に籍を置かせていただいているだけです。我が主は、英雄王サウル様の生まれ変わりであらせられるシャルル殿下お一人のみ」
ギャラリーが小さくどよめき、グラニエは優しく笑んだ。ユゼフへ向き直り、
「ユゼフ殿、この戦いはケジメです。不甲斐ない我が身を奮い立たせたいのです。ですから、死ぬ気で行かせてください」
言い終わると、馬上から優雅に一礼した。所作の一つ一つ、なにからなにまで完璧である。だが、兜をかぶったとたん、物憂げな灰色の瞳は獣のそれに変わる。離れていてもユゼフにはわかった。
──要は全力で行くってことか。いいぞ。かかってこい。サウルのガーディアンよ、その力を見せてみるがいい
ユゼフはワクワクしていた。かつて、自分を倒した英雄の忠臣がどれだけの力を持っているのか見てみたい。高揚感は不安を吹き飛ばしてしまった。




