5話 愛する人と対面②(ユゼフ視点)
(ユゼフ)
ユゼフがディアナと話すことは、たいしてなかった。グリンデルの情報はカッコゥ、グラニエから得ていたし、今後どうするつもりか聞いても仕様がない。なぜなら、彼女の人生の選択権はユゼフの手中にあり、女王になりたいローズを取り戻したいと言ったところで、どうすることもできないからだ。ユゼフが彼女に伝えることといえば、ここは安全だから心配しなくていい……ぐらいだろうか。
ベッドの横に腰掛けたディアナはもじもじしながら、顔をのぞきこんでくる。にじり寄ってきた小さな手がピッと触れると、ユゼフの冷えた心が温まってきた。不意に抱き寄せて、キスしようと思えばできる距離だ。そばにミリヤがいなければ。
「ディアナ様、グリンデルでの話はうかがっております。陰ながら心を痛めておりました。おけががなくて、どんなに安堵したことか。心の傷は簡単に癒えないと思いますが、少しでも安らいでいただければと思います」
一見、優しい言葉を連ねているように見えるが、一方的で傲慢な言い分である。城を奪い、監禁しているのに安らいでとは。しかし、彼女の機嫌を損ねることはなかった。
言葉より語るのは瞳。彼女がユゼフを見る目は一年前に会った時と同じだ。クレセント城で逢い引きした時と……
──でも、彼女は俺の友達と婚約を……
突然感じた温もりによって、いじけた心は牽制される。ディアナはユゼフの手をギュッと握った。
「助けてくれてありがとう。あなたが助けてくれなかったら私、なにをされていたか……」
ユゼフから言葉は出てこなかった。彼女と見つめ合う、手を握り合うだけで通じ合える。言葉など、この場においては舞って消える煙のようなものだ。
「私の気持ちは知っているでしょう?」
「ええ」とユゼフは小さく答える。そんなもの、手に感じる温もりや瞳を見れば一目瞭然じゃないかと。ここにミリヤさえいなければ、抱き寄せてキスしていた。
「あなたはエゼキエル。シャルルから聞いたわ。私はアフロディーテだから、前世では敵対していた……でも私、前世でもあなたと恋人同士だった気がしてならないの」
話しているうちに彼女の瞳はどんどん熱を帯びてくる。少し尖らした可愛らしい唇、淡い紅をまとったそれを吸いたい衝動にユゼフは駆られる。ぼんやりした記憶しかない前世のことなんか、どうでもよかった。今ここに、自分の手中にディアナがいる。それが重要だ。
「それなのに、あなたを信じていいか不安にもなる。もし、シーマが目覚めたら私はどうなるの?」
「シーマ……陛下だろうが、あなたには指一本触れさせやしません。絶対に」
熱を帯びたのはディアナだけじゃなかった。ユゼフは自分にすら隠していた本心をぶちまけた。シーマだけじゃない、サチにだって触れさせたくはない。愛しい籠の鳥をもう誰の手にも渡したくはないのだ。その言葉に嘘はなかった。
「でも……」
「六年前、必ずお守りすると約束しました。あの時から気持ちは変わっていません」
「ローズ城を落とすよう、指示したのはぺぺ、あなたでしょう?」
握る手が緩んだ。愛する女に嘘はつけない。そう、彼女とはいまだ敵同士。嘘もつけないし、本当のことも言えない。ユゼフは深緑の瞳から目をそらした。ふたたび沈黙する。
ディアナが自分を受け入れるか受け入れないかで、ユゼフの心の扉は簡単に開きもするし、固く閉ざされもする。話したくないことを彼女が詮索するなら、ピッタリと閉じてしまう。しばらくすれば、錠もかけられるだろう。
沈黙を破ったのはミリヤだった。
「ユゼフ様、ディアナ様がお知りになりたいのはどこから情報を得たかということです。ディアナ様がローズ城を不在にしていたという情報をいったいどこから……」
慇懃なミリヤは宰相という地位に話しかけているのだった。たぶん、二人きりの時は男という性に話しかけるのだろう。そういう女だ。
ミリヤの質問は甘美な誘惑を放っていた。ディアナがローズを留守にしている情報はサチから得たものである。大好きな婚約者が自分を陥れたと知ったら……
「草がどこでどうやって情報を得ているか、主は知らないものです」
だが、ユゼフは自分の領分をちゃんとわきまえていた。いくら愛する女の問いかけだろうが、話していいことと悪いことの分別ぐらいできる。
ディアナの顔を見ると、深緑の瞳は分厚い涙の層を作っていた。決して靡かない恋人を責めているのだ。安心してくれというのは到底無理な要求だった。城を奪い監禁している相手に対し、信頼を寄せることはできない。
「シーマが目覚めたら、きっと処刑されるのね、私は。そうでしょう? それまではあなたの好き勝手にできる情婦。いいわ、好きにしなさい。あなたの玩具になる」
ディアナはベッドから降り、ユゼフの足元にひざまずいた。それ以上、膨張できなくなった水膜は瞳から落ちる。雫がユゼフのブーツを濡らした。涙の冷気がブーツを透過して、爪先にまで届きそうな気がした。
ずっと片想いをしていた女性が自分の足元にひざまずいている。あなたの物になると。その身を差し出し、好きにしていいと。好きな女を思い通りにできる。この状況で興奮しない男がいるだろうか。ユゼフだって例に漏れず。なにも期待していないと、とぼけていたのは嘘だ。こうなることをおおいに期待していた。ずっと影で見守るだけだった女の身体を蹂躙できる。ミリヤさえいなければ……
「み、み、み、ミリヤ……」
「わかりました。部屋の外でユゼフ様の従者と待っています」
ミリヤは涼しい顔で気を利かせた。ディアナに色仕掛けさせて、取り込もうと目論んでいるのだろうか。だが、この女の思惑なんかどうでもいい──ユゼフの脳を九割方占めているのは性的な事柄であった。状況を設えてもらえたら、あとは突っ走るだけである。捧げられた供物は遠慮なく食べる。自信のない狼だって、自由に犯していい雌には遠慮しない。
すでにユゼフは脱がしにくいガウンをどのように脱がそうかとか、服を破ってしまった絵面を想像していた。服を破られ、生白い肩を露わに乳房をちら見せするディアナ……身を震わせ、泣きながら「痛くしないで」と懇願する……
──自分で服を脱がせるのもいいかもな。破いてしまったあと、恥ずかしがる彼女に脱げと。彼女は指を震わせ、留め具を外すんだ。そして、俺の見る前でゆっくりと裸になっていく
妄想は暴走する。ミリヤがいつ出て行ったか、ユゼフは気づかなかった。
──罵ってみるのもアリだろうか。俺以外の男にもそんな顔を見せるのか? この淫乱女め!……とか? これはセンスがいまいちだな。いや待てよ。そうしたら、彼女はこう言うかもしれない──それなら、あなたにしかしないことをするわ。あなたを喜ばせるためなら、なんだってする。こんな恥ずかしいことでも……いやっ、そんなことをしている時の顔を見ないで! 恥ずかしい……
「ぺぺ……」
こちらを不審げに見るディアナと目が合い、ユゼフは赤面した。
妄想が外にもれ出ていたのではないかと疑ってしまう。訝しむ視線は邪な心に感づいているのかもしれない。最悪なことにユゼフの身体は生理的な反応も起こしていた。それをごまかすため、ユゼフは上衣の留め具を留め始めた。
「ぺぺ、どうしたの? 寒いの?」
「い、いえ。少し寒いです」
否定しつつ寒いと言う。なおかつ、顔から汗をダラダラ流す。床にひざまずいていた彼女は立ち上がり、ユゼフの傍らに腰掛けた。
「シャルルとの婚約のこと、傷ついたでしょう?」
「え? いや……いいえ」
「わかってるわ。シャルルはあなたの大切なお友達ですものね。じつはシャルルと話して結婚も受け入れる気でいたのよ」
シュルルルルルルルル……膨張した期待は一気に萎んでいった。




