49─1話 メラク神父(サチ視点)
シャウラを自警団員に任せ、サチはバザールを離れた。マリィを安全な所で手当てしなければ……
背中から伝わるマリィの体温がありがたかった。湿った呼気が耳をくすぐるのは生きている証だ。弱っていようが、死にはしない。
あとはマリィの奉公する屋敷へ戻り、適切な治療を受けさせよう。もう大丈夫だ。その後は屋敷の人に事情を話し、しばらくマリィを死んだことにしてもらう。シーマが何かしてくる可能性もあるからだ。それからローズ城へ行って──これからのことを考えながら、進む足取りは軽い。
しかし、ささやかな安息は短かった。
サチは屋敷へ着く前に足を止めた。嫌な気配を感じたのである。
──つけられてる
振り返っても見えないが、確かにいる。こちらを窺っている……一人……二人……三人か。
「何者だ? 姿を現せ!」
すると、近くの路地から一人、また別の路地からもう一人、そして街路樹の影から一人……合計三人、ガラの悪い男たちが次々と姿を現した。
「意外に早く気づかれたな?」
鼻に大きなイボを付けた男が汚い歯を見せて笑う。目と頬に傷のある男と牛角の兜をかぶった男が、ニヤニヤしながら近づこうとしていた。
「マリィという娘がいるはずの屋敷に行ったところ、バザールへ行ったと言われ、ここまで来たわけだが……火が上がっているし、訳のわからん灰色の兵士もいる。自警団も生存者はいないと言っていたから、あきらめるつもりだった」
イボの男が言うと、傷の男が嬉しそうに相槌をうつ。
「兄貴、あきらめんで良かったっすね!」
「おお、サチ・ジーンニアという名前が聞こえた時は耳を疑ったぞ? 火事の中から出てくるとはな? このガキがジーンニアってことは、背負ってる娘が妹のマリィに違いねぇってこった!」
「これで若殿様のご命令通りにできますね!」
見た目から賊のようにも見えたが、金で何でも請け負う傭兵かと思われた。汚い仕事はこういう輩に任せるのが最適なのだろう。若殿様というのはシーマのことだ。あの鬼畜がマリィをさらうよう命令したに違いない。
シーラズ城の包囲を解いたローズの連合軍が、王城にそろそろ着くころだろうか。
太陽の位置を見て、サチは時間を計る。陣営を離れた正午から四、五時間が経過していた。
包囲を解かれてから、こんなにも早く指示を出すとは……抜け目がないというか何というか……
サチの頭に浮かんだのは、最後まで毒を吐いて出て行ったウィレム・ゲインだった。
──まさかとは思うが……
あの様子から、ウィレムが寝返ったとしても不思議はない。シーマの行動が早いのも納得いく。
サチはがっくりと肩を落とした。ウィレムから内部情報が漏れるのは痛手になる。
──あの時、ウィレムを殺すべきだったのだろうか? イアンなら逆上して殺しかねないが……でも、イアンの前であんな態度は取らないだろうし……いや、俺は間違っていない。むやみに殺すのは良くない。勝利を得たとしても、きっと長続きはしない
サチは男たちを睨みつけた。
「妹は……マリィは関係ない。シーマの目的は俺だ」
男たちは顔を見合わせた。
「どうする?」
「若殿様はマリィという娘を捕らえろとだけ、おっしゃってた」
「娘は絶対に連れて行かねばなるまいな?」
「それに、このジーンニアとかいうガキの首を付けたら、若様は喜ばれるのではないか?」
「そうさな、きっとお喜びになる! 報奨が弾むに違いねえ!」
「もしかしたら、傭兵から正規軍の一員として取り上げてもらえるかも、だ」
男たちは相談が済むと、上機嫌でサチのほうへ向き直った。
──まずいぞ! どうすればいい? 考えろ! 考えるんだ……
マリィが働いている屋敷は見える所にある。だが、こんな状況で受け入れてもらえるかどうか。
道路の向かいへ視線を這わせる。目に入ったのは剣をシンボルにしたメシア教の教会だ。主国でメシア教以外の教会を営むことは禁止されているから、他宗教の教会を内陸部で見ることはできない。
だから、どこの教会も先の鋭く尖った剣を屋根の上に付けていた。
──この教会の神父のことはよく知っている……
メラク神父はサチが通っていたスイマー市内の学校の教師だ。学術士学校への国策特待生の話を持ってきてくれたのも彼だった。どういう手違いで王立学院へ通うことになったのかは、いまだに不明だが……
このシーラズで、マリィに働き口を紹介してくれたのもこの恩人である。
通常はメシア教教会で教えない古代の聖典を解説し、真意を理解するよう説く。保守的なメシア教の中では珍しいタイプの神父だ。優しさのなかにも芯の通った強さを秘めた人で、誰に対しても平等に接する。
教会までは数十歩。できることなら迷惑はかけたくないが……
「剣を握れば、三人まとめて相手してやる!」
サチは堂々と傭兵たちに言い放った。
対して、男たちは少しの間だけ口をあんぐり開けた。その様子はやや滑稽にも見える。笑える状況下ではないので、サチはむず痒いのを我慢した。やがて、男たちは遠慮なく腹を抱えて笑い出した。
「……剣を握れば、だとよ……?」
「ガキのくせに……戦ったことあるのかよ!」
サチは人生において、何度となく繰り返される嘲笑にうんざりした。見た目を馬鹿にされるのには慣れている。とはいえ、毎回だと多少は腹が立つものだ。
「妹はケガをしていて立てない。そこの教会に置いて来てもいいか?」
「おいおい、そのまま逃げるつもりじゃねえだろうな?」
「十秒」
「?」
「十秒では中に置いて来ることができても、逃げることはできない。俺は中に入って十秒で戻る」
他の二人がうなずいたので、イボの男も了承した。
「十秒経っても出てこなかったら、教会だろうが何だろうが、中に入ってテメェを殺すからな?」
サチは「わかった」とうなずき、教会へと走った。重い扉を開け、中へ飛び込む。
無頼漢たちは教会の入口に立ち、中にも響く大声で数え始めた。
「いーち」
「にーい」……




