表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第三部 グリンデルの王子達(前編)
528/874

111話 ドゥルジ様の命令

(イアン)


 クロチャンの瞳が金色に光った時、イアンは本能的に伏せていた。


 背中スレスレに、高速のなにかが飛んでいく。



「イツマデ……」



 背後から呟き声が聞こえた。クロチャンに気を取られ、こちらの気配をすっかり忘れていたのだ。舌打ちしたクロチャンの標的が、自分ではないことにイアンは気づいた。



「イツマデ、ごくろうだったわね。アンタの毒霧よく効いたみたい。感覚鈍くなって、全員マタタビ舐めた猫みたいにフラフラして、アタクシの罠にも全然気づかなかった。身なりの良い四、五人の組み合わせ。若い女、グレーヘアーと一緒のエデン人みたいな顔の魔人……間違いないわよね? 今、あたくしの腕の中にいる。まさか、エドも一緒だとは思わなかったけど」


「イツマデ……」


「アンタの毒霧もアタクシの鏃も強烈なのは、一回しか出せないのが難点よね。高位の魔術師+魔人がいるからって、用心してアンタと協力したけど、この様子だと一人でもイケたかも」


「イツマデ……」


「なんでアンタを攻撃したかって? そりゃ、恋する乙女だから。大好きなあの方が手柄を横取りしてこいって言うから。この男の子、いただくわね。お手伝い、ありがとう。この子はあとで、ダーリンがドゥルジ様の所へ届けると思うわ」



 黒い噴煙がイアンに被さってきた。どうやら、背後の魔物から噴出している。凄まじく濃度の濃い瘴気だ。イアンはむせた。


 また、背中の上を高速のなにかが過ぎる。今度は背後から。



「痛ったっっ!! なにすんのよ? あんたとやり合う気はないわ。お互い、力を使い果たしてるんだし……この子は渡さないんだから!大好きな方にお渡しするんだから!」



 クロチャンが怒鳴ると、風が起こった。正面から背後から、風はぶつかり合い竜巻を発生させる。黒い(やじり)も木片もすべて巻き込んで、グルグル激しく回る。イアンは地面に這いつくばるしかなかった。



 ──早く、早く、去ってくれ



 この願いは神に聞き入れられた。


 長く短い時間が過ぎたあと、ふたたび静かになる。音の奪われた世界から、戻ったことを気づかせてくれたのはツグミの鳴き声だった。


 キュッキュー……キュー……キュー……


 イアンは飛び起きた。魔の気配が消えている。いつの間にか空は白み始めていた。彼らが黒雲を連れてきていたために、気づかなかったのである。



「サチ!?」



 呼びかけても返事はない。連れ去られてしまったようだ。魔人がいた辺りに気配……黒い塊が揺れている。黒いのは髪? 



「イザベラ!!」



 イザベラは濡れた顔を上げた。血はついていない。綺麗な顔だ。



「ケガは?? 大丈夫か??」


「サチが……サチが……私をかばって……」



 イザベラは答える代わりに嗚咽した。肩を上下させ、顔を覆う。

 見たところ、ケガはなさそうだ。おそらく、上から降ってきた(やじり)から、サチが守ったのだろう。


 次にイアンが視線を移したのは倒木の上、仰向けに倒れているクリープだった。顔は傷ついていないが、眼鏡が吹き飛んでいる。全身に鏃が刺さっているのはグラニエと同じ。こちらも、死んでいるだろう。


 と思ったのだが…… …… ……まだ、息がある??



「クリープ?」



 呼びかけても、返事はない。だが、微かに呼吸しているような…… …… ……生きてる!



 ──こういう時はどうするんだ? 人口呼吸? 心臓マッサージ? いや、ちがう。天狗の丸薬、河童の軟膏だ……



 イアンは慌てて、腰袋から丸薬を出そうとした。焦って手がうまく動かない。関係ない物がボロボロと落ちた。



「丸薬、丸薬……あった!」



 イアンは天狗の丸薬をぐいぐいクリープの口に押し込んだ。クリープの唇は白く、弛緩している。押し込めても飲む気配はなかった。


 そんなイアンのことを、イザベラが遠くを見る目で見ていた。


 舞台化粧はユゼフを待っている間に落としたのだろう。素顔にはまだ少女の名残がある。普段の憎まれ口ばかり叩く意地悪さは、生気とともに削げ落ちていた。心を無くすと、造形美が際立つ。抜け殻みたいな彼女はとても美しかった。



「無駄よ。そもそも、それは空腹を満たすためのものでしょう?」


「あ、そうか。じゃ、河童の軟膏を塗ろう」


「それも無駄。表面的な傷だけ治したって手遅れよ」


「じゃあ、どうすれば……」


「死ぬのを待つしかないわね。それか、なるべく苦しまないように息の根を止めてやるか」


「そんな……」



 わずかに隆起を繰り返すクリープの胸元に、イアンは視線を落とした。柔らかく瞼を閉じ、弛緩した口元から白い歯が見えている。全然知らない顔だった。



 ──あれ? こんな顔だっけ?



 眼鏡を取るだけで、こんなに顔が変わるものなのだろうか。長い睫毛や肉厚な下唇、矢印形の鼻……顔のありとあらゆる特徴を、眼鏡が吸い取ってしまっていたのである。



 ──魔法の眼鏡か



 イアンは、クリープのことがあまり好きではなかった。いつもなにを考えているかわからないし、イアンに同調もしなければ、反発もしてこない。無視や興味を持たれないことは、イアンの最も嫌うところだ。


 だが、今まで“へのへのもへじ”だった顔が一つの個性としてインプットされると、憐れみやら共感といった感情が湧き上がってくる。


 イアンはクリープを助けたい、と思った。



「なにか、方法はないのか? こいつが死んだら、サチだって悲しむ。回復魔法をかけてみるとかは?」


「重傷を負った直後なら、なんとかなる可能性もある。でも、怪我が二次的な段階へ移行してしまったら、もう無理。表面的な傷だけ治しても、失われた血は元に戻らない。循環器系の異常が顕著に現れている状態では、もう手遅れなのよ」


「でも、まだ生きてるのに……」


「……ユゼフの血があれば、なんとかなるかもしれない」


「ユゼフの??」


「あの人、エゼキエル王の生まれ変わりでしょう? そろそろ着くころじゃない? 間に合えば助かるかもしれない」



 イアンは六年前の魔国での出来事を思い出した。サチの身体を乗っ取ったもう一人のユゼフ、エゼキエルが……



「捕虜が死にそうだと? そうか、人質に使えそうな奴か。なら、朕の血を与えればよい」



 アイローが死にかけたアキラを連れてきた時、そう言って乗り移っていたサチの手首を切った。その溢れた血をイアンが(わん)で受け、アキラに与えたのだ。


 アキラは見違えるように回復した。



「ちょっと、イアン? なにしてるの!?」


「見てのとおり、俺の血をやるのさ」



 イアンはダガーで手首を切った。勢いよく流れ落ちる血潮は柊の実より赤い。こんなに赤くて熱い血が人のもの以外であるものか、と思う。


 鮮やかな赤は、さっきの鳥女クロチャンと同様、クリープの顔半分を染めた。



「なにを?……窒息しちゃうわ」


「大丈夫さ。生きたいと思えば、本能に従う」



 イアンの言うとおり。血が口腔を濡らしたとたん、クリープはゴクゴク飲み始めた。


 目を見張るイザベラにイアンは説明する。



「六年前、魔国で死にかけた俺はユゼフの血を髄に流し込まれ、魔人として蘇った。俺にはユゼフの血が流れてるんだよ」


「で、でも、そうだとしても眷属だわ。高い治癒能力を有するのは特別な魔人か妖精族だけよ」


「俺はユゼフの、ぺぺの眷属じゃない。あいつの思い通りには動かない。なにより、俺のほうがぺぺより強いじゃないか。だから、ぺぺの血に治癒能力があるんなら、俺の血にもあるっっ!!」



 滅茶苦茶な論理だとはイアン自身も思う。だが──


 クリープは息を吹き返した。



 イアンの血をひとしきり啜ったあと、クリープはむっくり起き上がり放心した。刺された傷はみるみるうちに塞がっていき、鏃がポロポロと落ちる。


 血塗れた顔を拭えとイザベラがハンケチを渡し、落ちていた眼鏡を拾って、クリープはようやく落ち着いたようだった。



「どうしてだ? 妖精族の血と魔人の血の相性が良かったのか……」



 起き上がったクリープは、なにやらブツブツ言っているが……



「俺、すごい……クリープ、俺のお陰で死なずに済んだのだからな? このイアン様になにか言うことは??」


「あ……ありがとうございます」


「この命の恩人様に永遠に仕えると誓え。俺の血を飲んで生き返ったから、俺の家来になるのは当然だろ?」



 イアンは感極まっていた。冗談ではなく本気である。


 クリープは困っている様子だ。相変わらずの無表情でも、ほんの小さな動きをイアンは見逃さなかった。睫毛が揺れたり、呼吸がワンテンポ遅れる。普通だったら気づかないことにも、気づくようになってきた。慣れれば、少しは感情が読み取れる。



「なにをまた、くだらないことを言ってるの!? サチを追いましょう。まだ間に合うかもしれないわ!」



 イザベラが怒号を上げなければ、イアンはずっと余韻に浸り続けていたことだろう。自らが起こした奇跡によって、一人の人間の命を救った……まるで救世主(メシア)じゃないかと。


 くわえて、寸刻前まで死んだ目をしていたイザベラが生き生きとしている。イアンの起こした奇跡が彼女のことも連れ戻したのだ。



「サチはサウル王の生まれ変わり。あれぐらいで死にはしない。グリフォンに乗って追うのよ!」



 イアンもクリープもうなずいた。そうして、イアン、イザベラ、クリープ……仲の悪い三人組はなんの計画も持たず、走り出した。


 敵の強さを測ったり、勝算を立てたわけではない。イアンは常に感情で動く。ただ「助けたい」という気持ちだけで、魔国へ向かったのである。




 第三部前編 完

第三部前編はこれで終わりです。

後編は7月5日(水)から。21時─22時の間に投稿します。

次話以降、水、木、金の週3回更新にします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不明な点がありましたら、設定集をご確認ください↓

ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

cont_access.php?citi_cont_id=495471511&size=200 ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
[良い点] イアンは調子に乗っていますが、傍らでは、グラニエさんが亡き人になっちゃいました(泣) おつかれさまでした〜。
[良い点] グラニエの事も気にかけてあげて(´;Д;`)
[良い点] 最新話まで一挙見ました\(//∇//)\♡ このまま良い方向で行っちゃうんだろうなぁ、なんて達観してしていた第三部前編、完!! ……でしたが((((;゜Д゜))))))) ビックリするラス…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ