93話 エドアルドのこと
(サチ)
どれくらい歩いたろうか。
止まらず振り返らず、サチは進み続けた。速度が上がるのは自己嫌悪のせいである。
クリープ─エドアルドはサチのことを影からこっそり見守っていた。魔国にいた時から帰国後もずっと。記憶を失い、他人となったランディル以外にエドアルドの肉親はサチしかいない。何年も一人で孤独に戦ってきたのである。
エドアルドは魔人に囚われていた時、自らを犠牲にして弟のランディルを逃がした。魔国でランディルのためにエドアルドが挺身してきたことぐらい容易に想像できる。
サチ自身も何度となく彼に助けられてきた。
六年前、魔国、百日城から逃れた時、カオルたち刺客に襲われた時(※第一部後編)。剣術大会で無茶をしそうになった時も。今だって、辛い思い出のあるこの城へ助けに来てくれた。
エドアルドが青い鳥と共闘したのは、純粋にサチを助けるためだ。
思い出したくもないのにサチの脳裏に浮かんでくるのは、エドの全身に刻みつけられた傷のことである。着替えを何気なく覗いた時に見てしまった。呪詛の込められた傷は消えないし、永遠に苦痛を与え続ける。どれだけ壮絶な人生を送ってきたか、それだけでもわかるというものだ。エドがつねに無表情、気配を消しているのは虐待の後遺症かと思われる。
そんな奇特な兄に怒りをぶつけ、あげくの果てに拒絶した。さっきのアレは八つ当たりだったとサチも自覚している。
自分の中のランディルに責められると思ったが、静かだった。背後にいるグラニエも、なにも言ってこない。責められたほうがこの場合、楽だというのに。
──ヤケを起こさないといいけど。
エドはおそらく、イアンたちを助けに行ったのだろう。自暴自棄になって、無茶をしないといいが……
ゴチャゴチャ考えているうちに着いた。土を抉っただけの坑道は突然の終わりを告げる。
デンと立ち塞ぐのは漆喰の壁だ。ランタンの薄明かりだけだと、石灰の白は眩しい。
「さて、と……ジャン、これはどうやって開けるのかな?」
「わかりません」
道幅は二人並ぶとぎゅうぎゅうなので、サチはグラニエを前に押し出した。
「うーん……押しても叩いてもビクともしませんねぇ。微量の魔力をまとっています。なんらかの条件が揃わないと開かない仕組みなのかもしれません」
「たとえば?」
「この隠し通路は王族のための物です。血が物を言うのかと」
「じゃ、やっぱ俺か」
再度、グラニエと立ち位置を交換しようとしたところ、
「ちょっと待ってください」
グラニエは背中の荷物を下ろした。そういえば、荷物を全部持たせていた。仮にも、グラニエは主国騎士団の偵察部隊長を任せられていた男である。剣士としても超一流だ。それをまるで従者扱いに……サチはとたんに申し訳なくなってきた。
グラニエは背負っていた剣を差し出した。柄へ向けて幅広になっていく三角形の剣だ。確かこの形が魔法剣に適しているのだとか、なんとか。
チンクエディア──宝剣である。
「これを持って行くのか? これ、斬れないように刃引きしてある剣じゃ……」
「そうですね、観賞用の剣です」
「なんでそれを俺に渡す? これじゃ戦えないだろう」
「普通の人間ならそうですね」
サチは鞘から剣を抜いてみた。短いし、軽いから扱いやすいことは扱いやすいが……やっぱり刃は引き潰されているし、先も丸められていた。柄には様々な宝石が埋め込まれ、刃に掘られた溝には金が流し込まれている。美しい剣だ。
──本当にこれで戦えるのだろうか
「ご心配は不要です。練習したことをよーく思い出してくださいね」
「うん……その、なんだ……ジャン、苦労かけるな。なにから、なにまですまない」
「なにをいまさら。サウル様のお守りは私の役目ですから」
「お守り言うな」
「ふふふ……ですが、エドアルド様への態度はよろしくなかったですね」
「わかってる」
「しおれているところをみると、反省もされているのでしょう。私から申すことは何もありません」
「いつもそうだ。潔癖過ぎるところ……自分の正義を押しつけてしまう。相手の都合も考えずに。どうしてもっと寛容になれないのか」
「それがサウル様の良きところでもあります」
たまには弱音も吐いてみるものだ。サチはホゥ……と息を吐いた。話すことで、ざわついていた心がだいぶ落ち着いた。グラニエにはいつも助けられてばかりだ。
帯刀すれば、気持ちが引き締まる。サチはスッとグラニエの前に出た。
これから戦いが待っている。余計なことはもう考えない。
手を冷たい漆喰へと伸ばした。
「でも、サウル様。これだけは覚えておいてください。私もエドアルド様もサウル様の味方ですから。この先、なにがあっても」
グラニエの声がうしろから追いかけてくる。
サチは大きく息を吸い込んだ。土に育まれた微生物の香りが肺へ流れ込んでくる。発した言葉は、
「憎」
通路に入る時、愛とエドが言っていたので、ただ反対の言葉を言ってみただけである。
愛の反対は憎。
いやに呆気なく──
壁は動いた。くるり、一回転。難なく城内の回廊に戻った。
サチとグラニエを送り届けると、回転した壁は元通りに収まる。扉となったのは通路の側壁だ。
隙間なくぴっちりと壁は戻った。
白い壁は何事もなかったかのように済まし顔だ。外見からここが扉だったとは、まったくわからない。サチはふたたび押してみた。
「エクスラ! アガピ!」
呪文を唱えたが、ビクともしない。どうやら出ることはできても、入ることはできないようだ。
つまり、ここから戻ることはできない。
隣のグラニエを見ると、緊張した面持ちに変わっていた。サチと同じく、ここから戻れると思っていたのだろう。
「後悔してるか?」
「いいえ」
サチは懐から地図を出した。
爆発騒ぎにくわえ、サチが逃げたことを知ったナスターシャ女王は血眼で城内を捜索させるだろう。青い鳥のせいで危地に立たされた。
逃げるだけなら、グラニエとクリープだけのほうが上手くいったかもしれない。演劇で注意をそらす、城内の情報収集など青い鳥の力が必要だった面もあるだろうが。彼らに協力を仰いだのは、今後の共闘態勢を見越したからだと思われる。それも、サチがすべて台無しにしてしまったわけだ。
数カ所曲がれば、シデムシの行き止まりにたどり着く。距離としては短い……だが、それまでに誰とも遭遇しない保証はどこにもない。
もし、見つかってしまい兵が押し寄せてきたら? もし、ただの行き止まりで、それから先へ進めなかったら??
また囚われの身に逆戻り。むしろ、逃げたことによって状況はさらに悪化する。グラニエは確実に殺されるだろう。
身震いするサチの肩にグラニエは手を置いた。
「なにがあっても味方と申したでしょう? さあ行きましょう」
目指すは死肉を貪るシデムシの隠し通路。
獄吏の中でも、とくに非人間的である掃除屋が出入りする場所だ。城内で暮らしていても、彼らと鉢合わせることは滅多にない。生活空間自体が違うのである。彼らが行き来する場所は死臭漂い蠅が飛び交う。狭間の場所──
マリィが五体満足で生きている可能性は低い。あるのは身体だけかもしれない。いや、骨だけかも。それでも、サチは恩人の骨を拾いに行く。命の危険を冒してでも。
なぜなら、彼女がいなかったら今のサチはいないからだ。リンドス島で恵まれた幼少期を過ごせたのは、逃がしてくれた彼女のおかげである。義両親から大切に育てられなければ、今ここにいるサチ・ジーンニアは存在しない。
潔癖、傲慢、鈍感、理屈っぽい、短気で喧嘩っ早い。でも、皆に支えられ生きている。
まだ、なにも成してはないけれど、変わりたい。変えていきたい、世界を。サウルの生まれ変わりとして生を受けたのには、きっと意味があるはずだ。
だから、彼女を助ける。次へ進むために。




