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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第三部 グリンデルの王子達(前編)
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86話 みんなを助けたい

(イアン)


 険しい顔つきのイザベラを前にイアンは固まった。自分に酔っていた状態から、すぅーっと冷めていく。


 そもそも、なにしに来たのか? どうして、女優の楽屋で懸命にヴァイオリンを弾いていたのか……なにもかも忘れている。


 イザベラの眼差しから、好意やら憧憬やらは一切感じられない。そこにあるのは若干の怒りと珍妙な物を見る好奇心、それと嘲笑である。


 イアンの額から汗がツツツと流れた。それを拭いつつ、



「あ、あのこれはだな、事情があって……」



 イアンのたどたどしい言い訳を、ヴィオラの艶やかな声が遮った。



「イザベラ、驚いたよ。歌合わせしたいと言ったから、連れてきた楽士がこの人かい? なかなか洒落がきいていて面白いじゃないか」


「いえ。楽士の方は今、部分リハーサル中で連れてくることはできませんでした。でも、この人は代わりじゃないです」


「じゃ、なんで?」



 機嫌良くしゃべっていたヴィオラの顔が曇る。イアンの存在理由がよくわからないのだ。



「わたしにもよくわかりません。なんでここで急に演奏しているのかも、その意図もいまいち……彼はわたしの友人、というか腐れ縁のような繋がりですが……」



 そこで、イザベラはギロリとイアンを睨んだ。「どういうことか説明しろよ」と。頭の中が白紙のまま、イアンは口を開いた。



「えっと……そうだ! 俺はイザベラと話すため来たんだよ。でも、ここにヴィオラとヴァイオリンがあったからつい……で、どうしてここに来たのかというと、そもそもはダーラだ! ダーラを連れ戻しにグリンデルに来たんだけど、酒場で衛兵に絡まれて……」



 やはり、うまく説明できない。イザベラの顔がますます険しくなるのに連動して、ヴィオラも不安そうな顔になる。



「ストーップ! ストップ! イアン、そこまでじゃ!」



 うしろからリゲルがにゅっと顔を出してくれなければ、どうなっていたことやら……



「ここからはわしが説明しよう。わしはリゲルという。ガーデンブルグ王家に仕える魔女じゃ。ヴィオラと言ったな? わし、世俗に疎いんで失礼ながら、お主のことはよく存じぬのじゃが……お主とも関係のある話なので心して聞いてほしい。今から話す内容は傷つくだろうし、覚悟が必要かもしれん」



 ゴクリ。生唾を飲む音。部屋の空気が変わる。ふざけた雰囲気から一転して、ピーンと緊張の糸が張る。


 イザベラもヴィオラも、真顔でリゲルの話に聞き入った。

 


「まず、要点から話す。この劇団には“青い鳥”というレジスタンスが紛れ込んでおる。彼らはシャルル王子の救出と破壊活動を同時に行うつもりじゃ。つまり、爆発する呪札を城内に仕掛ける。それも終演直前にじゃ」



 終演直前に仕掛ける理由は以下。


 見えない呪札の発動可能時間が短いことと、標的が観客であること。観客が標的に選ばれたのは全員が招かれた貴族であるから。この国の名士や、女王の寵愛を受ける者たちが一度に集結する。そして当然、ナスターシャ女王も観賞する。


 

「ことが起これば観客だけでなく、劇団の人たちや城内で働く者にも被害が及ぶ。わしらはそれを阻止したい。イザベラとダーラは代役を頼まれてるじゃろう? 終演時間を引き伸ばしてほしいんじゃ。その間にでき得る限り、呪札を解除する」


 

 ここまで一気に話したあと、リゲルはイザベラとヴィオラの反応を確認した。二人とも驚いた顔をしているが、取り乱すまでに至っていない。口開こうとするイザベラを遮り、リゲルは続けた。



「事前に仕掛けるのを妨害することも考えた。じゃが、それだと騒ぎが広まり、シャルル王子の救出が困難になる。大丈夫じゃ。シャルル王子─サチは奴らが逃がす。うまくいけば、主国で会えるじゃろう」



 イザベラの目に涙が滲んだ。サチのことを案じているのだ。情に(もろ)いイアンは心を痛めた。



「意図的に重要なことを避けて話していないか?」



 美しい顔に似合わず、低い声を出したのはヴィオラだった。リゲルの碧眼はさ迷ってから、視線を受け止める。伝える覚悟を決めたようだ。



「そうじゃな。イーオーは青い鳥じゃ」


「そんなこと、急に言われて信じられると思う?」


「ああ、言うとおりじゃ。そろそろ、魔術師たちと打ち合わせをしているかもしれん。小悪魔を放てば、その目を通じて水晶玉に映し出せる。見てみるか?」



 リゲルはカッコゥにイーオーの部屋へ行くよう命じ、水晶玉を取り出した。


 小悪魔カッコゥが姿を消して数秒後──


 背筋をピンと伸ばしていても、ヴィオラは顔をこわばらせていた。知るのが怖いのだ。自尊心を傷つけられるのが。女であることを売り物にする人がそれを逆手に取られ、女であるがゆえにスポイルされたとき、どれだけ傷つくのだろうとイアンは思った。


 スツールの上に置いた水晶玉は、不安定な色彩をぼんやりと漂わせている。やがてイーオーの楽屋を映し出した。


 機嫌悪く怒鳴り散らし、ダーラが持って来たお茶を気に入らないと投げつけている。

 熱いお茶をかぶり、愕然としているダーラは哀れだ。今まさに、アスター家で守られていた従者は世間の荒波に揉まれている。


 イアンは自分のことのように憤った。ダーラとは一年間、一つ屋根の下、暮らした仲である。ダーラはぼんやりしていているくせに生意気だし、イアンとは全然仲良くない。それでも、身内を(おとし)められた気持ちになった。



「いつもと態度が全然違う……」



 呟くヴィオラも喫驚している。おおかた、イーオーはヴィオラの前でいい顔をしていたのだろう。


 ダーラが追い出されてから、入れ替わりにローブをまとった若い男女が入室した。

 

 学匠志望の学生か魔術師の卵、といった雰囲気の五人だ。彼らが破壊活動に荷担する魔術師だとしたら……想像以上に若かった。魔術のことはよくわからないイアンでも、無記の呪札とバースト系魔法が高度であるのは知っている。若くしてかなりの優等生たちに違いない。



「なぁリゲル、この魔術師たちって……」


「しぃいいっ!」



 魔術師たちが魔法を仕掛けた後、どうなるのか聞こうと思ったところ、止められた。


 どうやらイーオーは仕掛ける場所の確認をしている。リゲルは水晶玉に顔を近づけ、耳を澄ました。しかし、赤色の蝶とか白いネズミなど抽象的な表現をしていたため、いまいちピンとこなかったようだ。溜め息を吐いて水晶玉から離れ、ヴィオラの顔を確認した。


 ヴィオラは青ざめていた。無理もない。駆け落ちを約束していた男に騙されていたのだから。


 ヴィオラの代わりにイザベラが激怒した。



「最っ低な男ね。機会があったら、蹴っ飛ばしてやりたいわ」


「イアンもな、成り行きで協力させられるところだったんじゃが、途中で反対したら縛られて監禁されたんじゃよ。わしが助けてやらねば、どうなったことか」


「イアンも災難だったわね。こんな人の力を借りなくても、わたし一人でサチは助けられたわ」


「うむ。協力してくれるか?」


「いいわ。終演時間を引き伸ばせばいいのよね? 何分ぐらい伸ばせばいい?」


「十五分、引き伸ばせば充分じゃろう」


「わかった。じゃ、ダーラにも知らせないと」



 話がどんどん先へ進むなか、イアンとヴィオラは置いていかれたままだった。


 ヴィオラは放心したまま二人のやり取りを眺め、イザベラがダーラを呼びに部屋を出ようとしたところで我に返った。



「お待ち!」



 呼び止めるヴィオラの瞳は潤んでいた。胸元を荒々しく上下させ、拳を握り締めている。ふたたび空気が張りつめ、イアンは息苦しくなった。沈黙を破った美しき雌獅子に注目が集まる。

 


「まだ、アタシは納得してない。あんたたちに協力するかは、アタシがイーオーと話してからにしてくれないか?」



 凛とした口調に対し、誰も言い返せなかった。取り乱したり、意固地にならないのはこの女優の強さであろう。ややあって、リゲルが遠慮がちに口を開いた。



「イーオーにわしらの動きを知られてはマズい」


「アンタらの存在は知られないようにする。イーオーの真意を確認したいんだ」



 しばし続く睨み合い。剣で立ち合う時と同じだ。リゲルとヴィオラ。金髪碧眼同士、激しく視線をぶつけ合った。


 普段、イアンにとって女性はダモンと同じく可愛い愛玩物である。だが、凄まじい迫力にすっかり気圧(けお)されてしまった。これも一種の戦いだと感じる。


 リゲルとしてはイアンの命を預かっているし、師弟であるイザベラの命も助けたい。イアンの要望にできるだけ応えつつも、失敗はしたくない。


 ヴィオラのほうも女の意地だ。男に弄ばれたという事実を受け入れるには、きっかけが必要だ。踏ん切りをつけるために、イーオーと話したいのだろう。


 ヴィオラの青い瞳……涙を一杯にたたえ、ギリギリでこらえているその瞳にイアンは真実を見た。


 理屈で解したのではない。すべてにおいて感覚的なものだ。だが、イアンのそれは絶対に外れない。口を挟むのが憚られる状況下、思い切って緊張を裂いた。



「リゲル、行かしてやろう。彼女は誇り高い女性だ。男のために俺たちを売ろうとはしないはずだ」



 ヴィオラがハッとした顔でイアンを見る。キツい目つきが一瞬だけ和らぎ、隠された内面が覗いた。

 

 強がっていても、本当はゼリーのように柔らかな人。被膜で覆われたその青い瞳に捉えられると、呼吸が止まりそうになる。美しい人だ──イアンは頬を火照らせ、そう思った。

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