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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)一章 壁の出現
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5話 盗賊の親分

 王女の居場所と聞いて、盗賊の声色が変わった。


「王女がどこにいるか知ってんのか?」

「王女様は兵士の装いをされ、数十人の供だけお連れになり、宿営地を離れられました。モズの古代遺跡にて、合流する約束をしています」


 ミリヤはか細い声で答えた。

 男たちはミリヤの言葉を信じたようだ。一人が衣装を乱暴に取り出し始めたのを、もう一人が止めた。


「やめろ! 汚ねぇ手で触ったら、ドレスが汚れちまう」


 男たちはミリヤを連れ、騒々しい音を立てて、出て行った。ユゼフの体は徐々に弛緩していく。ディアナを解放したのは静かになってからだ。

 気が抜けたのはディアナも同じだった。ユゼフの腕の中、固くなっていた体は軟体動物のごとくスルッと抜けた。助かった安堵による放心が少時。体の自由を奪われていた事実に気づいた。立ち直るのは意外と早かった。


「覚えていなさい。私にこんなことをして、国に帰ってからどうなるか……」


 ユゼフの胸を指先で強く押し、ディアナはくぐもった声で威嚇した。

 ユゼフは何も答えず、幌の破れたところから外をのぞいた。先ほど、捕虜をいたぶっていた熊のような大男がミリヤを連れている。

 辺りは明るくなっていた。しばらくすれば、幌の中にも日の光が射し込むだろう。男たちの来るのがもう少し遅ければ、見つかっていたかもしれない。


 ──運とミリヤに救われた

 

 熊男はミリヤの服を剥ぎ取り、上にまたがっている。血と垢で汚れた男たちが、ある者はニヤニヤ笑い、ある者は(はや)し立て、その周りに集まってきた。


 ──王家の侍女とは、あそこまで忠義を尽くすものなのか


 そんな考えがユゼフの脳裏をよぎった。逃走中の勇敢な行動や自らを犠牲にしてまで王女を守る姿。ただの小娘ではない。

 似たような境遇の彼女に、ユゼフは親近感を抱いていた。

 ただしユゼフの場合、彼女とは決定的な違いがある。ユゼフは王家への忠義ではなく、別の理由でディアナを守ろうとしている。気弱な仮面を被っていてもミリヤは戦士だが、ユゼフは違う。

 だから、ミリヤが男たちに辱しめられているの見て、罪悪感を持たずにはいられなかった。

 ユゼフが王女を守る理由、それは……一つは壁の向こうにいる家族のため。もう一つは……

 急に男たちがざわつき始めた。


「アナン様だ」

「おかしらが来るぞ!」

 

 一人が怒鳴ると、賊たちは道を空け姿勢を正した。


 ──あれが頭領か


 肩を怒らせ、やって来たお頭は、ユゼフの抱いていたイメージとだいぶかけ離れていた。顔に傷はあるものの、若く、どことなく貴族的な雰囲気があった。

 長い黒髪に、額から右頬まで走る深い傷痕。なにより特徴的なのは美しい顔立ちだ。皮膚は浅黒く、身長はユゼフと同じくらいか少し低いぐらい。熊男と並ぶと小柄にも見える。耳や手にたくさんの宝飾品を身に付けており、胸当ても朱色で一風変わっていた。


 ──あれ?

 

 知っている顔によく似ている……

 だが、考えるよりまえに意識がそれた。背後の男に目を奪われたのである。

 そこにいたのは、兄ダニエル・ヴァルタンの従者のベイルだった。

 内通者がいるとは思っていた。それが、まさかベイルだったとは……

 

 寒さと乾燥のせいか、ベイルの猫背はいつにも増してひどくなっていた。顔色の悪さはいつもどおり。紫の唇を歪ませ、醜悪な笑みを浮かべている。ナメクジみたいな舌で唇の端を舐めた。


 こんな時になぜだろう?

 ユゼフの腹がグルグルと音を立てた。外まで聞こえるはずはないのだが、小さな音でも身の縮む思いがする。案の定、ディアナがにらんできた。

 そういえば、ユゼフはベイルと何度か食事をしている。私生児ゆえ、父母や兄たちと食事することは許されず、使用人と一緒か、一人別室でとっていたのだ。

 ベイルとの食事は楽しくなかった。会話のほとんどが家族の愚痴や他の家来、使用人の悪口だったからだ。また、ユゼフに対して、見下した態度を取ることもあった。


「アナン様、王女は逃げたようです」

「なんだと?」


 熊男の言葉に、頭領アナンはギロリと鋭い目を光らせた。とたんに熊男は身を縮こまらせ、おどおどした態度に変わった。


「ご容赦くだせぇ。この女から居場所を聞き出しました」

 

 熊男は半裸姿のミリヤを頭領の前に引きずり出した。


「モズの古代遺跡で、逃げた家来共と落ち合うようですぜ?」

「その女の言うことは確かか?」


 ミリヤは震えながら、泣きじゃくっている。


「ほら、こんなにおびえて……ただの小娘だ。すぐに吐きましたよ!」

「それはそうと、すべて(くま)なく探したのだろうな? 糞桶から壺の底に至るまで?」

「ええ。それはもう……」

 

 熊男は何度もうなずいた。


「金目の物は?」

「そちらの馬車の中にありやす! 宝石やら豪華なドレスやらが。あと、女が二十人ほど!」

「よし、中を確認しよう!」


 ユゼフは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。


「アナン様、お約束の物はいつ、いただけるのでしょうか?」

 

 アナンを止めたのはベイルだった。おずおずと尋ねていても、欲深い目つきはいやらしい。


「おや? 報酬はコルモランから、もらうのではなかったのか?」

「もちろん、そちらからは正当な報酬をちょうだいしますが、情報提供の他、戦いに置いて良き働きをすれば、戦利品の宝石をくださるとアナン様はおっしゃっていました」

「ふぅん……おまえの申す良き働きというのは?」

「寝ていたダニエル・ヴァルタンの首を打ち取りました!」

 

 賊たちはどよめいた。

 ダニエルはカワウとの戦争中、前線で華々しい戦績を残した英雄である。鋼の巨躯を持ち、大剣を振り回すさまは、まるで軍神のようだと噂されていた。一人で百人を斬ったという伝説もあったほどだ。


「首が見たい」


 アナンが言い、ベイルは赤く染まった布から首を出した。

 ユゼフは息を呑んだ。背中がゾワゾワする。離れていても、とても嫌な気分だ。首だけになった兄の顔を拝むのは──

 目は固く閉じられ、唇はキュッと結ばれている。血の気のない顔は作り物のようである。眉間に深く刻まれた皺だけが、彼の無念さを物語っていた。


 それはユゼフの兄、ダニエルに間違いなかった。

 

 兄とはいえ、他人に近かった。この嫌な感じは悲しみではない。

 十二歳のユゼフがヴァルタン家にやって来た時、カワウとの戦争は始まったばかりだった。二人の兄は戦地へ行って不在だったのだ。

 たまに休暇で帰って来ても食事は別だし、ユゼフはよそ者の私生児。年齢も十以上離れている。兄たちの眼中には入っていないようだった。ダニエルの滞在中は小性のように付き添って雑用をすることもあったが、使用人や従者に対する扱いと変わらなかったのである。

 

 性格や見た目もユゼフは兄たちと異なっていた。

 特にダニエルは父にそっくりな頑強な肉体と厳格な性格の持ち主だ。一方のユゼフは痩身。色白で物腰柔らか。

 一度だけ兄たちの稽古を見学中、刃引きした剣で手合わせしたことがあった。兄からすれば、子供相手のちょっとしたお遊び。充分手加減していたのだろうが、ユゼフは肋骨を二本折った。

 その兄が今、首だけの姿で数キュビット先にいる。

 

 大きく感じていた兄の顔は首だけだと小さく見える。ユゼフは動揺していた。兄だからではなくて、豪傑が薄汚い裏切り者の手にかかり、無惨な姿へ変わっていたからである。

 アナンはしばらく、差し出された首をじっと見つめていた。


「なるほど。これはダニエル・ヴァルタンに間違いないな?」

「さようでございます」

 

 褒美を待ちきれないベイルは、うっすらと笑みを浮かべた。


「では、約束通り報酬をやろう」

 

 言い終わらないうちに、アナンは背中の大剣を手に取った。そして……

 袈裟斬り!──ベイルを真っ二つに切り裂いた。

 

 音もせず、裂かれた肉体は崩れ落ちる。

 あまりに早かったため、斬られたことに気づかなかったのか、ベイルは薄笑いを浮かべたまま地面に突っ伏した。赤い飛沫が飛び散ったのは終わったあとだ。


「裏切り者にふさわしい報いとは──死だ」

 アナンは一連の行動を眉一つ動かさずにやってのけた。


「穢れた血を浴びてしまった。宝は隠れ家に帰ってから確認する」

 それだけ言い、ユゼフの視界から消えた。


「アナン様、この女はどういたしますか?」


 大声でアナンを追いかけるのは熊男だ。ミリヤの首根っこをつかんでいる。


「おまえが捕えたのなら、好きにすればいい」

 

 熊男は嬉しそうに一礼した。

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

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― 新着の感想 ―
[良い点] この回より作者様の描かんとする世界。そして決意が見て取れるような気が致します。これからもけしてご都合主義や読者に忖度や媚た展開にははなりますまい。読んでいて信頼出来る作家さんである。当初か…
[良い点] なかなかにハードな物語ですね。 ダークな雰囲気満載で期待してます。
[良い点] アナンの正体が気になりますね。 序盤からなかなかハードなシリアス展開ですね。 それとアナンの正体が気になりますね。 しかしベイルも哀れですね。 まあある意味裏切り者らしい末路ですが…… …
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