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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第三部 グリンデルの王子達(前編)
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71話 もう一人の守人イザベラ

(イザベラ)


 牢獄は寒かった。小さな明かり取りから日が差し込むのは、一日ほんの二時間程度。外より冷えるんじゃないかとイザベラは思う。


 毛布にくるまっても、夜になると震えが止まらない。でも、この震えの原因が寒さだけでないことは、よくわかっていた。


 恐怖──


 自分のことじゃない。愛しい人が壊されてしまう。


 その愛しい人は、イザベラの手から離れてしまったというのに──


 (ディアナ)に彼を奪われ、イザベラは絶望感に苛まれた。苦しみ、追い詰められるうちに、自分が自分じゃないような気までしてくる。二人が仲睦まじく腕を組み、笑いながら囁き合う姿を見て、心を切り裂かれた。何度も何度も……


 いっそのこと、命を絶とうと考えたこともある。 


 

 ──神様、彼のことを殺したいほど憎んでいました。ディアナ様に微笑む彼を見て、この手で終わらせてしまおうと何度も思ったのです。でも今、彼が悪魔の手に落ちてしまった今は……死んでほしくない。殺そうと思ったことを悔いています。もう、二度とそんなことは思いません。私の命を彼に捧げてもいいから……だから、だから……



 一滴……頬を伝う。散々泣いたのに涙というものは、いくらでも湧いてくる。決して枯れはしない。



 ──今度、生まれ変わる時はまた……ディアナ様の守人だろうけど、なんとか契約を解除して、荒れ地を潤す女神様になりたい。私は愛する彼を思い、永遠に涙を流せるから



 心の中で希望を呟く分には、誰も咎めたりしない。イザベラは好きなだけ思いを馳せた。



 ──彼の弾くピアノでもいいわ



 演奏会での一件を思い出せば、胸が締めつけられる。


 俺を見ろ──サチはそう言ったのだ。


 熱を帯びた黒い瞳。まっすぐにイザベラを捉え、そのまま雁字搦(がんじがら)めに縛りつけた。自分の声とピアノの音が一つになり、溶けていく快感。



 ──まるで、まるで……そう……



 イザベラは顔が熱くなるのを感じた。そのあとの言葉は心の中ですら、呟くのが躊躇われる。魂のごくごく敏感な所をまさぐりあい、彼と繋がったのだ。彼に触れられている気がした──

 

 その後に迎えた絶頂は、頭の中が真っ白になるほどの快楽に満ちていた。穢れなき乙女であるイザベラはそれを恥じた。と、同時にサチに対する執着が増したのだった。



 ──でも、彼はディアナ様とあんなに仲良しだったんだもの。あの時のアレはきっと私の妄想というか、思い違いよ。彼のことが好きなあまり、ちょっとおかしくなってしまったんだわ



 この回想は性的な要素をはらんでおり、イザベラは全身を火照(ほて)らせた。温められた血潮は元気よく全身を駆け巡り、精気がすみずみに行き渡る。震えは完全に収まった。



 ──逃げなければ



 ナスターシャ女王はイザベラを従わせるため、ありとあらゆる手段で洗脳するつもりだ。


 洗脳に使うのはすべての感情。憎悪、羞恥、悲嘆、苦痛、絶望……ここにいれば、間違いなく身も心も汚される。そうなるまえに逃げたい。


 牢に繋がれる直前、拷問部屋を通った。


 そこで見た光景は思い出すだけでもゾッとする。一見、巨大なぼろ雑巾が人間だと気づいた時、イザベラは戦慄した。老婆のごとく、ボロボロにされた全裸の女が横たわっていたのである。

 「殺してくれ」と何度も呟く女を、看守は笑いながら槍で刺した。そして、こう言ったのだ。



「最初が一番楽しい。ひと月前はこの()もおまえみたいに余裕ぶっこいてたさ。だいたい、数日で壊れるからな。その後はもう飽きる」



 “娘”と言ったのだ。

 舌なめずりする看守の視線を受けて、イザベラは悟った。ここにいれば、数日でさっきの老婆のようにされるのだと。



 ──サチを置いては逃げられないわ。でも、今の私に助けることはできるのかしら?



 イザベラは葛藤していた。サチやディアナを置いて逃げたら、そのあとは? 早く助けなければ、あの二人だってただでは済まされまい。


 とはいえ、どこにいるのかもわからないのだ。一度、城外へ出てしまったら、どうやって中に入ればいいかもわからない。



 ──ここで逃げたら、一生後悔することになるわ。けど、残ったところで何もできやしない



 結局、決められないまま、とりあえず獄内を探索することにした。運よく、情報が入れば儲けもの。ただし、期待はしないことにした。これ以上、絶望はしたくない。



 看守が居眠りしている隙に「解除」の魔法で錠を外す。特別変わった物でなければ、これでだいたい通用する。イザベラの特技だ。


 イアンの謀反の際、ローズ城に人質として囚われていたことが思い出される。何度、閉じこめてもイザベラが出てしまうので、最終的にイアンはあきらめたのだった。


 この能力のおかげで、サチに急接近できたのである。入浴を手伝ったり、人質のグリンデル人の身体検査をしたり……あと、料理の手伝いもした。



 ──あのころは、よかったなぁ



 それから魔国へ行って……イアン、ニーケ、サチ、イザベラの四人で家族のように暮らした。皆で仲良く料理をしたり、釣りや水遊び、雨の日は楽器を奏でて──イザベラの体感では、ほんの一年前だ。


 今、歩いているのは、寒い上に恐ろしい呻き声が聞こえる地下牢。現実は厳しい。


 呻き声に混じって、すすり泣く声まで聞こえてくる。呻き声とつながるのは苦痛だが、すすり泣きとつながるのは悲しみだ。こちらのほうが聞くに耐えなかった。どうしても、自分と重ねてしまう。イザベラはふたたび涙を滲ませた。


 しかも、そのすすり泣きときたら、進行方向から聞こえてくる。イザベラは背を向けて引き返そうと思った。だが、反対方向にはあの恐ろしい拷問部屋がある。結局、我慢して進むことにした。


 すすり泣きというより、むせび泣きだ。本当は大声で泣き喚きたいのにグッとこらえている感じ。ときどき、もれてしまう声や吐息が、なおのこと胸を締めつける。


 イザベラは足音を立てず、その独房の前まで来た。魔法の類はいっさい使っていない。下が剥き出しの土だから、技術だけで無音になれる。


 泣いているのは女性かも……とイザベラは思った。こんなところに囚われ、生きた心地がしないだろうに……が、ちょっとした違和感がある。通常の女性なら悲しみより、恐怖が勝るはずだ。それなのに、この泣き方は自分を責めるような、誰かを憐れむような……そんな悲しい泣き方なのだ。恐怖で泣くのとは違う。


 通り過ぎるまえに、イザベラは思い切って独房の中をのぞいてみた。イザベラの独房と間取りはまったく同じだ。小さな明かり取りからもれる月明かりが()()を照らしていた。淡い月明かりだけでも、夜目が利くイザベラには充分である。


 しおれた獣の耳が見えた。ふわふわした大きな耳が頭についている。



 ──亜人!?



 この城で亜人が生き残れる可能性は皆無だ。これから嗜虐趣味者に(なぶ)られることを考えたら、今殺してあげたほうがいい。


 まったくの無音だったのに、気配を感じとった亜人が顔を上げた。殴られたのだろう。頬を腫らしている。その顔には見覚えがあった。



「ダーラ??」


「だれ?」


「私よ、イザベラ」



 アスターの従者のダーラだった。

 

 時の壁で時間移動しているので、イザベラからしたらダーラと会うのは一年ぶりだ。ダーラからしたら、六年ぶりの再会だが。



「血がついてるわ。殴られたのね。かわいそうに……けがは他にない? 癒やしてあげるわ」



 イザベラはなんの考えもなしに錠を解除し、ダーラの独房に身を滑り込ませた。

 

 キキキ……鉄格子の扉が小さな音を立て、看守のいびきが大きくなる。大丈夫。まだ寝ている。ここは地下牢の奥だから、入り口で見張っている看守が気づいても、来るまで時間がかかる。



「イザベラ……」



 ダーラは懸命に状況を整理しているようだ。ハタと気づき、かざしたイザベラの手首をガチッと掴んだ。



「魔法で回復する必要はない。おいらは大丈夫だ」



 さっき泣いている時にもれていた声は女性を思わせたが、今は低い男の声だ。体つきも以前より一回り大きくなっている。太い筋肉に覆われた胸板は、服の上からでもわかる。イザベラは近くまで来て気づいた。


 彼はもう、イザベラの知っている少年ではない。立派な雄の成獣だ。



「どうしてあなたがこんな所に??」


「ユマ……ユマお嬢様をご存知ではないですか? ディアナ様にお仕えしようと、こちらへ向かったはずなのです」


「ユマ? 知らないわ、そんな子は」



 ダーラは、安堵とも嘆きとも受け取れる溜め息を吐いた。



「よかった……ディアナ様が囚われ、侍女はみんな売られたと聞いて気が気じゃなかった。ユマがここに来てないなら大丈夫だ」


「えっと……だれ? ユマって?」


「アスター様の娘です」



 イザベラはダーラに身を寄せた。寒かったのもあるし、囁き声で会話しているから近いほうがいい。大人の男性にくっつくのは気が引けるものの、口を開けばやっぱりダーラだ。少々獣臭いのも。ぼんやりした口調も。優しい目元も──イザベラはすっかり警戒心を解いた。


 ダーラは淡々と自分の身に起こったことを話した。かしこまった話し方は次第に崩れていき、昔のダーラに戻っていく。


 アスターの次女のユマと恋仲だったこと。妊娠させてしまい、駆け落ちを決意したこと。直前になってアスターを裏切れなくなり、ユマだけが屋敷を出て行ったこと──


 冷たい石は声をよく反響させる。ダーラの声は男にしては高めで、芯が通っていた。囁き声でも鈴音のような清廉さがある。聞いていて心地よかった。

 明かり取りからこぼれる月光がスポットライトになり、二人だけの小さな世界を作り出していた。


 生まれも育ちも全然違うのに、親近感が湧くのは何故だろう。一時、共に旅しただけの間柄。あれから、二人はまったく別の道を歩んだ。ダーラは希望と愛着、イザベラは惰性と安定によりそれぞれの主に仕える。共通点は強い忠義心が二人を動かしたってこと。


 すべて聞き終えてから、イザベラは口を開いた。



「それはダーラ、あなたが悪いわ。男同士の友情やら忠義より、愛を優先するべきよ。愛は常に一番上なの。彼女はひどく傷ついたでしょうね」


「わかってる……自分が悪いってことは。だからグリンデルまで追いかけたんだ。でも、ここにいないってことは、お嬢様はどこにいるんだろう」


「グリンデルへ行くって言ってたんでしょう? 百日城が大変なことを知って、まだ城下にいるのかもしれないわ」


「そうか……おいら、本当にバカだな。ティムの言うとおり団子虫だ」


「そんなことない! 一人で彼女を助けるために、この城へ乗り込んだんでしょう。えらいわ」


「いいや。浅はかだった。ユマは別の所にいる。これじゃあ助けにも行けない」



 イザベラはピコピコ動く獣耳を眺めた。腰からは大きな尻尾が服を破って飛び出している。ふさふさの毛塊には、思わず触りたくなってしまう魅力がある。


 イザベラの視線に気付いたダーラは自嘲した。



「収監されてる間に魔法薬の効果が切れちまった。おいら、確実に殺されるな。もうおしまいだ」

 


 そういうことか──と。

 ダーラは素直で優しい、いい子だ。このグリンデルから逃れ、五首城を通り夜の国へ……旅をしたのは六年前。イザベラにとっては一年前。一緒に歌ったり、そう……花をプレゼントしてくれたこともあった。


 魔国で恐ろしい目に遭ったイザベラは、よくも知らないユゼフたちと旅をすることになった。唯一の支えだったサチはずっと目覚めなかったし、目覚めてからはイザベラに冷たかった。

 強がっていても、イザベラだって十七そこらの娘だ。不安で仕様がなかったのである。


 同じ年頃で、自然に接してくれるダーラの存在は本当にありがたかったのだ。


 亜人だからといって、ダーラのような子が殺されてはいけない。イザベラは強くそう思った。



「おしまいなんかじゃないわ」



 言葉は自然に口をついて出た。ダーラの黄金色の瞳に捉えられる。亜人の瞳や髪色は美しい。時にハッとするほど、生命力に溢れている。



「逃げましょう。一緒に」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ダーラも捕まってたんですね(;´д`)
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