64話 売られる侍女たち
(ミリヤ)
男達が好色な目をこちらに向けている。彼らは女衒。娼婦を売り買いする仲介人。
職業に貴賤をつけてはいけないと、ご立派な平等主義者は言うが、彼らにも当てはまるのだろうか……とミリヤは思う。
卑しい目つきで女の体を舐めまわし、品定めする。
ディアナの侍女たちは素っ裸にされ、女王の間に立たされていた。いい見せ物だ。
ディアナとシャルル(サチ)を投獄した後、ナスターシャはディアナの侍女を全員殺すつもりだった。
二十人いた侍女が全員、女王の間に集められる。殺戮ショウが今にも始まらんという時、悪魔の気まぐれに助けられた。
ディアナの侍女は皆、粒揃い。殺すのは、もったいないと。寸前で、売って金にしようということになったのである。
「そうだ! おまえたちを売った金はディアナの花嫁衣装に充てよう。ディアナも喜ぶし、おまえたちも本望であろう」
ナスターシャは高笑いした。
そうと決まれば、殺戮ショウから破廉恥ショウへと変わる。女衒が呼ばれ、侍女たちは裸に剥かれた。見物する貴族たちは好色な視線を美しい裸体に走らせる。無慈悲な競りが始まるのを心待ちにした。
恐怖と恥辱に震える娘たちは哀れ。羨望と誉れであった美しさが、汚辱と苦痛に変わる。
その中にミリヤもいた。
ナスターシャは楽しそうに扇を広げ、高みの見物だ。貴族たちはどの娘に一番の高値がつくか、賭けを始めた。
恥ずかしがって胸や尻を隠そうものなら、引き出され鞭打たれる。娘たちは震えるか泣くしかなかった。
ミリヤは平然と裸体をさらけ出した。怯えた演技もできるにはできるが、したところで意味もない。もう開き直っていた。
大きな乳房も丸い尻も、秘部を隠そうとする恥毛も余すところなく、さらされる。見る人が見れば、気づかれる。ミリヤは細くても、鍛え磨かれた筋肉をまとっている。乳と尻以外に余分な脂肪は蓄えていない。
女性としての美しさを備えつつ、ミリヤは戦士でもあった。
競りが始まる。
「二百! いや三百!」
「四百!!」
「四百十!」
唾を飛ばし、金額を吊り上げる者。できるだけ低額で手を打とうと、顔色をうかがう者。修羅場となった。競り落とされた娘は、保護者ができたことに安堵の表情を浮かべる。一人では生きていけない娘にとって、何者だろうが主は必要なのだ。たとえ、性奉仕させるのが目的だとしても。
活気に溢れていた。威勢のいい声は市場を思わせる。
競りの対象が肉魚、青果ではなく、女というだけの違いなのかもしれない。用途が食欲に当てるか性欲に当てるか、ただそれだけの違い。すぐにシメるか、ゆっくり殺すか……どのみち、大きな違いはあるまい。
競りの活気も、娘たちの悲喜こもごもも、ミリヤには遠い異界の出来事と思われた。
イザベラがこの場にいなくてよかったと、ミリヤは思う。彼女はディアナの家来ではあるが、侍女ではない。落ちぶれたとはいえ、名家の娘であるイザベラは牢につながれた。ナスターシャ女王はイザベラを自分のそばに仕えさせるつもりのようだ。
「ありとあらゆる手を使って、再教育してやろうぞ。もう二度と逆らわぬようにな? 妾に従順な僕となるように」
そう言うナスターシャの瞳は嗜虐に満ちていたので、ミリヤたちより酷い目に合わされるかもしれなかった。
だが、ミリヤはそこまでイザベラのことを心配していなかった。イザベラはミリヤより能力が高い。戦闘、魔術、知能、すべて上回る。そのうえ、ナスターシャはただの小娘だと思って油断している。イザベラなら逃げられると、ミリヤは踏んでいた。
問題はどうやって我が主ディアナを助け出すか……だ。この城は迷宮である。一度外に放り出されたら、外部から攻めるのは困難。
──やはり、誰かの力を借りなければならないか
これを考えるのは気が重い。ヘリオーティスに協力を要請する手もあるが……ミリヤはヘリオーティスを信用していなかった。
シャルルとその忠臣も囚われの身、となると……
助けを求める相手はユゼフに絞られる。ユゼフに色仕掛けはもう通用しないだろう。お互い本性はバレているから、素の状態でお願いすることになる。これはミリヤのもっとも苦手とするところだった。偽りではなく、敵に頭を下げるというのは。
それに加え、ミリヤを苦しませているのは自身の存在価値だった。
屋上庭園にてクリムト、ジェームスの首を見せられ、襲われた前日──演奏会のあと、ディアナとミリヤは大喧嘩した。
寝るまえ、ディアナの髪を梳きながら、ミリヤは差し出がましいことを言ってしまったのである。
長い軟禁生活のせいかもしれなかった。不自由な生活は確実にミリヤの精神を蝕んでいた。以前だったら、絶対しないような生意気な言動をしてしまったのだ──
「シャルルって、本当になんでもそつなくこなすのね。どんくさいユゼフとは大違い。背が低いのが難点だけど、顔も可愛いし、話すことも気が利いてる。彼とは、うまくやっていけそうだわ」
ディアナが楽しそうに話すのは演奏会での一件だった。恥をかかせるつもりだったナスターシャに対し、素晴らしい演奏を披露したのは爽快だったと。寝るまえだというのに、興奮冷めやらぬディアナは延々としゃべり続けていた。
ネグリジェに着替えたディアナは子供を三人産んだとは思えないほど、乙女ちっくな雰囲気だった。燭台の灯りを少しだけ残しているから、可愛らしい影が揺れる。
部屋の中央にて、ディアナの世話をするのはミリヤとイザベラだけだ。他の侍女はほとんど自室へ帰ってしまった。控えているのは、部屋のすみに数人だけ。
温水暖房で暖められた部屋は、ほどよい眠気を誘う。ミリヤはあくびを必死に堪えながら、ディアナの話を聞いていた。
「彼ったら演奏に向かうまえ、私の手を握りしめてキスしたの。なんだかドキドキしちゃった。所作の一つ一つが洗練されていて、まったく嫌味を感じさせないのよね。でも、あの演奏は美しいだけじゃなくてエロティックだったわ。彼ってば、淡白なように見えて、ときどきすごく熱っぽいのよ。そういうところも好き」
最初は全然乗り気じゃなかった見合い話。だが、ディアナはシャルルを甚く気に入ってしまった。これはイザベラだけでなく、ミリヤにとっても想定外であった。
まさか、不義の上にできた私生児を、ついこの間まで庶民に紛れて生活していた男を気に入るとは、思ってもなかったのである。
とくにイザベラの消沈ぶりは、すさまじかった。口数も少なくなり、お洒落もしない。つねにいじけて、うつむくようになった。
ディアナは平然とイザベラとした約束を破り、シャルルとの仲睦まじい姿を見せつけた。そう、対面するまえにディアナはイザベラと約束している。シャルルがイザベラの想い人だから、手を握らない、目も合わせないと。形だけのお見合いだし、興味もないとディアナは言っていたのだ。それなのに……このままだと、イザベラを第二夫人にするという約束も危ういかもしれない。
「だって彼、妻は二人もいらないって言ったのよ。第二夫人の話をしたら、勝手に決めるなって怒っていたし。イザベラが思ってるほどじゃないんじゃないの? 彼のほうは。一方的に気持ちを押しつけられても、迷惑なだけよ?」
調子に乗って、こんなことまで言う。陰気なイザベラは何も答えなかった。
しかし、後ろ盾に何とか支えられている今、シャルルの存在は重要だ。結婚すれば、グリンデルとの関係はより強固になる。
「ならば、シャルル様と早く関係を結ばれませ。ただの仲良しでは意味がないです。操作できなければ」
ミリヤは思わずピシャリと言ってしまった。ディアナは驚いた顔で振り向き、しばし言葉を失った。
いいかげん、おままごとみたいなノロケ話を聞き続けるのに、ミリヤは飽き飽きしていた。なにより、イザベラが痛々しくて哀れだったのだ。
「なんてこと言うの、おまえは……」
ディアナは一回言葉を飲み込んでから、話を再開した。
「よく、そんな心ないことが言えるわね」
「申し訳ありません。出過ぎたことを」
「本当にそうだわ。なら、私も言わせてもらう」
ディアナの深緑の瞳は、激しい怒りに燃え始めた。
「どうせ、私がまだユゼフのことを引きずってると思ってるんでしょう? そんなことはないわ。子供じゃないんだから。私がシャルルとの結婚を踏み切れないのは、おまえのせいなんだからね?」
ミリヤは眉を顰めた。なぜ自分が関係するのか、意味がわからない。
「じつはシャルルからプロポーズを受けている。条件を飲めば、私と結婚したいって。おまえたちが寝たふりをしてる時、私たち二人っきりになったでしょう? その時よ」
勝ち誇った宣言にイザベラの肩が震えた。ああ、あの時か……とミリヤは思った。夜中に皆で集まって遊んでいる時、二人きりで話したいから寝てるふりをしてくれと頼まれたことがあった。
シャルルは、おそらくサウル王の生まれ変わりだとミリヤは思っていたので、猛反対したのだが、ディアナは聞く耳持たずで……
結局、今のシャルルにとってディアナの存在は必要だから、命を奪うことまではしないと判断し、任せたのである。
「結婚の条件は三つ出された。まず一つはヘリオーティスと手を切ること。二つ目は結婚後、亡命すること。三つ目は主国の権利をシーマに譲ること。その代わり、グリンデルを手に入れると」
ディアナは打ち明けた。
二つ目まではミリヤでも理解できる。ミリヤもヘリオーティスには疑問を感じていたし、亜人の血を引くシャルルが受け入れ難いのは当然のこと。亡命もわかる。このままグリンデルにいれば、生殺しにされる。ナスターシャ女王の道具になるか、本当に殺されるかのどちらかだ。
説明が必要なのは三つ目──
「正直、私たちギリギリのところよね? 叔母様の支援を失ったら完全に立ち行かなくなるわ。でも、叔母様の目的は私とシャルルを結婚させて、王子を産ませることだけ。私に王位を渡す気はないのよ。私に協力したのは、シーマの不当性を訴えて、主国に戦争をふっかけたいから。ガーデンブルグの正当な後継者は私とシャルルの子だと主張して、主国まで奪い取るつもりなんだわ」
ディアナの言っていることは正しい。ミリヤもそれはわかっていた。
グリンデルへ行くまでは、シャルルがナスターシャ女王から王位を奪うことも期待していた。しかし、雁字搦めの今の状況ではどうにも難しい。とりあえず、二人で亡命して支援者を得ないことには……
「それで出たのが三番目の条件よ。叔母様に対抗するための。亡命したあと、シーマの手を借りるという……」
「そんな無茶苦茶なことありますか。シーマが手を貸すなんてこと、絶対に有り得ません」
ミリヤはつい口を挟んでしまった。大喧嘩真っ最中の相手に協力を仰ぐとは、本末転倒もいいところだ。ディアナは気にせず続けた。
「私もそう思ったのよ。たとえ、主国の王位は渡します、ごめんなさい……と言ったところで、納得するわけがないわよね。ヴィナスのこともあるし。でも、シャルルは可能だと言う。シャルルはこの六年間、シーマのためにいろいろと働いたんだって。蓬莱の水も取ってきたし、シオン王子のことも守ってたらしいの。よくわかんないけど」
「戯れ言です。あの方は最初イアン・ローズに仕えていたので、シーマからは離れてくれると思っていたのですが……」
「シーマのことは嫌いらしいけど、ヘリオーティスはもっと嫌いなんだって。だからヘリオーティスと関係を続けるかぎり、共闘は有り得ない」
「シャルル様がヘリオーティスを嫌悪するのは、わかります。でも、それは互いに歩み寄っていただかなければ。ナスターシャ女王とことを構えた場合、ヘリオーティスの力を失ったら、自衛すらできません」
「そこのところ、シャルルは譲らないと思うわ。ヘリオーティスは絶対に認めない」
「でも、それだと……」
「ミリヤ、おまえよ。おまえが鍵になるの」
「えっ……!?」
「シャルルはおまえをシーマに差し出せと。ヴィナスを死なせた責任を全部おまえに押し付けて、差し出す。そうすれば、シーマも矛を収めてくれるって」
今度はミリヤが絶句する番だった。




