63話 グリンデルの王子たちは
ランディル──
グリンデル元国王ニュクスとクラウディア王妃の第二王子。兄エドアルドと同様、殺されたことになっている。シャルル(サチ)の弟。
(ランディル)
さて、まずボクとサチの関係性からだったね。
えーと……ボクは記憶を失うまえのランディルなんだけど、正確に言うとランディルではない。さっきも言ったとおり、ランディルの人格と思念の残り滓みたいなもんだ。本当のランディルは別にいるからね。
本当のランディルとは二度、会っているかな?
一度目は花畑島の教会。イアンが拾って来た子供。震える手でお茶を運んで来ただろう?
二度目はね、夜明けの城の知恵の館。ほら、クリープと最後の別れをした時だよ。レーベという名の少年と一緒にいた。
覚えてない? まあ、無理もないか。君にとっては、ただ視界に入ったくらいの出会いだったろうからね。
ボクがそれを知っているのはね、ボクが君の一部だからだ。ボクの正体は、君の中に避難したランディルの主人格ってところだろうか。君とボク……ランディルは根っこの所で、つながっているから。
もっと話を分かりやすくしよう。
エゼキエル、ユゼフが現世に転生する時、自身の記憶と人格の一部を黒曜石の城に封印しただろう? エゼキエルの場合は大切な家族、家臣を目の前で殺され、自身も燃やされた。その時の記憶を別に分けたんだ。
魔王になるまえの穏やかで優しい彼はユゼフの中に。復讐心に燃え、残忍な性格を持つ魔王は黒曜石の城に。
それと一緒さ。アフロディーテやイシュマエルも同様だ。二人の人間に分けて転生している。どちらかが死んでも大丈夫なようにね。
サウル、君の場合はシャルル王子、つまりサチ・ジーンニアとボク、ランディルに分けて転生した。二人が一体化することによって転生は完了するんだけど、その話はまた今度にしよう。
まずはなぜ、ボクの人格が君の中に入り込んでしまったかについて。
十四年前、ボクと兄のエドアルドは忠臣たちによって逃がされた。「許しなき一週間」の話は有名だから、君も知っているだろう。その時、ボクたちの仲間は拷問され、ほとんど殺されてしまったんだ。残ったのはマリィとジャンの姉弟だけ。
ボクたちは魔国との国境近くまで追い詰められた。勇猛果敢な騎士が必死に戦ってくれたよ。命がけでね。彼らもみんな死んでしまった。でも、そのお陰でボクとエドアルドは国境を越えて、魔国へ逃げることができたんだ。突如、現れた時間の壁がボクたちを守ってくれた。
魔国へ逃れてからは、ひどい生活が待っていたよ。
ボクら兄弟はドゥルジという魔人に拾われた。嗜虐趣味の変態だ。たび重なる虐待に、ボクもエドアルドも心を削り取られていった。ボクは自分の心が消えるまえに君の中へ移ったのさ。
元は一人のサウルだったから、ボクたちは根っこの所でつながっている。片方が死ねば、もう片方の心は生きているほうへ移ることができる。
そういうわけでサチ、君の中にボクがいるってわけ。一方、本当のランディルはすべての記憶を失って、別人として生活しているみたい。詳しいことはわからないけど。
おそらく、ボクは君に移った時点で死んでしまったんだろうね。もう本当のランディルとは、つながれないんだ。
ボクが何者かわかったところで、「尖った塔」の話をしようか。
そう、魔王エゼキエルを倒したサウルの剣を模しているね。教会の屋根に見られる特徴的なデザインだ。
ちなみに本物の剣は魔国にあるよ。業火の中、決して朽ちないエゼキエルの肉体を貫いたままになっている。たしか君が「アレ」に反応し始めたのは、サウルが現れるようになってから。
シーマの放った暴漢に襲われ、君が瀕死の重傷を負った時。大切な妹が、マリィといったっけ? 百日城のどこかに囚われているマリィの娘だ。マリィは大けがをして死にそうだった。そんな彼女を暴漢どもは、辱めようとしたんだ。
君はそのとき、こう思った。
神などいない。俺は神を信じない──と。その言葉が引き金となり、サウルは目覚めた。
暴漢どもを引きちぎり、血肉をすする。魔人の本能だね。肉体の損傷は修復された。
妹を助けられたし、自分自身も助かった。でも、その代償に自分が人間じゃないことを知る。殺されかかったこと、妹を危険にさらした慚愧※がトラウマになった──とそう思ったのだろう? すさまじい恐怖体験が、君を尖った屋根恐怖症にしたと。
残念ながらそれは違うよ。
そういや、最近サウルは現れないね。
どうしてだと思う? 口うるさく、夢想家め愚か者めと罵ってきたあの小言屋が。愚民と同じだ、王の器に非ずと君を断じた嫌な奴──静かだと、ちょっと寂しくない?
……寂しくない。ああそう……
サウルはね、もう消えてしまったよ。なぜなら、君がサウルだからだ。主人格のサチの中へすでに溶け込んでいるのさ。
話を戻そう。
「尖った塔」の記憶は、君の中の一番深いところに隠されている。これもじつはね、ボク、ランディルの記憶なんだ。ボクは五歳の時──母クラウディアが処刑された時、一回壊れそうになっている。
その時、恐ろしい記憶を封印した。ボク自身を守るために。
処刑される前日、拷問される母をボクは目の当たりにした。
五歳だよ? ついこの間まで乳を吸っていた。そんな子供の前で悪魔どもは、大好きな母上を痛めつけたんだ。
それでもなんとか精神を保ってられたのは、処刑されるまえに、みんなで逃げられると思っていたからだ。グラニエ──今は亡きジャンの父にあたる人が約束してくれた。必ず母のことも一緒に助けてくれると。
でも当日。ボクらと別で逃げていると思っていた母は、処刑台へ上っていたんだ。
母が処刑された時、ボクは百日城を抜け出て城下を走っていた。いつもより人が大勢いて、大変な騒ぎだったよ。情け深く美しい王妃が処刑されるのだと、嘆く声があちこちから聞こえてきた。クラウディア様がいなくなったら、この国はいったいどうなってしまうんだろうと、民は不安をにじませていた。
人の波は進行方向と真逆に流れていた。ボクたち兄弟を守る騎士はイラついていたよ。進みにくいからね。その時、悲鳴が聞こえたんだ。
ボクは振り返らねばよかった。見えてしまったんだよ。塔の屋根に貫かれた母の姿が。
鮮血が青空を汚した。ボロをまとっただけのほとんど半裸状態の母が。鋭く尖った塔の先端にその身を貫かれ、飾られたんだ。
ナスターシャの、あの悪魔の高笑いが聞こえるようだった。
ナスターシャは母を見せ物にするため、屋根に刺した。事前に足場まで用意して、人夫に危険を冒させてまでそれをさせた。
ボクたちを絶望の底へ突き落とすために。
あの塔はとても目立つだろう。城下からもよく見えたんだ。
ボクの心は限界だった。全部なかったことにして記憶を封じなければ、あの時点でボクは死んだと思う。封じられた残酷な記憶は君へと送られた。ボクが君の中へ移る時、一緒にね。
君からしたら迷惑な話だけど。それで、君は触れただけで爆発してしまう危険物を抱えることになった。心の奥底に沈んでいた危険物が浮上したのは、サウルの目覚めが刺激になったんだろうね。
塔を見れば、あの時のボクの感情が蘇る。恐怖と絶望が。
何も知らないのに、ボクの苦しみだけを再現されるから、たまったもんじゃないよね。訳もわからず、君は拷問を受けていたんだよ。
でも、もうそれも終わり。
ジャンと兄上が君を助ける。ああ、兄上はね、もうわかった? クリープさ。魔国にいる時から、ずっと君を見ていたよ。イアンの下に仕えたのも君のため。君の気づいてないところで、守っていたんだ。ジャンとともに。
マリィの居場所はもうわかったかい? 地図をよーく思い出して。
戻るまえに一つだけ約束してほしい。このさき、何が起こっても立ち向かうと。絶対に負けないと。
涙は流さないで。今までどおり強い君でいてほしい。
ボクや死んだ母のために。死んでいった仲間たちのために──
※慚愧……後悔と恥の感情。




