58話 赤ちゃんが……(続き)
広間の中央にある螺旋階段を、ユマとダーラが降りてきた。
ユマのボリュームある縮れた栗毛は、リゲルのエミリーちゃん人形に似ている(リゲルは子供のころの人形をまだ大切に持っているのだった)。愛くるしい顔立ちはカミーユ夫人にそっくり。しかし、相も変わらず男装姿だ。
「おい、ダーラは私の従者でおまえの物じゃないからな? 好き勝手に連れ回すんじゃない。それにな、今日の一番の主役はダーラなんだぞ? ダーラもダーラで馬鹿娘の言いなりになるんじゃない」
ローズ城戦にて、ダーラはティモール以上に活躍した。
ティモールと同じく任されたのは囮隊の先鋒。もっとも死亡率が高い最前線である。それも、兵を率いただけでなく、門をグリフォンの炎で焼き払い、陸兵部隊を突入しやすくしたのである。
アスターが渋面で文句を言おうが、ユマは知らんぷりだ。険悪な雰囲気も変わらず。モーヴが亡くなったせいで、よけいに悪化したかもしれない。当然、アスターの前を素通りしていくと思った。
それが、アスターの前でピタリと止まった。
「む? なんだ? 何か文句あるのか? お願いごとなら聞かぬからな?」
ユマはうしろにいたダーラを自分の前に押し出した。ダーラはいつにも増しておどおどしている。身長はかなり伸びてユゼフと数ディジット差だが、幼い雰囲気は浮浪児だったころと同じだ。
長く伸ばした黄金色の髪を背中で束ね、お仕着せをまとっていれば、それなりには見える。知能だって高いほうだ。今ではアスターの秘書としての役割まで担っている。
先日の戦いぶりもそうだし、見た目も悪くない。優秀ではある。それなのにいつまでたっても、ダーラは小者の立ち位置から動けないでいた。
なんにしても、自信のなさというのは全身から滲み出るものだ。ユゼフの従者のラセルタのほうが見た目は幼くとも、しっかりしている。
「ダーラに言わせるつもりか。ダーラをおまえの道具にするんじゃない」
今にも言い争いが始まらんとしていた。間に入るはずのカミーユ夫人もなぜか黙っている。
「ちっ、ちがうのです。アスター様。おいら……じゃなくて、わたしの話を聞いてください」
ダーラがかしこまった口調で話し始めた。
「じつは、いくさが終わって生きて帰ってこれたら、お話ししようと思っていたのです」
「む……なんだ? いやにもったいぶって……」
「じ、じつは……」
「じつは??」
「お嬢様をわたしにくださいっっっ!!」
いったん、場は静まり返った。その後、もれたのは笑い声である。
「ぐふふふ……団子虫のくせに。ウケるぜぇ」
笑っているのはティモールだけじゃなかった。皆、笑っていた。ジャメルも少し笑っていたし、カオルにいたっては冷笑だ。自分たちですら手の届かない高嶺の花に、ダーラごときが身の程知らずだと思っている。
そんななか、イアンだけは笑っていなかった。ただ一人、憐れみの目を向けているのは妙といえば妙。
ダーラがいつものようにボケているのだと、ユゼフも含めここにいる全員が思っていた。
「あのな、ダーラよ。いろいろと間違ってる。馬鹿娘におかしなことを吹き込まれたのだろうが、あげるものではないからな」
「そっ、そうなのか……」
「うむ。それで思い出した。おまえもいい年頃だし、結婚相手を見繕ってやろうと思っていたのだ。そこにいる馬鹿娘より、美人で気立てのよい娘を選んでやる。もう笑われるようなことを言うんじゃないぞ? そこのアホ丸出しのトサカ頭とかに、おまえが馬鹿にされるのはムカつくからな」
「わかった……」
ダーラはしょんぼり肩を落として、引き下がるかに見えた。しかし、うしろを向こうとするダーラの肩をがっちりつかむ人がいる。ユマがふたたび、ダーラに前を向かせた。
「なに、引き下がってるのよ!? バカッ!!」
さすがのアスターもうんざりしている。まだ、この茶番は続くのかと。
「アスター様、お願いです。お嬢様を愛しているのです。だから、結婚させてください」
「ダーラ、結婚は愛だのなんだのでするもんじゃない。おまえにはまだ難しいかもしれないが。そもそも、おまえに愛とかわかるのか? それも言わされてるんだろ?」
「ちがいます。おいら、本当にお嬢様のことを……」
「おい、馬鹿娘!! ダーラをダシに不快な嫌がらせをするんじゃない!! せっかく今日はユゼフも来ているのに。これ以上、悪ふざけをするんだったら、部屋に引っ込んでろ!!」
とうとう、堪忍袋の緒が切れた。怒鳴られ、ユマはふくれっ面だ。
ダーラがユマをかばった。
「悪ふざけではありません。ユマは何も悪くありません!」
さっきまでおどおどしていたのが、嘘のように凛とする。茶色い瞳の色素が薄まり、髪と同じ黄金色に近くなった。
こういう時に獣の本性は発露する。大切な人を……ユマを健気に守ろうとしているのだ。
この必死さはある種の危険性を孕んでいた。子を命がけで守ろうとする親獅子とも似ている。下手に動けば、アスターでも大けがを負う可能性があった。
アスターは少々怯んだ。
しかし、このあと続く台詞は多少の心の準備だけでは足りなかった。
「アスター様、聞いてください。ユマのおなかの中には、わたしの赤ちゃんがいるのです。だから、結婚させていただけないのなら、二人でこの屋敷を出て行きます」
一気に場が凍りついた。これは笑えない……。ティモールですら引いている。
アスターはポカンとして、何が起こったか、わからないようだった。
ややあって──
「……今……なんて言った??」
「結婚できないなら、出て行きます」
「違う! そのまえだ!!」
「ユマは妊娠してる」
茫然自失──
子供だと思っていたら、男だった……。まったく気づいていなかったのだ。純粋さは本能に忠実だということを。
「ティム。剣を持ってこい」
「へっ!? なんで俺様!?」
「おまえ以外に頼んでも、誰も持ってこないだろうが!!」
ティムはどうすればいいかわからず、おろおろしている。ユゼフはティムの進行方向に立ちふさがった。
「ティム、行くんじゃない」
今、凶器を渡したら間違いなく血が流れる。何かあった時、真っ先に止められるのはユゼフしかいない。ユゼフは身構えた。
まるで時間が止まったみたいに、皆が固まっていた。
誰も微動だにしないなか、最初に動いたのはイアンだった。揺りかごにヴェルナーを置いたのである。
赤ん坊のけたたましい泣き声が静寂を切り裂いた。
「おい、イアン! 何してる!? 早く泣きやませろ!!」
アスターの怒鳴り声に連動して、泣き声はますます大きくなる。
イアンは動こうとしない。
アスターがオーガのごとく顔を真っ赤にして、猛り狂っているのに無視だ。イアンの悲しげな瞳には、泣きじゃくるヴェルナーだけが映っていた。
アスターの苛立ちは、いよいよ最高潮へと達した。
「そうだ! イアン、おまえがユマと結婚しろ! 腹の子はおまえの子にすればいい。ここだけの話、おまえは王家の血を引いてるからな。おまえが王になったら、王妃は無理でも公妾にはなれる」
しれっと秘密を吐いた。もうむちゃくちゃである。幸い、この妄言はヴェルナーの泣き声にかき消された。近くにいる者には聞こえたかもしれないが、この状況下では誰も本当のことだと思わないだろう。
イアンは反応せず……
代わりに答えたのはユマだった。
「最低……さよなら、クソ親父。ダーラ、行きましょ」
「待て! ダーラにいなくなられては困る。ダーラは行くんじゃない」
アスターはダーラの腕をつかんだ。ユマが反対側の手を握っているから、ダーラは左右引っ張られる形になる。
「離しなさいよ! クソ親父! ダーラはわたしと行くの!!」
「不良娘が! ダーラは渡さぬからな!」
哀れ。ダーラは引きちぎれそう……そのまえにユマが尻餅をついた。そこで、
「あなた! いい加減にして!」
声を荒げたのはカミーユ夫人だった。
いつもは温和で優しい人が……ユゼフも怒ったのは初めて見た。
「あなたがいけないのよ。いつもユマの気持ちを蔑ろにするから。二人を無理にとどめることは許しません。もう、自由にしてあげて」
「……カミーユ。もしかして知ってたのか」
アスターの手から力が抜ける。スルリとダーラは逃れた。
今頃になってショックがアスターを襲い、放心状態となった。従順だった妻の裏切りが信じられないのだ。
もう、留めようとするものは何もない。髭親父は呆けているし、二人は愛し合っている。このまま、駆け落ちしてハッピーエンド……と誰しも思うだろう。
だが、そうは問屋が卸さない。
ダーラはユゼフなら絶対選ばない道を選んだ。直前になって踵を返したのである。
「おいら、やっぱり行けない……アスター様を置いては。おいらのことをひろってくれた恩人を捨てることなんかできない」
「ダーラ、わたしとクソ親父、どっちを選ぶの?」
「どっちも選べない……」
煮え切らないダーラにユマは怒りをぶつけた。
「わかった。勝手にするがいいわ!」
ユマは背を向けた。世間知らずのお嬢様が出て行ったところで、まともな生活が送れるとは思えない。
出て行こうとするユマを慌てて執事のシリンが追いかけようとする。それをアスターが止めた。
「すぐに追いかけるんじゃない。もう少し時間を置け。馬鹿娘の思いどおりだからな」
イアンがやっとヴェルナーを抱き上げ、場は静まった。これでお開きだ。いたたまれなくなった客はパラパラと散っていく。
閑散となった広間にはアスターの家族だけが残された。
カミーユ夫人、ヴェルナー、執事のシリン、ダーラ、そしてイアン……
ユゼフは去るタイミングを失い、困っていた。
──やれやれ、とんだ修羅場を見せられた
この後、カットしたユマ視点
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