53話 アスター、ユゼフに怒られる
(ユゼフ)
ユゼフには彼らが戻って来るのが分かった。
暁色が夜明けの城を染め上げる寸前。空はまだ深い藍色に塗り潰されている。ところどころ、飛沫のごとく飛び散る星がこちらにウィンクした。
ユゼフは両手を広げ、自分の瞳と同じ色の空気を吸い込んだ。
主殿の屋上のど真ん中にいる。見張りの兵は下がらせた。
赤く燃える地平線に幾つもの影が映る。切り絵のごとく、くっきりと。
──我が僕よ
ユゼフは両手を広げたまま、瞼を閉じた。そのまま、耳をつんざくグリフォンの咆哮に身を任せる。
頬はビリビリ震え、皮膚が切れるんじゃないかと思う。グリフォンの羽ばたきは吠え狂う烈風だ。ユゼフの髪をなぶり、服の裾をはためかせる。これにもユゼフは身を任せた。少時──
……ややあって、静まってから目を開け、辺りを見回した。主殿の屋上には、百頭近いグリフォンがひしめき合っている。
その中からお目当てを見つけ、ユゼフは頬を緩ませた。
「ハピ、ラー、セト!! 無事だったのだな! 良かった」
この三頭は特別。ユゼフの大切な家族だ。まず彼らの無事を確認し安堵した。
眉をひそめたのは、ハピとラーの足に幾つも矢が刺さっていたからだ。ユゼフは駆け寄り、一本一本丁寧に矢を抜き始めた。
「よく頑張ったな、偉いぞ」
傷を癒し、喉を撫でてやる。もっと触れ合っていたいが、他のグリフォン達を魔瓶にしまわねば……
朝日がグリフォン達を赤く照らしつけている。空は藍色から濃い海色に変わりつつあった。まず、グリフォンの怪我をしているものと全頭数を確認する。ユゼフは一頭一頭声をかけながら、魔瓶に封じていった。
百頭いた内の十二頭は戻らなかった。
仕方ないとはいえ、胸が苦しくなる。邪魔者であれば誰だろうが殺す。無垢な娘すら傷つけた。それなのに、グリフォン一頭の命に心を痛める。
朝日を全身に浴びながらユゼフは思う。陽の光は嫌いだと。
ここからは見えないが、今頃、朝日は城壁を鮮やかに染め上げていることだろう。心を打つ情景が憎しみに上塗りされる。
闇に属する者に優しさはいらない。
───────
数時間後、王の間。
玉座に座るユゼフの前にはアスター、イアン、リゲルが並ぶ。
凱旋の報告だ。戦死者をほとんど出さず、一日でローズ城を落とした。快挙である。
しかし、ユゼフは最初から不穏な空気を感じ取っていた。
まず、アスターが連れているのが副団長のアルベール・ヴァセランでないこと。イアンを連れてきたのはなぜか?
ひととおり報告を終えてから、アスターは沈黙した。決まり悪そうにごまかし笑いをしている。嫌な予感はやはり的中した。
まだ、一番聞きたいことは話していない。
「……えっとな、あは……言いにくいな……そーだ、代わりにリゲル頼む!」
「えっ! わし!?」
突然振られて、リゲルも困惑している。ユゼフはだんだんイラついてきた。これは何か確実にやらかしている。にもかかわらず、ふざけた態度のうえ、反省の色がない。
「早く言え」
ユゼフは低い声で促した。イアンがピクリと反応しようが、気にしない。今は何より怒りが勝っている。
リゲルが目を潤ませ、震えながら口を開いた。そういえば、けがをしたのか、頬にはガーゼを張っている。
「ご、ごめんなさい……」
──これは演技だな……イアンを意識してる
「リゲル、俺はおまえに聞いてるんじゃない。アスターさんに聞いてるんだ」
玉座からユゼフは立ち上がった。アスターを睨むと案の定、目を反らす。
「ぺぺ、リゲルに対してそういう言い方はないんじゃないか?」
口を挟んできたのはイアンだった。さっきまでうなだれていたのに、鋭い視線でユゼフを責めてくる。
ユゼフがアスターを見ると、したり顔だ。そうか、そのためにイアンを連れてきたのかと合点がいった。イアンがいると、やりにくいのが分かっているのだ。
「イアン、ちょっと黙っててくれないか? これはこの人と俺の問題だ」
ユゼフのきつい物言いにショックを受けたのか、イアンは目を丸くした。これでしばらくは、おとなしいだろう。
「アスターさん」
「お、そうだ。落ち着いたら、うちで祝勝会を開くぞ。たまには、おまえも顔を見せるといい。ほら、皆とも交流しないとな? いつも、そういうしかめっ面だから、嫌われるんだぞ?」
「違う話でごまかそうとするんじゃない」
こんな茶番をいつまで続ける気なのか。聞きたい言葉はすぐそこまで出かかっている。
痺れを切らしたのはユゼフではなく、イアンだった。
「逃がしたんだ。アスターはジェームスを。俺はクリムトとヘリオーティスを」
「何だと?」
アスターは相変わらず、ヘラヘラ笑っている。いい加減、ユゼフはその汚い髭面を殴りつけてやりたくなった。
「出るまえ、あんだけ念を押したのに逃がしたのか? 何のために兵を出したと思ってる?? 戦死者は何のために死んだ?」
「……えと、なんだ、直前になったら何だか可哀想になってな」
「はあああああ!?」
思わずユゼフは声を荒げた。可哀想だとかよく言えたものだ。誰よりも冷酷なくせして。クズ野郎を二人も逃がしたというのか。
「クリムトに関しては俺の責任だ。アスターは悪くない」
イアンがまた口を挟む。ユゼフは舌打ちしそうになった。
「イアン、悪いけど黙っててくれ」
この言葉にイアンは切れた。
「いーや、黙らない。全く何様のつもりだ? 俺らは最前線で戦ってきたんだ。俺だって足を負傷したし!……もう、ほぼ治ってるけど……ものすごく痛かったんだからな!! 留守番で指示だけ出すだけの奴が偉そうにすんな!」
肩を掴んでくるイアンに、ユゼフは向き合うより他なくなった。
「リゲルにしたってそうだ。顔を切られたんだぞ!? おまえのために危険を顧みず、俺についてきたんだ。もっと、優しい言葉をかけるなり、労うべきじゃないのか!?」
今度は、ユゼフがごまかし笑いをする番だった。
アスターは明後日の方を向いて知らんぷりしている。うまい具合にイアンが動いてくれて、しめしめと思っているのだろう。
「イアン、リゲルとはあとで話すよ。気にしてくれてありがとう……」
「あとで? 今、気にならないのか? 顔を傷つけられてるのに?」
「……えっと、そうだな、うん」
自分には回復魔法をかけられない。即座に回復できない場合は痕が残ることもある。
ユゼフだって、リゲルのことを全く気にしていないわけじゃない。ただ、物事には順序があるのだ。
しかし、スイッチが入ったイアンは暴走する。
「リゲルから、いろいろ聞いてるぞ? おまえから酷い扱いを受けていると」
──リゲルの奴、一体何を言ったんだ?
リゲルもアスターと同じで、素知らぬ顔をしている。
「リゲルが何を言ったかは知らないけど、イアンが口を挟むことじゃないと思うんだ……」
「何だと!?」
ついにイアンは、つかみかかってきた。こうなるともう始末に負えない。
「いつもいつも、俺を無視しやがって! ふざけんなよ! ユゼフのくせして!」
「別に無視はしてない……」
「その態度だよ! 子供の頃からだ! 顔から滲み出てるんだよ! 俺の相手をしたくないというのが!」
イアンの言っているのは、あながち間違いでもなかった。ユゼフは別にイアンを嫌ってもいないが、相手をするのが面倒くさいのだ。
「叩きのめしてやる! ぺぺ、俺と勝負しろ!」
とんでもないことを言い出した。
つかんだ襟ぐりを突然放してくれたので、後ろへ倒れそうになる。何とか持ちこたえ、着衣の乱れを直しつつユゼフは思った。
これはいい機会かもしれない──と。
シーマが寝たきりの原因はユゼフにある。臣従の契約が二人の身体をつなげ、ユゼフが知らぬ間にシーマの精気を吸い取っていた。このままだと、シーマは永遠に目覚めない。
助ける方法はただ一つ。魔国へ行って、契約の保証人となった悪魔に解除してもらう。ただし、戦わねばなるまい。
悪魔と戦う前に予行演習というか、誰かに稽古をつけてもらったほうがいいと思っていた。アスターに頼んでも、生返事しかもらえず、困っていたところだったのだ。
「ふん! どーせ、臆病なおまえのことだから忙しいとか何とか言って逃げるんだろ? 卑怯者め! おまえには男のプライドやら、熱意といった物が欠けているんだ。だいたい、昔からおまえは……」
「いいよ、受けて立とう」
「……へっ!?」
断られると思っていたのが、すんなり承諾されたのでイアンは呆けた。
「なんなら今からでも。主殿の屋上なら誰もいないし」
ユゼフは促した。善は急げだ。これで黙ってくれたら、一石二鳥である。亜人の血を引くとはいえ、イアンは人間。滅茶苦茶強いらしいし、太刀筋を学ぶにはちょうどいい。
実は子供の頃に大怪我をさせられてから、ユゼフはイアンと剣を交えることがなかった。イアンのほうから怖がって、誘うということがなかったのである。第一、ユゼフはてんで下手くそだったから相手にもならない。その代わり、別のことでは何度も怪我をさせられたが……
「い、今から!?」
イアンは動揺している。ユゼフは首を傾げて、イアンを眺めた。
「都合が悪いんなら、別の時でもいいけど……」
「いっいや。いいよ、今で。いいに決まってるじゃないか」
「じゃあ、行こう」
ユゼフはスタスタと歩き始めた。後から追いかけるのはイアンの他にアスターとリゲル。
『何だか面白いことになってきたな?』
リゲルに囁くアスターの声が聞こえた。




