45話 交渉
好条件を出して交渉するつもりだったが、手間が省けた。もともと離反するつもりなのであれば、取り込むのは容易いことだ。
イアンは早速本題に入った。
「王騎士団はこれからローズ城に攻め入る」
「なんだって!?……あ、いや、失礼しました。思いがけない話だったから……」
キャンフィとエリザは唐突の爆弾発言に目を丸くしている。隣でそわそわしているリゲルのことを、イアンは見ないようにした。リゲルはあくまで補佐役だ。
「いいよ、エリザ。俺はもう何者でもないのだから、敬語は必要ない。名前にも敬称をつける必要はないし」
地位的にイアンは彼女たちと大差ない。堅苦しい敬語はやめてほしかった。
「俺は突撃前の斥候として派遣された。君たちに聞きたいことがある。城のどこに、騎兵、歩兵、弓兵、砲兵、傭兵、衛生兵が設置されているか、人数も教えてほしいんだ。わかる範囲でいい」
すぐには返答をもらえなかった。当然である。言えば、完全な裏切り行為となる。何度も主君を裏切るのは、倫理的に抵抗があるだろう。
「もちろん、ただでとは言わない。王騎士団に戻りたいならそのように手配するし、他の道を歩みたいのなら、お望みどおり援助する」
「ちょ、ちょっと待てよ! アタシは出て行くまえに啖呵を切った。アスターのクソオヤジに中指立てて、サヨナラしてきたんだよ! 今さら、戻れるわけない。あのアスターが許してくれるわけがないよ」
「俺ならアスターを動かせる。でも、他の道を探りたいのなら、それでもいい」
イアンは自身満々に言ってのけた。この案自体、アスターが言い出したのだ。言い出しっぺなのだから、和解のために土下座でもなんでも、してもらおう。責任の所在はアスターにある。
エリザは首を縦に振ろうとはしなかった。キャンフィは沈んだ顔で、イアンの首の辺りを見つめている。
「それにさ、ディアナ様を裏切ることはできないよ。女王騎士団の上官が気に食わないだけで、ディアナ様にはお世話になってるし」
気に食わない上官というのは例の痴漢男か。見つけたら、八つ裂きにしてやろうとイアンは思った。
「そのディアナ様だが、今ここにいないよ」
「えっ!!??」
「ディアナ様は結婚するため、グリンデルにいる」
「はあっ!? だってアタシ、今朝見たよ? 遠目からチラッとだけど、ディアナ様に間違いなかった」
「それはヘリオーティスのグレースという女らしい。ディアナ様と瓜二つなんだ。ディアナ様じゃない証拠に、イザベラとミリヤは傍にいなかっただろう?」
「えっ、あっ!……そういえば」
ディアナはイザベラとミリヤをグリンデルに連れて行っている。偽ディアナのそばにいるのは、クリムトとヘリオーティスだと聞いていた。エリザが動揺している隙にイアンは畳みかけた。
「ちなみに君らが教えてくれなくても、城は落ちるよ? 簡単にね。情報を知りたいのは、単に死傷者を減らしたいからだ。仲間の命は大切だからな。でも、仲間以外は別。俺たちは裏切り者を許さない。元副団長のクリムトも、ジェームスとかいう変態野郎にも、いっさいの情けはかけない。身内の恥をすすぐのは身内にしかできないさ。内部のゴタゴタは自分たちで、きっちりケジメをつける。つけさせる」
話しているうちに、だんだんと熱を帯びてくる。一年間、騎士団で育んだ仲間意識が敵への憎悪を燃え上がらせていた。斥候の役目を終えたら、すぐにでもイアンは前線へ飛び込みたい気分だった。いや、このまま城内へ忍び込み、逃げようとしている大将首を討ち取るのでもいい。
キャンフィが小刻みに震え、エリザが一歩下がったことでイアンは我に返った。無意識に対男用の威嚇モードが、発動していたかもしれない。今は溢れんばかりの闘志を引っ込めておくことにする。女子の前では、甘いマスクのイケメンイアンでいないと。
両拳で頬骨の上あたりをマッサージし、イアンは顔の筋肉をほぐした。三白眼でにらみつけては、女の子たちを怖がらせてしまう。
「協力してもらえない場合、君らは捕虜になるよ? どのみち、ここで捕縛させてもらう。念のためにね。この場所の存在は知られてないから、戦いが終わるまで、ここで待っていてもらうことになるが……」
キャンフィとエリザは顔を見合わせた。
「もし、協力しなかったらどうなるの?」
「他の兵士らと同じ扱い……いや、君らの場合は一度、王騎士団を裏切っているし、アスターたちの暗殺未遂にも関わってるから厳罰になるね」
イアンはサラッと答えた。彼女たちが提案を拒否する未来は考えていない。受け入れてくれるはずだし、そうしてくれないと困る。
「暗殺未遂って……あのことも全部知ってるんだ……」
「当然だろ? こちらには、カオルもティムもいるんだ」
エリザは顔をこわばらせた。キャンフィがリゲルにキツい眼差しを向けるのは、関わった張本人だからだろう。暗殺隊を過去へ連れて行ったのはリゲルだ。
打ち合わせどおりだが、彼女たちをおびえさせていないかとイアンは不安になった。リゲルを見ると、片目をつむって合図したので、そのまま行くことにした。
「旧知の仲だからと俺が減刑を申し出たところで、どうにもできないと思うよ? 助かりたいのなら、こちらに誠意を見せてくれないと」
「わかった……最後に一つだけ聞いていい?」
イアンが促すと、エリザは大きく息を吸って吐いてから尋ねた。
「これは一番疑問に思っていることだよ。六年前、イアンはシーマと敵対していただろう? どうして今はシーマの味方に?」
「シーマのことは今でも嫌いだ。俺はあいつに嵌められて謀反を起こした。ディアナ様のおっしゃってることは間違いではないさ。六年前、幼い王子たちを殺したのはシーマの配下の者だった。俺の指示ではない。グリンデルの外交官を殺害したのもあいつ。全部、俺がやったことになってるがな」
「じゃ、なんで?」
「友達が騎士団にいる。俺は友と……ある人のために、あちら側へつくことを選んだ。それと、ヘリオーティスとグリンデルを嫌悪している。ディアナ様が彼らと無関係なら、また違ったかもしれない」
ここは打ち合わせとは異なる。イアンは正直に自分の気持ちを話した。
エリザとキャンフィはしばらく黙り込んだ。イアンの言った言葉を、心の中で咀嚼しているように思えた。ややあって、
「少し時間をくれないか? キャンフィと話し合ってみる」
申し出たエリザにイアンは快くうなずいた。
光の札を一枚渡し、遠くまで行きすぎないように注意だけする。大きな灯から離れ、二人は闇の奥へ進んでいった。
イアンは警戒していなかった。地下道から抜け出すのは容易ではないし、逃げる線は薄いはずだ。
頃合いを見て、エリザとキャンフィは立ち止まり、話し合いを始めた。
「ここら辺でいいだろう。小声なら聞こえないはず。しかし、不用心だな? アタシたちには、逃げるっていう選択肢もあるのに」
あいにく、イアンの聴力は犬猫並みなので、丸聞こえである。
聞いてない振りを装おうと、口笛を吹きながら柔軟体操をした。リゲルが茶々を入れてくる。
「ヒヤッとすることもあったが、上出来じゃ! よくやった!」
「あとでご褒美をもらうからな?」
「よしよし、ティムパパのクッキーをやろう」
「なんだよ、それ!?」
「これが、うまいんじゃ」
アホトサカの父親の趣味がお菓子作りとは意外だった。田舎貴族のやることは、よくわからない。笑っている場合ではないのに、吹き出してしまった。
「友達の父親が作ったクッキーがご褒美じゃあなぁ?」
「なら、口移しするか?」
「え!?」
イアンはリゲルの肉厚な唇を、まじまじと見つめた。プルンとした唇は本能を刺激する。エロい。
「冗談じゃ。彼がおるのに、そんなこと、するわけないじゃろ?」
「うっ……ぺぺより、俺のほうが絶対にキスがうまい!」
「どうじゃろなー?」
顔を傾け、クスクス笑うリゲルはかわいい。ついつい見とれてしまった。
向こうから声が聞こえてきたので、イアンは慌てて口笛柔軟体操を再開させた。
「楽しそうに笑って、呑気なもんだな? アタシたちには逃げられないと思っているのか、それとも絶対に逃げないと思っているのか……」
「ただ、何も考えてないっていうのもあるよ」
キャンフィの手厳しい一言に、イアンは愕然とした。聞いていないところで女子たちは、こういう話をしているのか。表では「イアン様、カッコいい!」などと褒めても、裏では「あいつ、バカっぽくね?」とか言っているわけか? キャンフィの声が低いのも気になった。
「逃げたところであたしたちには、どうにもできないのが、わかってるんだろう。斥候っていうことは、本隊が近くに控えてる。すぐにでも突撃できる状態なんだ」
「そうだよな……それはそうと、今ここから逃げたとして、あのクリムトにイアンのことを話す? クリムトはアタシらのことを信じるだろうか?」
「信じるわけないよ! あいつはジェームスの味方だ!」
小声ながら、キャンフィが声を荒げるのがわかった。痴漢野郎に対する憎しみが伝わってくる。
「アタシもそう思うよ。クリムトやジェームスよりイアンのほうが信用できる。ディアナ様を裏切るのは心苦しいけど、身の安全を確保するには協力は不可避だ」
そうそう、エリザ、よくわかってるじゃないか!――イアンは飛び上がる代わりに、バク転をして喜びを体現した。だが、喜ぶにはまだ早かった。女子トークはまだ続いていた。
「でも、イアン様は騎士の身分まで落ちたのに、どうして平然としていられるのだろう?」
「お気楽なのかもしれないよ?」
「全然、昔と変わらない……ううん、まえより距離が開いたように感じる」
なぜだ? キャンフィ……
身分差がなくなった今、イアンとキャンフィの間に障害はないのである。なろうと思えば、普通の恋人同士になれる。
「ミジメったらしかったり、いじけていたら、少しは親近感を持てた」
「あっけらかんとしていて、転落したとは思えないよねぇ」
バカという直接的なワードが出るまえに、話を切り上げてくれてよかった。二度と女子の内緒話を聞くものかと、イアンは思った。
口笛を忘れていた。柔軟体操をしながら、彼女たちが戻ってくるのを待つ。柔軟は基本中の基本だ。イアンは自分ほど体の柔らかい人を見たことがなかった。キャンフィが王騎士団にきたら、柔軟のコツを教えてやろうと思う。
「ただいまー! どうするか決まったよ!」
戻るなり、エリザは答えを教えてくれた。
「答えはイエスだ! 協力する」
「よし! そう来なくっちゃな!」
イアンはニヤリと笑ってみせた。下手な演技はしない。
「じゃあ、始めるか。俺はエリザ、リゲルはキャンフィに聞き取りする。あとで二人の言い分が一致してるか、確認するからな? 嘘はつくなよ?」
これから二組に分かれ、聞き取りをする。聞き取りをする相手にキャンフィを選ばなかったのは、恥ずかしかったのもあるし、蟠りが残っているせいでもある。
いずれにせよ、相手がエリザでもイアンは近しい間柄のように接した。女の子相手だと、親身になってしまう。
先ほどより距離は置かず、聞き取りを開始した。エリザは人懐っこいし、緊張しないからいい。イアンはメモを用意した。
「……ふむふむ。西側は傭兵だけか。んで、魔術師もモズから何人か引き抜いただけ、と……へぇ……グリンデルからの資金で大量の傭兵を雇ったんだ?」
「アタシは騎士だから詳しく知ってるけど、キャンフィは兵士だし知らないことが多いと思うよ。弓兵は北と西と同数だったと記憶してる。でも、途中から傭兵が来ただろう? 誤差があるかもしれない。砲兵は正面以外にはいなかったと思うよ」
イアンはエリザから聞き取った種別ごとの兵士の数や、配置場所をメモに書き付けた。あとで、リゲルのほうと突き合わせする。斥候らしくなってきた。




