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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第三部 グリンデルの王子達(前編)
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16話 見せたいものがあるんだ

 とうとう最後の日がやって来た。


 必要ないのに……グリンデルから豪華な馬車が迎えに来ている──と王城より知らせがあった。昼前には発たねばならぬだろう。


 サチは窓から見える青空を睨んだ。こんな日に限って、祝福しているみたいな快晴だ。雲一つ見えやしない。


 ここはアスター邸の一室である。朝食を食べたら、この屋敷ともお別れだ。



 トントン……ドアをノックする音。


 思っていたより早く来た。朝食前なのに。扉の向こうにいるのはグラニエかアスターか。



「サチ、入ってもいいか?」



 違った。落ち着いたシニアの声じゃない。ツンツンした甲高い声。イアンだ。


 部屋に入ってきたイアンは頬を紅潮させ、大きな目をギョロつかせていた。やや興奮気味に八重歯を(のぞ)かせている。



 ──これは何か良からぬことを思いついた時の顔だな



「サチ! 一足先に王城へ行こう! 見せたい物があるんだ!」


「やはり……」


「……ん? やはりって何が?」


「いや、こっちのこと。いいよ」



 サチの予感は的中。だが、悪い気はしない。どうせ、あと数時間も経たぬ内に呼び出されて、王城へ連れて行かれるのだ。

 アスターとグラニエに両脇を挟まれ、護送される罪人がごとく、グリンデル行きの馬車へ乗せられる。その前にちょっとだけ自由を謳歌しようが、罰は当たらないはずだ。



 見つかると面倒なので、サチとイアンは窓からそっと抜け出した。


 近くに立つ林檎の木に飛び移り、スルスルッと滑り降りる。傍目から見れば、トカゲやら蜘蛛の動きに似ているだろう。サチ達は器用に素早く、これをやってのけた。そして、厩舎まで音を立てずに走る。



「前から思ってたんだけど……」



 身を低くして走るイアンが口開く。呼吸は全く乱れない。サチも同じく。地を駆けながらのお喋りは風の囁きのごとく。



 俺とサチって、隠密とか向いてるよね──


 ──まあ、器用だからな


 あと、曲芸師なんかもいける!──


 ──何にせよ、どんな環境下でも生きていける図太さはある



 厩舎までは、二言三言交わした後に着いた。

 

 だが、順調なのはここまで。



「グラニエさん……」



 イアンの呟きが、気分を一気に萎えさせた。

 

 どうして感づいたのか。朝食前の早朝に……グラニエが厩舎の前を見張っていた。


 昨晩、グラニエもアスター邸に泊まっていたのである。サチの護衛として。



 ──ジャンめ……何という勘の鋭さだ



「シャルル様、どうされました? 朝食をお召し上がりになった後はすぐに発たねばなりませんので、お部屋に戻った方が賢明ですよ」


「ちょっとした散歩だ。馬を借りていく」


「どこへです? 散歩ならお屋敷内でお願いいたします。もう時間はないので」



 平然と馬を借りようと試みたが、案の定、頑として譲らない。サチが横のイアンを見ると、肩を落とし、すっかりしょげ返っていた。



「おい、イアン。ここで諦めるのか? もう最後なんだぞ?」



 取りあえずサチは煽ってみた。イアンは馬鹿だから、安い挑発に乗りやすい。


 思った通り──

 (うつむ)けていた顔をキッと上げ、イアンはグラニエを見据えた。

 


「そこをどいてください。王城へ行くんです」


「退くわけにはいかない。部屋へ戻りなさい」


「なら……」



 キラリ。

 太陽が反射して虹色を放つ。

 

 イアンはアルコを抜いた。



「は!?」



 これにはさすがのグラニエも驚いている。驚きから怒りに変わるまで、時間はかからなかった。

 


「どういうつもりだ? おふざけでは済まされないぞ?」


「ええ。軍法会議にかけるでもなんでもしてください。何がなんでも、俺とサチは王城へ行くんだ……あ、でも、今のあなたに止める権限はないですね」



 そうだ、グラニエはもう騎士団の上役でも何でもない。サチに連れ添ってグリンデルへ帰るため、騎士団を退役している。

 


 グラニエはこめかみに青筋を立て、ひくつかせた。完全に怒らせてしまったようだ。



 ──あーあ、やっちまったな。まあ、イアンの無茶苦茶を許容できないだろうな、ジャンは



 グラニエは剣柄に手を置いた。

 

 一触即発──


 が、次の瞬間、柄からパッと手を離す。 



「そこまで言うのなら、このグラニエも同行しよう」


 

 アスター邸の庭先で真剣勝負をするほど、グラニエは愚かではなかった。どんなに怒っていたとしても、善悪くらいわきまえている。


 ……という訳で、三人並んで馬に乗り、王城へ向かうこととなった。



 ──面倒臭いことになったな……



 最後に自由を謳歌しようと思ったのに、口うるさいお目付役がついて来たんじゃ台無しだ。

 後ろでスピード調整しながら馬を駆けさせるグラニエの存在が、サチはうっとおしくて仕方なかった。


 グラニエはグラニエで、サチがイアンと仲良くするのは気に入らないのだろう。イアンの正体はグラニエも知っている。

 

 鳥の王国とグリンデルの関係は今の所、(かんば)しくない。仮想敵国の王子と仲良くすべきではないと。そういうことであろう。



「一体、王城で何を見せると言うんだ? 朝日はすっかり上がってしまっているし」



 後ろから不機嫌な声が追いかけてくる。


 王城は夜明けの城と呼ばれるくらい、朝日が似合う。朝焼けをバックに城壁の煉瓦が赤く染まる様は、アニュラス百景の一つと称えられるほどだ。



「主殿の屋上から見える景色が絶景なのです。もう最後だから、どうしてもサチに見せたいんです」



 イアンの決意は固い。煙と何とやらは高い所が好きと言うが……サチからしたら、仰々しくて笑ってしまう。

 しかし、なぜ主殿なのか。郭の中央にある主殿より、城壁の四方に設置された塔の方が見晴らしは良いはずである。

 

 


 王城へは馬を飛ばし、一時間も経たぬ内に着いた。


 グラニエには主殿の外で待機してもらう。サチには分かっていた。イアンは何か腹に抱えている。きっと他には聞かれたくない話だ。



 階段にコツコツ、ブーツの音を響かせる。無音でも上がれるが、必要ない時はしない。この硬質な音が耳腔を心地良く揺らすからだ。


 ザラッとした赤煉瓦はゴツゴツとした石造りより温かい感じがする。石の方が強固。だが、人の手を多く加えた素材の方が不思議と(ぬく)もるのである。



「サチ、俺は普通より耳がいいんだ」



 イアンが前を向いたまま、話し始めた。屋上へ続く通路は狭いので、並んで歩けない。サチから見えるのはイアンの綺麗な背中だけだ。


 そう、綺麗な背中。高身長な上、痩せていると姿勢が悪くなりがちだが、イアンにはそれがなかった。とても姿勢が良い。


 尚且つ、均整のとれた骨格を太過ぎず細過ぎない筋肉が満遍なく覆っている。だから、脂肪がついてなくても、骨が凸凹に隆起したりはしない。


 本当に綺麗な背中だった。



「あのな、この間ジャメルんちで飲んでた時……ティムと一階で揉めてただろう?」



 ああ、あの時のことかとサチは笑った。生意気にも襲ってきたから返り討ちにしてやった、ただそれだけのことだ。



「あの時、自分のことを「サウル」って言っていただろ? あとエゼキエルがどうとか……」



 聞かれてしまったか──

 整った背中が止まる。イアンは振り返った。



「本当なのか?」



 イアンの目は不安に満ちていた。まるで、他家に預けられる幼子の顔だ。イアンはサチの中のサウルを知らない。



「いいか、イアン。人には色んな顔がある。イアンだって、女の子の前だと違う顔になるだろう? 全部の顔を誰にでも見せる訳じゃないんだよ」


「ティムはユゼフがエゼキエル王の生まれ変わりだって。自分はそのガーディアンなんだって言ってた」

 

 

 何たることか。ベラベラと自分の主の話をよく話せるもんだ。



 ──あいつ、馬鹿すぎてガーディアン失格だろ



 こうなると、ユゼフが可哀想になってくる。サチの守人(グラニエ)は口うるさいものの、愚かではない。賢い。


 そして、イアンは思考を深く巡らすことができない。

 その代わり、勘を働かせるのは得意だ。根拠があろうがなかろうが、巧みな嘘を見破れる。イアンにその場しのぎの嘘をついたところで、信頼を失うだけだとサチは思った。



「そうだよ。ユゼフがエゼキエルで俺がサウル。前世では敵同士だった」



 イアンは固まっている。



「おい、君が聞いたから正直に答えてるんだぞ? なんか言え」


「……じゃ、ユゼフのこと、殺すのか?」


「それはユゼフ次第だ。前世と同じように民を苦しめるのなら、そういう選択もある」


「そんな……そんなの悲しい」



 イアンは本当に悲しそうな顔をした。眉毛を下げ、唇を噛み締め、瞳をどんより曇らせて──

 内面を素直にさらけ出せるというのは、ある意味羨ましい。


 イアンは歩を止めたまま、先へ進むのをやめた。



「じゃあさ、俺はどっちの味方につけばいいわけ?」



 ポトンと落ちた質問はあまりに幼稚だった。

 うっかり溜め息をついてしまいそうになり、サチはそれを飲み込む。イアンは馬鹿にされたり、見下されることに敏感だ。



「イアンが正しいと思う方につけばいい。正しいか、そうでないかは自分で決めるんだ」



 イアンはやっと前を向いて歩き始めた。恐らく、サチの言葉を腹の中で消化している。


 しばらく足音だけが続く。

 

 カッカッカッ……カッカッ……


 不思議とリズムを刻む。意識している訳ではないのに音の違う足音が見事に交差し、音楽を奏でる。



 ──きっと戦いの時もそうなのだな



 イアンの綺麗な背中を見ながら、サチは思う。イアンの繊細さはヴィナス王女のものだ。

 がさつな乱暴者は壊れやすい心を守るための鎧。本当のイアンは臆病で傷つきやすい……そして優しい。



 ピタリ、最上階に着いて止まった。



「俺は争わせたくない。だから、そうならないようにする」



 今度は振り返らなかった。揺らがないのは真っ直ぐな背骨。

 イアンが本当の気持ちを吐露する時、声は低くなる。(くう)を撫でるだけのいつもの甲高い声ではなく、重みのある声だ。

 

 それはサチとサウルの心に届いた。

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