11話 肉野菜ケーキ
(サチ)
小麦粉、水、卵に余ったスープのダシを少し加え、かき混ぜる。それに擦った芋や野菜、魚介類を投入し……
「よし、いくぞ!」
イアンが熱々のフライパンに生地をのせれば、ジュジュ、ジュウ……と小気味良い音をたてる。そうしたら、速やかに肉をのせる。
「なんか、すんげぇいい匂いがする!」
ティモールが鼻をひくつかせた。
厨房と居間は四、五人が通り抜けできるアーチ型の出入口で繋がっている。何人か様子を見にやってきたので、イアンはシッシッと追い払った。
居間のテーブルを落ち着きなく移動するのはダモン。魔国にいる頃からイアンの肉野菜ケーキが大好物だったから、匂いで分かるのだろう。
「まだか? まだひっくり返さねぇの?」
「だめだめ。釣りや狩猟と一緒だ。せっかちは料理にむかん」
急かすティモールにイアンは頭を振る。サチはそんな様子を、腸詰めをつまみに発泡ワインを飲みつつ見守った。
火を通したばかりの腸詰めは、皮プリプリの肉汁ブワッ……ツゥンと香辛料の刺激が鼻から抜けていく。つまり、旨いことこの上ない。炭酸によく合う。
この肉野菜ケーキは魔国で限られた材料しかない中、ある物だけで作ろうとイアンが考案したのである。
ただ、小麦粉を溶かした生地に肉でも野菜でも何でも混ぜ込んで焼くだけの簡単な料理だが、思いのほか美味しくて驚いた。
──これはイアンの良い所だよな。取りあえず何でもやってみようという。いつでも挑戦心に溢れている
これまで料理を定型的に捉えていたのだと、サチは目の覚めるような思いをした。
──イアンは型破りで無鉄砲だけど、未来を切り開く力がある。不可能を可能にする。どんな状況でも希望を持たせてくれる
顔に粉を付け、子供っぽさ全開のイアンの横顔を見ながら、サチは思うのであった。しかし……
「そういや、イザベラも肉野菜ケーキが好きだったな……」
イアンの無神経な言葉は、サチの高評価を台無しにした。
「イアン、その名は出すな」
「でもさ、イザベラはまだサチのこと好きだと思うよ」
「おい……」
無邪気ゆえに、サチの敏感な部分をまさぐってくる。近くにティモールがいたのがもっと悪かった。
「おまえら、付き合ってるんじゃねぇの?」
「付き合ってる訳ないだろうが。あいつはディアナ女王の右腕だ」
「なんだ、俺様デキているとばっかり……おかしな者同士お似合いだと思うんだけどな」
「余計なお世話だ」
くだらないお喋りのせいで、肉野菜ケーキが焦げそうになった。
数分後──
送別会に集まった騎士達は、イアンの料理に舌鼓を打った。無論、サチの特製ソースが絶品だったのは言うまでもない。
余り物のスープは白身魚とカニの旨味を存分に濃縮していたし、フライパンについた肉汁はソースの柱となった。後はトマトの旨味が凝縮された瓶詰め、スパイスと香味野菜、ワインを足せば短時間でも極上のソースに仕上がる。
笑った罰として旨かった時は「自分の小便を飲め」から「見合う金額を払え」に変わっていたので、イアンは一晩で相当額を稼ぐことができた。
金のある時であれば、騎士は気前がいいのである。基本、金遣いが荒い。命を張る職業であるため、特に若い者は刹那的な快楽に溺れやすかった。ジャメルみたいに身持ちが固いのは珍しい方だ。
ダモンも大喜びで自分の分を突っついている。すごい勢いで無くなるので、イアンはすでに四枚目に取りかかっていた。生地がなくなったので作らねばならない。
──ちょっと、飲み過ぎたか……
尿意を催し、サチは立ち上がった。焼けるのを待っている間、発泡ワインをガブガブ飲みすぎた。思い出したくもない女の名など出すから──
王都は優れた下水道設備が整っている。
これはエゼキエル王時代に整えられた設備である。外海から来た新国民の方が優れた文明を持っていたと学校では教えられるが、それは間違っている。新国民は優れた兵器を持っていたものの、排泄物を水で流して綺麗にするといった文化は持たなかった。
いまだに田舎は汲み取り式であることを考えると、かなり画期的だったと思われる。グリンデルはこれを真似て、王都と主な都市に下水道を通した。
とは言え、尿に関しては小便桶を利用することが多い。これは肥料として使い易いことと、節水志向が高いことが理由。桶が溜まったら大きな壺に移し、定期的に業者が回収するしくみになっていた。
小便桶は二階にも置いてあるから、一階の手洗いまで降りていく必要はなかった。
それなのにサチがわざわざ階下まで降りて行ったのは、喧騒から離れたかったからなのかもしれない。
突如、襲ってくる孤独感。
この状態が恵まれているのはサチだって分かっている。が、秘密を抱えた状態で人の温もりに触れようが、芯まで温められることはない。全てが薄っぺらい偽りなのだと、そんな気までしてくる。
排他的になる。
堂々と素のままの自分をさらけ出しているのは、嘘なのだと喉まで出かかっている。おまえらはその偽物の人形が好きなのかと憤りもする。サチはそんな面倒くさい自分が嫌で仕様がなかった。
きっかけは分かっている。
前世で自分を殺した女──イザベラ
殺されたことを恨みに思っているわけではない。王が死んだことで、アニュラスは再び混沌に呑まれた。沢山の民の命が犠牲となった、そのことを怒っている。
誰もいない一階はひんやりしていた。サチは内階段を降りて、小さな踊り場に出た。
昼間は客で賑わっていた店内が、いつもより狭く感じられる。誰かいた方が空間は狭められるはずなのに、壁との距離が短く感じられるのは不思議だ。香水の残り香が寂しさを倍増させる。
この寂しげな青い空間を横切らず、サチは階段の裏にある手洗いへ入った。立て付けの悪いドアがギギギと音を立てれば、据えた匂いが鼻をつく。小窓からは白い月明かりが差していた。
サチは排泄するために下着の紐を緩めた。発泡ワインを濾過した残りかすと余った水分を放出する。これは、脱力と快楽をもたらす行為。身体に力を入れていたら尿は出ない。非常に無防備な状態だ。
薄く瞼を閉じ、ほうっと息を吐く。聞こえるのは……二階で楽しく笑ったり話す声。それをバックに尿が小便桶へ叩きつけられる瀑声。
人間の五感で感じられる音はそれだけ。
尿を全部出し終わり、瞼を上げた時、サチは首にヒヤリと金属を感じた。
「この変態め。小用中に襲うなど、騎士にあるまじき行為だぞ」
サチが落ち着いた声で責めれば、悪びれない答えが返ってくる。
「あいにく自分より強い奴の背後は襲ってもいいというルールがあってな。猛獣を倒す時はまず急所を狙うだろぉ? 正面対決しなきゃなんねぇのは、対騎士の場合だぜぇ。おめぇは猛獣だから、当てはまらねぇよぉ」
かすれ声。ティモール・ムストロ。
気配も、ドアを開ける音すらさせなかった。ドアは軋むので消音の札でも使ったのだろう。
階段を全部下りた時から、上の踊場に誰か潜んでいるとサチは気付いていた。気配や全ての音を消そうが分かる。空気が教えてくれる。
今夜はこんなにも静かな夜だ。
来ると思い、サチはわざと鍵を閉めないでいた。どういう思惑か確認したかったのだ。
いや、同じ様に孤独で悲しい人と話したかったのかもしれない。敵であろうと、本当の自分を知る──
「さて……ちょっと腕を動かせば、俺の頸動脈はブチ切れる寸法だが、おまえがすぐにそれをしないのは何故だ?」
「おめぇの出方を見てる。化け物が何考えてるか、興味あんだよぉ」
「なるほど。これはユゼフの指示ではない」
月明かりが揺れる。分かりやすい。
「ユゼフは甘いからな。敵だろうが、情けをかける。内に秘めた残虐性を引き出すのは簡単だが」
「そうだよぉ。俺様の独自判断。おめぇ、一番危険な奴だろ? 今の内に始末しといた方がいいと思ってな」
「おせぇよ」
サチは首筋に当てられた刃を握り締めた。
僅かでも動けば、ティモールは斬るつもりだったのだろう。だが、サチの動きに気付けなかった。首筋に流れる生ぬるい血の感触を感じながら、サチは力を込める。
「お……?」
強い力を感じたティモールは、腰に差した双剣へ左手を伸ばした。……ない。
──だよなぁ。飲み会にまで帯刀してくるキチガイはいない。しかも、仲良しグループの飲み会で。おまえは大切な双剣を二階の玄関に置いてきているのさ
サチは握った刃を捻った。と、同時に反対の肘でティモールの肺を突く。
「ぐっ……」
──呼吸が止まって苦しいだろう? でもおまえは頭の中で次の手を考えてる。だが、それは未然に終わる
ティモールは尻餅をつき、短剣は乾いた音を立てて転がった。
サチは容赦なく、ティモールの肋骨を蹴り上げた。身体を折って屈んだ所をもう一発。
倒れた所、ふざけたトサカ頭を踏みつける。
「もう手遅れなんだよ。俺は目覚めてしまったからな」
「ぐぐぐ……てめぇ、何者だ!?」
「呆れた……知らずに襲ってきたのか」
サチは踏みつけた足にグリグリ力を入れた。力加減では潰してやることも可能だ。
──酒の肴にこいつの脳みそを啜ってやるのもいいが
「ぐあっ……ちょ、たんま……骨、折れてる」
「人の頸動脈を斬ろうとしたくせに、骨ぐらいで文句言うか」
サチは更に力を入れる。横倒しにされたティモールの顔が歪んだ。
「ぎぃやああああ!!」
派手な悲鳴を上げられたせいで、気付かれてしまった。わざとだ。誰か降りてくる。
──もうちょっと遊びたかったが……
「サウルだ」
「は?」
「俺の名前」
「……あ、え、ああ……やっぱりそうかよ。ユゼフ様の天敵じゃねぇか」
サチはティモールを解放した。背後にイアンの気配を感じたからである。
「サチ……これは、どういう??……手が血まみれじゃないか!?」
「大丈夫だ。ちょっと遊んでただけだ。な、ティモール?」
「ちょっと遊んでただけって……おまえ……」
困惑状態のイアンを尻目に、サチはティモールに手を差し伸べた。血まみれじゃない方の手は月光を浴びて青白い。
猜疑に満ちた猛禽の目は揺れ動いている。ティモールは一瞬迷ってからサチの手を掴んだ。
助け起こす時、サチはティモールの耳元に口を寄せた。
「エゼキエルが受け入れるのなら、共闘してやってもいい。敵とみなせば、容赦はしないがな」




