77話 全員集合②
(ユゼフ)
再会を喜び合う余裕もない。アスターは事務的に報告した。ユゼフはそれを無感情に聞くだけだ。
仕事上は二人ともドライになれる。天変地異が起こったとしても、同じ様に報告を受けていただろう。ユゼフは必要とされる任務をオートマトン的にひたすら追うことができた。余計な感情は捨て、ただそれだけを──
最後にユゼフはサチから泉の水を受け取った。
サチの髪が長くなっているのに気付いたのはその時だった。出立前、厨房で会った時は耳が見えるぐらい短かったはずだ。今は黒髪を後ろで束ねている。
「サチ……髪が」
「これか? 話せば長くなるぞ。俺は一度髪を失ったんだからな」
サチが意味深な笑いを浮かべたので、張り詰めていた空気が緩んだ。
「土蜘蛛を倒した武勇伝の始まり始まりぃ」
茶化したのはイアンだ。八重歯を見せる顔は悪童の頃と変わらない。
「天狗の友達を連れて来たのはどこのどいつだ?」
サチが返せばカオルも口を挟む。
「河童と相撲をとり始めた時は正直引いた」
「おまえ、岳の婆さんに追いかけられて泣きそうになってたじゃん」
「あれが一番怖かった」
カオルが苦笑いして、イアンが破顔する。そういえば、この三人は元々ローズ家の若殿と家来だった。仲が良いのは当然といえば当然。
彼らは和気藹々と蓬莱山でのことを喋り始めた。
そうそう、あの時ああだった、こうだった。笑えるな、やったじゃないか、そんな話を延々と。
疎外感──
ユゼフはその様子を静かに見守っていた。
一人ぽつねんと佇むのはこれまでの人生でもよくあった。別に珍しいことでも何でもない。
「楽しかったな!」
だが、イアンの発したその言葉が心を乱した。
──楽しかった、だと?
おまえらはこれを遊びだと思ってるのか?
モーヴは死んだ。自分で自分の首を切って。おまえらが楽しく遊んでいる間に。
何でそんなに楽しそうなんだ?
ユゼフは限界だった。背後から聞き慣れたしゃがれ声が聞こえなければ……
声は唐突に聞こえた。
気配を隠して近づいたのだ。驚かすつもりだったのか、悪ふざけか、いつも何を考えてるか分からない。
「ちーーっす! ティモール参上。アスター様、お疲れ様でしたー!」
広間の入り口に立つトサカ頭。
呼んだのは誰か分かってる。ユゼフはラセルタを睨んだ。
ティモールの姿に拒絶反応を示したのはアスターだ。まだ仇敵ディアナの家来だと思っている。
近くの虫食い穴から城に来るまでの道中、護衛されていたことには気づいていなかった。ティモールは魔法の札で兵士達の気配を消し、アスター達をひっそりと見守っていたのである。
「は? 何でおまえがここにいる!?」
「ユゼフ様、まだ話してないんすかー? 早く誤解を解いてくださいよー」
「ユゼフ、どういうことだ? 説明しろ」
ユゼフは大きな溜め息をついた。
「ティモールは俺の……家来です」
ガーディアンと言いそうになり言い換えた。
流石のアスターも想定外だったようだ。へらへら笑うティモールを前に戸惑っている。
「はああ??……何でお前、そんな大事なこと黙ってた!? だとするとあれか、今までの行動は全て……」
「そうっすよー。ほんと酷いなぁ。五年前だってシーマの糞の手紙をラセルタに渡してやったし、女王派の連中の動向は全てユゼフ様に……」
「それ以上言うな」
ユゼフは遮った。
全く何を言われるか分かったもんじゃない。
恐る恐るアスター以外の三人の顔を見ると、やはり驚いていた。ユゼフ自身も自分とティモールはミスマッチだと思う。ティモールは陰気なユゼフと正反対で軽薄、自由、いつも陽気だ。
影でコソコソ動いていたことは知られたくなかった。一番気分悪いのはカオルだろう。
で、一番怒り狂ってるのがアスター。
「おまえ、まさか私のことを信用できないからこいつに探らせてたのか? 騎士にあるまじき行いだぞ? 義父であり恩人であるこの私をこっそり探らせるとは」
「騎士じゃない。あと恩人でもない。あなたは自分の利益のために行動しているだけだ。俺は誰も信用しない。やましいことがあるから、探られたくないだけだろうが」
アスターの顔が見る見る内に赤く染まっていく。
「貴様っっ!! 誰のお陰で今の地位にいられると思ってるっ!!」
「あなたがその地位にいられるのは誰のお陰か?」
ユゼフは冷静に返す。
このやり取りを見て、狼狽える者は誰一人いなかった。今まで何度も同じ場面を経験しているのだろう。対する人間が異なるだけで。
ティモールも然り。自分が原因で喧嘩になっていることなど意にも介さなかった。早速、カオルにちょっかいを出し始める。
「む? カオルのアホがなんでここにいるんだ?」
「騎士団に戻る」
「マジか。仲良くしないからな」
イアンが助け船を出した。
「ティム、カオルは俺と一緒にヒュドラを倒してくれたんだ。もう女王とは縁を切ってる」
「ヒュドラ? 嘘だろぉ?」
「いや、ほとんどイアンが……俺はとどめを刺しただけで」
「だよな、おまえがやれる訳ない」
ティモールはフンと鼻を鳴らした。完全に見下している。
カオルもこういう態度には慣れているようだ。特段、腹を立てる様子もない。これでよくディアナ側へ潜り込んでいたものだと逆に感心してしまう。
アスターの怒りの矛先がティモールへ移った。
「ティモールよ、おまえ、何の役にも立ってないどころか途中で姿を消しただろう。それで人の手柄にいちいちケチをつけるんじゃない。カオルはイアンを助けてよくやってくれた。おまえなんかと比べ物にならないぐらいな」
「いや俺、ユゼフ様を助けに戻ってたんすよー。女王が王城に侵入してきて大変だったんすから。ユゼフ様、何か言ってやってくださいよー」
「黙れ」
ユゼフは一喝してから一呼吸置いた。
もう茶番は終わりにしたい。彼らと馴れ合う気など最初からないのだから。
「ティム、おまえはアスターさんをリンドバーグ卿の所へ連れて行け。俺はシーマに泉の水を与えに行く」
アスターが怪訝な顔をする。リンドバーグの名が出てくるとは思わなかったのだ。あのお人好しの大金持ちの名前が。
「ん? 何でリンドバーグの所に? 騎士団へ戻って色々やらねばならぬことがあるのだが……」
「今、家族も使用人も皆、リンドバーグ卿の城にいる。そこで何があったか聞いてほしいんだ。騎士団へ行くのは後にした方がいい」
感情を欠いたユゼフの言葉にアスターは絶句した。
何かあったのは分かっている。それが自身に関係しているとは思ってなかったようだが。
アスターに伝えるのは家族の人間、夫人のカミーユか、或いは冷静に伝えられる執事のシリンが適役だろう。
──ティモールは送り届けるだけでいい。どうか余計なことは喋るなよ?
興が削がれ、短い報告会はお開きとなった。
最後、無理を承知でユゼフはシーマとの対面をイアンに頼んでみた。
イアンは……
「行く」と即答。
なんの躊躇いもなしに二つ返事で了承したのは意外だった。
──アスターさんが何かしたのだろうか。もしかして泉の水を奪われた話……それでか。負い目があるから素直に従ったという訳か
イアンが女と寝ている間に水を奪われたと言うから、大袈裟に責め立てたのかもしれない。代わりがあることをすぐには打ち明けず、不安を煽るだけ煽ってどん底まで落としたのかも。自責の念に苛まれ、イアンは後悔したに違いない。周りに対して後ろめたく感じたに違いない。
非難、攻撃、抑圧、称賛、受容、解放……
いつものやり口だ。
飴と鞭を使い分けて懐柔する。
騎士団へ入る話もよく丸めこんだものだと思う。イアンが世話していた孤児を学術士学校へ入学させたそうだが。
──どんな暴れ馬もアスターさんの手にかかれば、容易いということか
「ユゼフ、あとでな」
サチの言葉に頷き、ユゼフは彼らを広間の扉の所まで見送った。
アスター、ティモール、サチ……出て行く背中には皆、何やら不穏な空気をまとっている。
敏感なアスターはユゼフの様子から感づいて、内心不安で仕様がないだろうし、そのアスターと二人きりにされるティモールも戦々恐々としている。そしてサチは留守の言い訳を騎士団の上司にどう説明するか、思考を巡らせているはずだ。
最後、カオルが背を向けた時だった。
男にしては華奢なその背中を眺める内に、ユゼフは忘れていたことを思い出した。
「カオル!」
まさか、無愛想な朴念仁に声をかけられるとカオルは思ってなかったのだろう。
驚いた鼻先にユゼフは金の懐中時計を突き出した。
「ああ……それは」
先を歩き始めていたアスターが振り返り、それに気付いた。
これは五年前、五首城にシーマの文を持ってきたマリクが持っていた物だ。(※第一部前編八十五部分「柴犬」参照)
しばらくアスターが預かっており、アスターの手からシーマへ、シーマからユゼフへ渡った。
蓋の上にはめ込まれたグリンデル鉱石。底に刻まれるのは三つ首のイヌワシ──ガーデンブルグ王家の紋である。
「これ、シーマが君から無理に奪った物だろう? すまないことをした」
カオルは驚きの余り、声が出ないようだった。懐中時計を凝視している。瞬きもせずに向けるその顔は彼女を彷彿とさせた。瞳の色は違っても目の形はディアナによく似ている。
目だけじゃない。鼻も口も……造形全てがよく似ている。何年もずっと気付かなかったのが不思議なぐらいだ。
さっさと終わらせたい。ユゼフは言葉を継いだ。
「マリクに壁を渡らせるから、グリンデル鉱石が必要だと言って無理やり取り上げたのだろう? 大事な物じゃないのか?」
カオルはユゼフと懐中時計を交互に見た。その表情は怒りでも喜びでもない。深い悲しみに満ちていた。
シーマ曰わく、マリクに託した文が壁の内と外を結んでくれた。そのお陰で勝利できたのだと。だからユゼフとシーマ、二人の絆の証として持っていて欲しいと、ユゼフに渡したのだ。
だが、ユゼフにしてみればこれは曰く付きの時計。カオルとディアナの繋がりを感じさせる物は持っていたくない。本当はすぐにでも返したかった。
なかなか手を出そうとしないカオルに押し付けるように差し出す。
──早く受け取れ。受け取れよ
「にゃ、にゃおおおおーん」
不意にカオルの肩にいた猫が鳴いた。
──ユゼフ、ありがとう。でも俺達には不要な物だ
聞こえたのはよく知っている声だ。よく知っている……
……友の声だ。
──もう兄は母と縁を切った。それは母との絆を繋ぐもの。
「……アキラ? アキラなのか?」
今度はユゼフが驚く番だった。黒猫からアキラの声が聞こえる。
「にゃおおおおおおん!」
アキラはそうだ、と。
「生きていたのか……えぇ……嘘だろ」
「にゃん、にゃん、にゃごろおおおあ!」
「ああ、それでか。猫から気配を感じたのは。俺はあのままもう戻らないかと」
「にゃふー、にゃおにゃお……」
「俺も嬉しいよ。もう二度と会えないと思ってたから」
人目も憚らず、ユゼフはアキラと会話していた。憔悴状態から無理に気張っていた所、一気に緩んでしまったのだ。それぐらい嬉しい衝撃だった。だから、カオル以外から奇異の目を向けられていることに気付かなかった。
「ユゼフ……」
カオルの声でハッと我に返る。
横にいたイアン、扉の向こうで待っていたアスター、サチが訝しげにユゼフを見ていた。
やってしまった……
だが、カオルから向けられたのは哀れみでも侮蔑でもない。親しみのこもった眼差しであった。
「ユゼフもアキラの言葉が分かるんだな」
ユゼフは俯いた。能力に関することは知られたくない。
「嬉しいよ。今まで自分だけかと思ってたから。あと、剣もありがとう。折れてしまったけど。あれはユゼフが届けてくれたんだろう? バルツァー卿に礼を言ったら、ユゼフから渡されたと言っていた」
カオルは懐中時計を持ったユゼフの手を押し戻した。
「これはアキラの言う通り、やっぱり受け取れない。母が暁城を離れる前に形見としてくれた物なんだ。これからは自分の信じた道を自分の意志で歩んでいく。母の言いなりにはならない。だから、もういらないんだ」
「にゃおおおおおおおお!」
「ユゼフ、五年前のことも今までのことも悪かったと思ってる。俺は自分のことしか見えてなかったし、余りにも鈍感だったと思う。すぐに信じてはもらえないだろうけど、力になりたいと思ってるよ」
カオルの向ける瞳には、一片の曇りもなかった。嘘や欺瞞などは一片も……
だが、本人は気づいていないのだ。清廉なる瞳はそれだけで人を闇へ落とす力があることに。




