37話 決闘(サチ視点)
国王と王女が部屋に連れ込まれ、扉が閉ざされたあと……
現れたのは味方の兵ではなく、宰相クレマンティとその配下の騎士たちだった。
「卑劣な謀反人イアン・ローズよ、国王陛下はどこにおられる?」
現れるなり、クレマンティは尊大な態度で尋ねた。
イアンは黙っている。無言のイアンに対し、クレマンティは剣を抜いた。
「今、貴様を斬り殺すのはたやすいが、王家の親族であることに敬意を払い、あえて決闘を申し込もう!」
地下に下りてきたのはクレマンティを合わせると五人。クレマンティ以外は皆、甲冑を身に付けていた。風貌から、彼らは熟練の騎士だと思われる。歩兵五人と騎士五人ではわけが違う。
ガラクは別室にいるし、味方はまだ来ない。イアンとサチの二人だけで対峙しなければならなかった。不思議なことにイアンは落ち着いており、そのおかげでサチも冷静になれた。
クレマンティは真っ黒な縮れ毛を後ろに撫で付け、綺麗に整えた口髭を生やした中年だ。絶えず国王の傍にいる右腕である。政治的手腕が知られていても、剣の腕前に関しては不明だった。
自ら進んで決闘を申し込むあたり、自信はあるのだろう。
ガシャン、ガシャン、ガシャン……
金属同士の摩擦音が地下道ではよく響く。
イアンは軽くうなずいて、身に纏っていた鎧を外し、剣を抜いた。クレマンティが甲冑を身につけていなかったからである。
前線に出るつもりはなかったのか、すぐさま逃げるつもりだったのか、クレマンティが軽装だった理由はわからない。ただ、完璧ではない状態でも、正々堂々と決闘を申し込むのは男らしい。
こういう男らしさに対して真摯に応える。甲冑を脱いだのはイアンらしかった。
均整の取れたイアンの背中に編んだ赤毛がフワリ、揺れる。
城へ攻め入ってから、幾度となく人を斬ってきたイアンの愛剣は綺麗に拭かれていた。血が固まって抜けなくなるため、納刀するまえにきちんと手入れしているのだ。この剣は製作地の言葉で“カタナ”という。
愛剣アルコの刀身があらわになると、クレマンティは感嘆の声を上げた。
「美しいエデンの剣だ! 謀反人にはもったいない……しかし、それによく似た剣をどこかで見たな?……まあいい」
クレマンティはイアンに斬りかかった。
速い! 一気に懐へ入られる。畳み掛けるように斬撃を繰り出してきた。イアンはめずらしく守勢にまわった。
イアンのほうが十三ディジット(二十センチ)ほど身長が高いし、アルコは普通の剣より長い。それでもクレマンティのほうが一見、優勢かと思われた。
──いや、ちがう
サチは気づいた。クレマンティは素早いが、攻撃はすべて避けられている。
──彼は打ち込まずにはいられない。イアンの攻撃範囲は広い。イアンより低身長のクレマンティは、近接している状態のほうが有利なのだ
高身長の相手と戦った経験もあるのだろう。クレマンティは戦い慣れていた。
イアンは黙々と攻撃を避け続けている。戦闘中なら平静でいられるようだ。大きな褐色の目は爛々と光り、クレマンティの動きを確実に捉えていた。
なおかつ、体幹がしっかりしている。攻撃を受けて、イアンがバランスを崩すことはなかった。避けたあとは、瞬時に元の体勢へと戻ることができる。
クレマンティはイアンの首ばかり狙い、挑発してきた。
「噂のジンジャーは意外に臆病なのだな? 避けるばかりで攻撃してこないとは……」
赤毛を馬鹿にされても、イアンは激怒しなかった。
戦いに集中している時は別人だ。何事にも動じず、敵の動きを冷徹に観察し、然るべき無駄のない動きをする。
お互い隙を見せぬまま、時間だけが経った。突破口を見出したのはイアンのほうだ。
足の動きを見て、胴に打ち込んでくると予想したのだろう。一歩下がって、クレマンティの首へ刃を向かわせた。
クレマンティはしたり顔をしてから、蒼白になった。
攻撃する時の一瞬の隙、カウンターを狙っているのだとイアンはわかっていたのだ。偽攻撃を仕掛けたのである。首を狙うと見せかけて、クレマンティの肩から胸までを斬りつけた。
残念ながら、下にチェーンメイルを着込んでいたらしい。血は飛び散らなかった。しかし、思わぬ一撃に剣先がずれた。
イアンは手を休めず、クレマンティの腹をアルコで貫いた。
血が滴る。
切っ先がクレマンティの体の向こう側へ出た瞬間、控えていた四人は一斉に剣を抜いた。
サチも一呼吸遅れて剣を抜き、イアンの前に勇ましく立ったが……
ビュンッ……ビュンッ……ビュンッ……ビュンッ……
重量のある刃が空を切り、ぶつかり合う。
サチが動きを追えるのは一人だけだ。イアンは一人で三人の相手をすることになる。それも、雑魚ではなく手練れだ。
小柄なぶん、自分は敵より身軽だとサチは思いたかったが、そうでもなかった。
「ガラーーク!!!」
イアンは吠えた。
奥の扉が動く気配はない。
火花を咲かせ、刃が弾かれる。ちょうどいいタイミングで相手の刃から跳ね返った。
敵側と間合いを取り、イアンとサチは背中合わせになる。扉の方を向いたサチの前には一人、イアンの前には三人の騎士がいた。
樽に挟まれた通路は暴れ回るには狭い。二組が並んで打ち合えるほどの広さはなかった。
イアンは舌打ちしてから、サチに言った。
「俺が四人倒す。おまえは援護しろ」
ジリジリ、見事な足捌きで下がっていく。
かかとに磁石が埋め込まれたかのような正確さで、サチはイアンの足がぶつかるより早く、一歩、また一歩と下がった。
背中を守るための二人三脚は数歩で終了した。
扉の近くまで来ると、イアンは身をひるがえし、サチの前にいた騎士に足払いを仕掛けた。他の三人が襲いかかって来るまえに、サチと位置を交換する。サチは倒れた一人に刃を叩きつけた。
甲冑は打撃に強い。サチの力では、胸当てを凹ませることすらできなかった。ただし、丈夫な代わりに重く、騎士は即座に起き上がれない。うつぶせになって、もがく彼の兜と胴鎧の間には隙間がある。サチはその隙間に刃を差し込んだ。
必死過ぎて、イアンが何をやっているかまでサチにはわからなかった。
耳に残るのは斬撃の音のみである。それと、血とワインの匂いだけが記憶に残る。視覚で捉えた情報は曖昧だった。
いつしか、床が濡れていた。叩き割られた樽から溢れたワインと血が混ざり合う。
首が一つ、ゴロンと足元まで転がってきた。兜をかぶっていては表情がわからず、作り物みたいだ。イアンはサチからだいぶ離れている。三人の亡骸を残し、曲がり角近くまで敵を追い詰めていた。すでに一対一だ。
肩がジンジン痛んだ。サチが首を回すと、肩当てに血がついている。いつやられたのか、最初のほうか。肩当てと胴鎧のつなぎ目を刺されていた。しかしながら、痛がっている場合ではなかった。
イアンとサチの間には、三人の亡骸が転がっていたはずだった。それが二人に変わっている。
イアンの背後に迫る影が見えた。
先ほど、腹を刺されて倒れたクレマンティが起き上がっていたのである。
サチは走った。
──頼む!! 間に合ってくれ!!
ダンッ!
その時、拍動音が耳元で聞こえた気がした。
心臓を捉えた。
サチはクレマンティの背中から胸へ……刃を突き通した。
それはイアンが、残り最後である騎士の首を刺したのと同時だった。
バタン!
なにもかも終わったあと、奥の扉が開いた。
やっと出てきたガラクはポカンとした表情をしている。
数分前まで、そこになかった五体の屍が横たわっているのだから、当然といえば当然だ。
「呼ばれましたか?……あれ? この遺体は? いったい、何があったのでしょう?」
ガラクは白々しく尋ねた。
「イアン様、おけがは?」
「たいしたことない」
ガラクに鋭い視線を投げてから、イアンはサチを見て表情を和らげた。
「サチ、ありがとう。おまえのおかげで、なんとか切り抜けることができた……けがをしているじゃないか? 大丈夫か?」
サチはうなずいた。
まだ、興奮状態にある。自分でも何が起こったのか理解不能だ。目の前にある亡骸を見ても、実感が涌かなかった。刺された肩の痛みは遠のいている。
「痛くない。だから大丈夫だ」
そう答えたにもかかわらず、イアンは有無を言わさぬ勢いで、サチのけがの手当てを始めた。
甲冑を脱がし、落ちていたスリングから包帯を取り出す。サチのスリングは戦いの最中、吹き飛ばされ、ワインに浸かりそうになっていた。
激痛が走るというのに、イアンはサチの肩をきつく縛りあげて止血した。
イアンはたまに、優しく繊細な一面を見せることがある。この時も、純粋にサチを気遣って手当てをしたのだった。
ガラクはその様子を、まるで異様なものでも見たかのように気味悪がった。
「王と王女は?」
何か嫌な予感がして、サチはガラクに尋ねた。ガラクは眉を少し動かしただけで答えない。
「イアン、王と王女の様子を確認しないと……王は大けがをしていたし……」
サチは立ち上がって、奥の扉へ向かおうとした。
「動くな! まだ包帯が巻き終わっていない!」
イアンはサチを座らせようとする。ガラクは嘲笑した。
「奥の部屋に二人ともいる。それに、おまえが気にすることでもあるまい。おまえは従者らしく、イアン様のおそばに控えているだけでよいのだ。碌に剣も扱えないくせに……」
「サチは従者ではない」
イアンはガラクをにらんだ。
「じゃあ、なんだと言うんです? 貴族でもない。卑しい身分の口だけ達者なクソガキでしょ?」
「俺はクレマンティに殺されるところだった。サチが助けてくれなければ、やられていただろう……おまえが奥の部屋に隠れている間にな?」
イアンがガラクと言い合っている隙に、サチは奥の扉へと走った。こういう時の嫌な予感は十中八九当たる。確認せずにはいられなかった。
「サチ! こら、ジッとしてろ!」
イアンはサチを止めようとし、開け放たれた扉の向こうを見て愕然とした。狭い部屋のどこにも、王と王女の姿は見当たらなかったのである。
「どういうことだ?」
サチたちは部屋に入り、中を見回した。
「さっきまでは、いたのですが……」
「貴様! 逃がしたのか!?」
「イアン様が従者の手当てをしている間に……おい、ジニア、おまえが手当てなんかしてもらうから……」
サチはガラクの言い訳など聞いていなかった。室内を隈なく目で追う。
気になったのは部屋の奥。二つ並んだ本棚だ。サチは本棚の前に立ち、何度か角度を変えて押してみた。
「何をしている? そこはただの本棚だ」
ガラクの手が伸びてくる。
中央の側板の間に隙間があった。そこに手を差し入れ、少しだけ力を入れてみる。
ガラガラガラガラッ……
本棚は音と共に左右の壁へと吸い込まれていった。
本棚の向こうに見えるのは、隠し通路だ!
さすがにガラクはうろたえた。
「まさか、こんな所に通路があったとは……」
イアンは灯りも持たずに、道の奥へと走り出した。
サチはイアンを追いかけないで、入り口付近の土壁に手を這わせた。
燭台がある。……まだ温かい。ほんの少しまえまで、火が灯されていたのだ。火を消したのはガラクだろう。
燭台に火を灯すと、通路の全容が明らかになった。
馬の蹄の跡と糞、エサの食べ残し。ここに馬を用意して逃げられるよう、他の協力者が前もって準備していた。
ガラクは王の顔をイアンに確認させたら、最初から逃がすつもりだったのだ。
この謀反の黒幕は王と王女を保護する者に違いない。イアンをそそのかしたのも、あるいは……
「イアン! 戻れ! 馬で逃げてるから追いつけない!」
サチはイアンを呼び戻した。




