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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(後編)二章 神々の島エデン
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66話 もう主従関係は終わり

 (イアン)


 サチと別れてから、どれぐらい歩いただろうか。とても長く感じられた。

 光の札が照らす岩壁は結露で濡れている。狭い通路には弱い光で充分だ。染み出した水が地面を冷たくしていた。十五、六度といったところか。夏だったら、気持ち良い温度だろう。

 一歩、一歩、踏み出すごとに滝の音が近くなっていく。イアンは足下から上ってくる冷気を楽しんだ。


 カオルとイアン、二人の足音と、クロのより軽い移動音がリズムを刻む。肩に乗るダモンはうたた寝をしていた。歪んだ反響音はアスターたちがオーガと戦っている音だ。音がだんだん遠のいていくに従って、緊張感が高まった。

 分かれ道に入ってから、カオルは一言もしゃべろうとはしない。


 ――気のきかん奴め。俺が沈黙を嫌うのを知っているだろうに


 これでは、朴念仁のユゼフと同じではないか? 腹が立っても、会話が途切れないだけアスターのほうがマシだ。

 イアンはイライラしてジャンプしたり、首や指をポキポキ鳴らしたりした。子供のころ、「落ち着きなさい」と、椅子に縛りつけられたことが思い出される。

 カオルは無視を続けた。イアンの挙動が見えているはずなのに、まるで存在しないかのごとく歩を進める。 

 壁に貼られた光の札をイアンはにらんだ。これがあるから、見えていないということはないのだ、見えていないということは……


 ――もしかして、いままでのは全部夢で、本当の俺は死んでいたりして……


 謀反のあと、魔国へ逃れたイアンは一回死んでいる。死んで、魔人に生まれ変わった。


 ――リゲルは俺を蘇らせてなくて、俺は幽霊の状態であちこち彷徨(さまよ)っている。だから、カオルには姿が見えないのだ


 この妄想は居心地の悪さを少時、紛らわした。見られていないと思うと、なんだってできる。イアンは狭い通路でバク転をしてみたり、片足を地面に対し垂直に上げてみたり、アラベスク(片足を後方へまっすぐ伸ばす)をしたりした。


 カオルの横顔は冷ややかだ。にこりともしない。イアンの長い手足がぶつからないように避けたので、やはり見えてはいるのだろう。

 バカらしくなって、イアンはポージングをやめた。

 

「なんで黙ってる?」


 自分から話しかけたのは優しさだ。戦いのまえに緊張しすぎるのは、よくない。カオルが黙っているのは緊張のせいだ。


 「コノグズノロマメ……」


 肩にいるダモンが苛立ちを代弁してくれた。愛玩には心を読まれることがある。昔のようにカオルが謝って、自分に合わせてくれるとイアンは思っていた。

 ところが、カオルは整った女顔をこちらへ向け、鋭く見据えてきたのである。浮気がバレたとき、美人はこういう顔になる。

 

「なんだよ……?」

「おれはキャンフィに誓ったから、付き添って来ただけだ。仲良くするつもりはない。もう君の家来ではないし、対等だと思ってる」


 目をそらさず、カオルは毅然と言い放った。

 イアンは困惑した。自分より下だと思っていたちっぽけな家来が、噛み付いてくるとは思わなかった。


 ――キャンフィと誓ったって……出発前の晩のことか?


 イアンは盗み聞きをしていた。あれは、ただのカッコつけかと思っていたのだが。


「君のことを守ってほしいと頼まれた……ああ、彼女とおれが付き合ってるって言ったのは嘘だ。誓いを立てた刀は折れてしまったがな」


 嘘を正直に告白してくれたのは、よしとしよう。それで? 謝罪は?――待っても、謝罪はなかった。

 呆然とするイアンにカオルは追い打ちをかけた。


「ここまで言っても、まだわからないか? 鈍いな? 余計なことには勘が働くくせに、大事なことには気づきもしないのだな?」

「何を言いたいのか、よくわからないのだ」

「キャンフィは君のせいで、人生を台無しにされた。それなのに君は、別の女との間に子供まで作って、反省すらしようとしない」

 

 カオルは背中の刀を抜いた。

 怒られている理由を理解できず、困っているところに抜刀されたら、アホ面にもなる。口を閉じるのも忘れ、イアンはカオルの動作を目で追った。かろうじて、脳裏に浮かぶのは「危ないからしまえ」という注意ぐらいだ。

 カオルは刃先をイアンに向けてきた。


「そりゃそうなるよなぁ? 今まで、おとなしく従ってきた従僕に刃を突きつけられたら? でもな、おれはずーっと我慢してたんだ」

「な、なにを?」


 我慢? 少年時代、一緒に落とし穴を掘ったり、狩りをした仲ではないか?……そりゃあ、断崖から飛び降りさせようとしたり、危険なことも多少あったけど――カオルに我慢を強いている自覚がイアンにはなかった。カオルも、自分といることで楽しんでいると思っていたのだ。


「キャンフィには守ると誓っただけだ。殺さないとは言ってない」


 この言葉を聞いても、まだピンとこなかった。カオルが自分を殺そうとするなんて、有り得ないことだ。

 

 ――そんなにキャンフィのことが好きだったってこと?


 キャンフィの気持ちが傾かないので、八つ当たりしているのか? イアンが考えられるのは、これが限界だった。

 カオルは怒りの独白をやめようとしない。


「君にはわからないだろうな? 顔を隠し、息をひそめて生きていくつらさが? いつも誰かの影に隠れ、おびえながら日々を過ごす。仮初めの家族に愛想笑いをし、自分を殺し、誰かに追従することでしか生きていけないつらさが?」


 カオルはイアンの喉元に狙いを定めた。

 経験上、殺意の有無はわかる。イアンは身動きしなかった。カオルはただ感情をぶつけているだけだ。


「君のことはずっと大嫌いだった。高慢で無知。馬鹿のくせに王様気取り。わがままばかり言って、力で屈服させようとする。してもらうことが当たり前で、頭を下げることすら知らない。そうやって、威圧的に()らみを利かせて喚き散らせば、なんでも自分の思いどおりになると思ってる。誰も、君のことなんか好きじゃない。ユゼフもサチも、死んだアダムとウィレムも……」


 イアンは耳を疑った。面と向かって嫌いと言われた。遊んだり、笑い合った思い出は? 全部偽りだったのか? 記憶の断片が硬い地面に落ち、音を立てて割れるような気がした。

 ユゼフやサチ、アダムとウィレムも?――泣きそうになる。どうか、嫌わないでほしい。以前のように仲良くしてほしい……


「ごめん……」

「そうやって、とことん悪いことをしたあとに、しおらしく謝る。それでまた同じことを繰り返す。今までずっとそうだった」


 カオルの言うとおりだ。

 子供のころ、リンドバーグの馬車を襲った時もそう。みんなが反対したのに、イアンは無理に押し切った。その場限りの享楽のために、周りを巻き込んで危険なことも平気でする。

 わざと馬車の前に飛び出す遊び、遊び場にあらかじめ、落とし穴をたくさん掘っておいて鬼ごっこをする。豚舎を勝手に解放して、飢えた豚の大群を農場へ放つ。身体中に蜜を塗って、木に縛り付ける生け贄ごっこ……

 カオルは落とし穴に落ちて骨折した。アダムは馬車に轢かれて死にかけた。

 たいていは一番鈍臭いユゼフが犠牲になるのだが、時にはカオルとアダムもケガをした。


 それ以外にユゼフは、真剣で勝負して肩に裂傷を負う、ボクシングごっこで脳震盪(のうしんとう)を起こす、虫を食ってアレルギーで寝込む、豚に食われそうになる、全身虫に刺されるなど、何度も死にかかっているが……


 ――今度会ったら、ユゼフにも謝ろう


 イアンは反省した。心の底から申しわけなく思い、彼らのために涙を流した。

 

「死にたくない……どうすればいい?」


 こんなみっともないセリフも、簡単に出てくる。怒られ慣れているからである。しかし、カオルに対しては初めてのことだ。こわばっていたカオルの顔が、だんだんと和らいでいくのをイアンは待った。

 実際、下手(したて)に出なくても、イアンは容易にカオルから刀を奪うことができた。それをしなかったのは、嫌われたくなかったからだ。カオルは数年来の付き合いがある旧知であって、昨日今日出会った異形とは違う。

 予想どおりカオルは、

 

「馬鹿なんだな、単に」


 と、つぶやいて刃を下ろした。

 そして、ご立派な刀をしまい、スタスタ歩き始めた。


 安堵すると共に、イアンは胸のところが温かくなった。感情の吐露は信頼しているからこそできる。垣根を乗り越えて、気持ちをぶつけてくれたことが嬉しかった。

 イアンは先へ進むカオルを追いかけた。


「カオル、許してくれるのか?」


 返事はなくとも、わかる。こちらを向かないのは照れだし、きっと許してくれたのだ。イアンはカオルの横に並んだ。

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

cont_access.php?citi_cont_id=495471511&size=200 ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
[良い点] 行動は無茶苦茶でも、イアンには人を魅きつける魅力があるんですねぇ。
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