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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(後編)二章 神々の島エデン
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64話 キスのあと①

 まったく、サチは酷い有り様だった。

 髪は焼け焦げてチリヂリ。皮鎧もところどころ、剥がれ落ちている。鎧の下に着ているウールのダブレットも真っ黒だ。かろうじて肌を覆うだけの役割しかない。


 ──裸よりはマシだがな


 火傷は大丈夫そうだ。イザベラの回復魔法のおかげである。ゆっくり立ち上がり、サチは周囲を見回した。


 来た通路以外に道はない。

 ……と、いうことはイアンたちの道が正解だったのか──いや、それは早計だ。


 気になったのは煙だ。

 この洞全体を炎が覆ったのに煙は籠もっていない。来た通路以外で、換気できる穴がどこかにあるはずだと思われた。滝の音は奥から聞こえてくる。


 サチは洞の奥へ歩いて行った。

 控えめに残った火が、煤けて真っ黒になった岩壁を照らしていた。きっと自分の顔も同じ状態なんだろうな、とサチは薄笑いする。煙の流れる方へ歩いた。


「あった!!」


 かすれていたが声は出た。

 岩壁が途中から平行に重なっている。近くまで行かなければ、表面上はまったくわからなかった。 

 重なったところに、一人ならギリギリ通れる隙間があった。大柄なアスターでは絶対に入り込めないだろう。煙はその隙間へ流れ込んでいる。

 サチが振り返ると、イザベラはビクンと体を震わし、目をそらしてしまった。


 ──あ……さっきのことを気にしているのだな


 嫁入りまえの娘にあんなことをしてしまった。してしまったと言うより、されたのだが。


 ──なんであんなことをしようと思ったんだろうな? 別に口移しでなくとも、水は飲ませられるわけだし


 本能が呼び覚まされたというか、サチも能動的に動いてしまった。それは反省している。


 ──やはり好意を持たれているのかな? ランとの婚約を邪魔したのも、それで説明がつく。しかし、イザベラは家柄や血筋にこだわるだろう。素直になれないのはそれでか? 残念ながら、俺も好きな相手が別にいるし


 好かれているとわかれば、悪い気はしない。サチは岩壁の隙間に入り込み、手を差し出した。

 

「一緒に来れるか? ギリギリだから気をつけろよ」


 躊躇(ためら)わず、彼女はサチの手を握った。


 ──やっぱりだ


 嫌いなら、あんなことのあとは触れたくもないはず。高まる気持ちを抑えつつ、サチは注意深く進んだ。横歩きでないと通れない。華奢なイザベラの手は妹のマリィを思い出させた。


 ──あいにく、俺はアスターさんの娘のユマと婚約する予定なんだ。いくら好かれていても、きっぱり断らないと


 好かれて嬉しい反面、困るのも事実。キスしたことをネタに責任取れと迫られたら、返しようがない。


 ──平民出身で騎士団のなかでも底辺の俺なんかと変な噂が立てば、困るのはイザベラじゃないか? ましてや、彼女は敵対するディアナ女王の配下だ。好きは好きでも、結婚が難しいのはわかってるはず


 捕らぬ狸の皮算用で思い悩み、蟹歩きで狭い道を進んでいくとは自嘲したくなる。途中、壁に突き当たった。


 ──行き止まりか?? いや……


 細い通路は、ほぼ直角に折れ曲がっていた。


 ──曲がれるかなー。うーん……


 岩に(ひじ)を擦って痛い。

 手にイザベラの薄い肌の感触を感じながら、少しも傷つけてはいけないと思う。切羽詰(せっぱつ)まっていたとはいえ、無茶をした。可燃物だらけの場所で着火しろとは、自殺志願者でもやりたがらない。この絹のごとき滑らかな肌が火傷を負ったら、大変だった。


「岩に擦らないよう気をつけろよ……よし、そーだ」


 なんとか曲がれた。イザベラも素直に従ってくれている。

 曲がった先に光が見えた。


 ──やった!


 魔物の気配は離れている。おそらくイアンたちが対峙しているのだろう。残念ながら、戦う体力は微塵も残っていなかった。サチは化け物が出てこないことを祈った。


 ──まあ、出たときは出たときだ。転移魔法の札で逃げられればいいけど


「もうちょっとで光のある所に出る。ゆっくりな、皮膚を擦らないように」


 イザベラに語りかけながら進んだ。




 出た先は畳一畳分の広さしかなかった。あとは一面の湖。

 突き当たりがぼんやりして、はっきりしない。洞窟の中ということを忘れそうなぐらい広大だ。


 奥に岩壁をアーチ型にくり抜いた場所があった。夕日が差しこみ、透明度の高い湖に赤い姿を映し出している。湖の水はそこから外へ流れ出ているようだ。岩壁に遮られ、全容を見渡せず、気配は感じてもイアンを見つけることはできなかった。


 光源はこの湖である。

 タンポポの綿帽子に似た物体が幾つも浮遊しており、光を放っていた。湖面を浮き沈みする様子は、まるで遊んでいるかのようだ。幻想的で美しかった。


 ──あー、見たことあるな、これ


 五年前、アオバズクの洞窟で見たことをサチは思い出した。あの綿帽子は死者の魂の一部である。触ると死者の過去を疑似体験できた。

 手を伸ばしていると、隣でイザベラも同じことをしているのに気づいた。


「ダメだ! それに触っては!」

「ダメ! それに触っちゃ!」


 二人同時に言った。変な間が流れ、気が緩む。

 最初に笑い始めたのはイザベラだった。サチも釣られて笑い出し、気まずい空気はどこかへ行ってしまった。


「ねぇ、あなた、とんでもなく酷い顔してる。真っ黒よ?」

「君こそ、全身ずぶ濡れじゃないか?」

「仕方ないでしょ? あなたが水魔法を自分にかけろって言ったのよ?……ちょっと待って」


 イザベラは腰袋から手拭いを出し湖に浸した。それをよく絞り、サチの頬に当てる。サチは目を閉じた。

 頬、瞼、額、眉、鼻、口……順に拭っていく。サチは彼女のするがままに任せた。


 とても気持ちが良かった。優しく触れられる喜びをずっと忘れていたように思う。

 イザベラの指からは愛情が感じられた。それは、幼いころに祖父母から与えられたのと同じ温もりだった。


 ──女の子と付き合うってこういうことなんだな……


 甘い愉悦に浸る。もっと触れられていたい、触れていたいと思った。

 おかしな話だが、こんな些細なことでサチの気持ちは揺れ動いていた。


 いくら好きと言っても、ユマに対しては一方的に恋心を募らせているだけだ。ユマはサチに興味を持っていない。好きな花を見つけたら結婚を考えるといっても、望みは薄い。

 それに、アスターが婚約させてやると言っているのは、明らかに気まぐれか企みである。サチを思いどおり操るための狂言の可能性だってある。


 ──振り向く望みの薄い人を思い続けるより、イザベラの気持ちが本気なら答えてあげたい


 気持ちが固まったところで拭き終わった。


「少しはマシになったと思うわ」


 あ、あ、あ……手が離れていく──

 

 とてつもない寂しさに襲われる。今まで自分が孤独だったことを知り、大げさなようでも絶望的な気持ちになるのだ。

 サチは彼女の手をガシッとつかんだ。冷たく可愛らしい手だ。

 目を開けると、驚いた顔のイザベラと目が合った。

 

「あ……ごめん」

「……いいのよ。気にしないで」


 手を離し、うつむく。きっと今、()(だこ)みたいに赤くなっていることだろう。どうもうまくいかない。そもそも今すべきことは、女といちゃつくことじゃない。イアンと合流せねば。

この後、カットしたアスター視点はこちら↓↓


https://ncode.syosetu.com/n8133hr/57/


https://ncode.syosetu.com/n8133hr/58/

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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

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― 新着の感想 ―
[良い点] 二人が結ばれる事は無いんだろうか……。
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