43話 美味しい雑炊とお布団と
(イアン)
赤い灯りへ向かって歩けば、茅葺き屋根の屋敷が見えてきた。
思っていたより大きい。農家の中でも長者が住むような屋敷である。この人数で押しかけても問題なさそうだ。
木々が途切れ、柔らかな草原が風に揺れている。馬の足音も心なしか軽快だ。
岳の婆さんは玄関先まで出迎えてくれた。
背はほぼ直角に曲がっているが、歩き方はシャンとしている。皺だらけの顔をもっと皺くちゃにして笑う姿に、邪気は感じられなかった。
安堵した途端、イアンの体から力が抜けていった。
「おやまぁ……おやまぁ、おやまぁ……」
婆さんは「おやまぁ」を延々と繰り返した。
大陸の言葉は喋れないらしい。
屋敷の脇の薪置き場に馬をつなぎ、イアン達は井戸の水で足を洗った。
一日馬に揺られ、むくんだ足にひんやりした水が気持ちいい。
履き物を脱いで中へ入ると、囲炉裏にかかった鍋がグツグツと煮え立っていた。
鼻をくすぐるのは素朴で暖かい香り──
「こんな山奥じゃから、大したもんは出せませんで……」
「とんでもない。ご厚意感謝いたします」
忠兵衛がエデン語でにこやかに応対する。
イアン達は囲炉裏を囲んで輪になった。
「まあ、趣があって素敵なお家。岳君はこの広いお家にお婆さんと二人きりで住んでるの?」
イザベラは上機嫌で岳に話しかけている。
本来の目的など忘れ、すっかり観光気分である。
岳も婆さんも大陸語は片言しか話せないため、小太郎が通訳に入った。
二人の他に家族はいないようだった。
山菜を採ったり、裏の畑で作物を育てたり、春になれば川の水が溶けるので魚を捕ったりと、自給自足の生活をしているとのことだった。
何か腑に落ちないが、岳の見た目が特殊なので山に籠もらざるを得ないのだと、イアンは前向きに捉えた。
婆さんは木の椀に雑炊をよそい、岳がそれを手伝う。
渡された椀からは食欲を刺激する湯気がモクモク立ち上った。
茶、黄、それに赤っぽい粒々が溶けかけてるのは雑穀だろう。全体的に白いのは花びらのようなものが沢山入っているからか。上にはそこら中に生えている雑草が載っている。
温かい椀を渡されても、イアン達は固まっていた。食事をご馳走になることまでは想定していない。
熱々の雑炊を真っ先に食べ始めたのはイザベラだった。
「美味しい!! これ、入ってるのはユリ根でしょう。来る時にユリが沢山生えている所を見たのよ。甘くて美味しい」
一瞬白けたが、これで食べて問題ないことが証明されたので皆食べ始めた。
──全く、ここをどこだと思ってるんだ
一つ目の岳以外、異形にはまだ一度も遭遇していない。しかし、足を踏み入れたら最後、生きては帰れないと言われている魔境である。
そこで、見ず知らずの民家に上がり込み、食事を振る舞われている状況なのだ。何の疑いも持たずに食べれる神経がおかしい。
イアンはゴチャゴチャ思いつつも、温かい雑炊を啜った。
昼頃、麓の湖で残り物の焼きむすびを食べたきりである。腹も減っていたし、疲れた体に沁みる。
甘くホクホクしたユリ根は口の中でスッと溶けた。ピリリとしたナズナやキビ、アワ、ヒエなどの雑穀からは色んな味がする。
「美味しい……」
自然と言葉が出た。
こういった温もりがずっと欲しかった。
素朴であっても、いたわりを感じられるような。たとえそれが偽りだったとしても。
表向き、ローズ城での暮らしは豪奢だった。それなのにイアンの心はいつも荒んでいた。抱擁されたりキスされたり、愛情の籠もった接触を親からされた記憶はない。養母のマリアは義務的にイアンを育てただけだったのだ。
いっそ、平民の家に引き取られた方が幸せだったかもしれない。貧しくても愛されるのであれば。微笑み合う岳と婆さんを横目に、イアンはそんなことまで思ってしまうのだった。
だが……
「俺様、お坊ちゃま育ちだし、雑草とか食べて後で腹が痛くならないか心配……」
ティモールの言葉で感傷的な気分は台無しになった。言う割にティモールはズルズル物凄い勢いでかき込んでいて、もう二杯目である。
何食べても一番平気そうなのはおまえだろと、イアンが言おうとした所で、
「やだ。もてなしを素直に受けられないのは失礼だわ。品位というものはこういう所に表れるものよ」
イザベラが代わりに言ってくれた。
「どーせ、言葉通じてねぇし。だいじょぶ、だいじょぶ」
「聞こえているぞ。嫌なら食べなくていい。お前だけ外で寝ろ……と婆さんが申しておる」
すかさず、小太郎が訳した。
「げっ……嘘だろ? 今、婆さん喋ってた? ニコニコしてんじゃねぇかよ。それ、お前の主観なんじゃ……」
「ティモール君、ちょっといいかな? 寝る前に少し話そうか?」
と忠兵衛。
それでやっとティモールは大人しくなった。
全くこのティモールとかいう変人は……
馬鹿だが、どこか憎めなくて馴染みやすいというか……緊迫した場面や生真面目に振る舞うべきであっても、気を抜かせてくれるというか……
──悪い奴じゃないかもしれない
イアンはティモールのトサカ頭を見ながら思った。
見上げた所、天井の骨組みと梁は剥き出しになっている。囲炉裏から上がる煙で燻され、黒ずんでいた。どれだけの年月にさらされて黒くなるのかは分からないが、かなりの時を要するのは間違いない。
黒光りした材木は美しかった。
†† †† ††
食事を終えると、イアン達は奥の座敷へ案内された。
六人で寝るには少々狭い。
だが、外よりマシである。布団は四枚しかなかったので、イアン、カオル、イサベラは一枚ずつ。忠兵衛とティモールが同じ布団で寝ることになった。
小太郎は縁側に出て寝ずの番をするという。
「途中で変わるよ」
イアンは言ったが、小太郎は首を振った。
「イアン様はゆっくり休んでくだせぇ。わし、一晩くらい寝なくても平気だし」
ティモールは回廊側に寝たいと言い張り、イザベラは奥がいいのでイアンとカオルが挟まれる形になった。
何か言いたそうな忠兵衛も、一番この並び方が賢明なのだと考え直したのだろう。作法云々は言わなかった。
皆、疲れていた。
マントや上衣を脱ぎ横になる。
布団は何やら香ばしい匂いがして気持ちいい。胸一杯に吸い込んで、そのまま眠りへ落ちてしまいそうだった。
「ねぇ、イアン。魔国で暮らしていた時のこと、思い出さない?」
すんでのところで、イザベラに引き戻された。
イザベラは布団一枚分空けた所で寝ている。イザベラとの距離が離れているため、他がギュウギュウなのである。それはまあ仕方ないとして……
「何にもすることのない午後は、よくこんな風に並んで昼寝したじゃない。芝生の上にゴロンと横になって……」
ズー…ズルピー……ズー…ズルピー……ズー……
ダモンが枕元でいびきをかいている。
反対端で寝ているティモールが「うるせぇ」と呟いた。
「色々と不自由はあったけど、案外楽しかったわ。私達、とっても仲良しだったじゃない。ほんとの家族みたいに」
イザベラの言う通りだった。
イアン、サチ、イザベラ、ニーケの四人は助け合い睦まじく生活していたのである。四人の間に身分差はなかった。村の湖で釣りをしたり、城内にあったピアノを連弾したり、草むしりの手伝い、料理……何をするにも一緒で……
禁忌とされていた塔の扉をイアンが開けるまでは──
「私達、バラバラになってしまったけど、また戻れないかしら? 前みたいな仲良しに」
イアンはすぐに答えず天井を睨んだ。
座敷の天井は剥き出しではなく、板が張ってある。木目の模様を見ていると、凝視されているような錯覚に陥る。
「ライラは死んだ。村の人達も……」
拒絶の代わりに残酷な事実を突きつけた。
ライラというのは妖精族の娘だ。魔国に滞在中、知り合ったイアンの恋人である。彼女は毎日城に入り浸っていたのだ。イザベラとも仲が良かったし、ニーケもよく懐いていた。
「私のせいだって言いたいの?」
「いや、俺が悪い」
「誰も悪くないわ。しょうがなかったのよ。それに充分反省したでしょう? 私もあなたのことを責めすぎたと思ってる」
「でも、もう時間は取り戻せない」
「互いに思いやることはできるわ」
しばし、会話が途切れた。
床の間に貼った光の札が、ぼうっと穏やかな光を投げかける。
「全て終わって大陸へ帰ったら……私、ディアナ様に話してあげてもいいわ。大丈夫。ああ見えて甘い所もあるし、感情で動く人だから。あなたのことも、サチのことも受け入れてくれると思う。このままアスターに従っていたって、ろくなことにならないもの。それにシーマはもうおしまいよ」
最後の言葉はズシリと胸に響いた。
──なぜだ? どうして胸が痛くなるのだろう
幸い、思い悩む前に睡魔が襲ってきた。
どろり、不安も憐れみも飲み込まれる。
イアンは夢の世界へ旅立った。
この後、カットしたティモール視点はこちら↓↓↓
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