35話 グラニエの動向
(サチの守人グラニエ)
ヘリオーティスのヴァルタン邸襲撃事件の二日後、グラニエはシャウラを連れて彼らのアジトへ出向いた。
供は必要なかった。
ヘリオーティスは既に引き揚げていたのである。アスターの従者(ダーラ)に正体を見破られ、なおかつモーヴ夫人の自死という想定外の事態が起こったため、尻尾巻いて逃げたのだ。
お陰でシャウラを連れてゆったりと待つことが出来た。
待つ相手はエイドリアン。
律儀で賢いティモールの使い鳥である。
グラニエはすぐにでも、主であるサチを助けに行きたかったが……
勘が正しいなら、サチはティモールと同じくエデンにいる。
ディアナ女王側にいるティモールがヘリオーティスのことを調べていた。彼は間者。同時期にいなくなったアスターを追っていたとしても、不思議ではない。そして、従者や副団長の様子から、サチはアスターと一緒にいる。
しかし、確証がない。
サチの居所を確定するには、あと少し情報が必要だった。持ち前の用心深さがストッパーとなり、グラニエは溢れ出る思いを封じ込めた。
白頭鷲エイドリアンは彼の主人ティモールとは正反対のタイプだった。
適当、大らか、軽薄──なのがティモール。
一方の鳥は、真面目、厳格、一本気である。
鳥と人間という違いはある。
されど、この生真面目な鳥があのティモールの鳥というのには違和感を覚えた。果たしてうまくやっていけるのだろうか……
厳めしい老人を思わせる目は注意深くシャウラを観察し、偽物ではないことを確認してから肩に乗った。纏う空気は凛としており、シャウラが文を受け取るまでグラニエは近くに寄れないほどであった。
緊張した面持ちのシャウラが餌をやり、首輪に固く結び付けられた文をほどくまで数分。
シャウラがいなければ、生真面目な鳥は文を渡すまいと全力で抵抗したことだろう。自分の仕事に命を懸けている。
下手すれば、彼を殺すことになったかもしれない。グラニエは敬意を込め、この冷厳かつ誇り高き鳥を見つめた。ヘリオーティスが引き揚げてくれて本当に良かったと──
文にはただ……
一週間以内に帰る、と。
返信は不要。
危険だから実家に戻り待機せよ。
エイドリアンを頼む……と。それだけ。
シャウラは唖然とした。
騙して危険な任務をさせた挙げ句、今更家へ戻れと? あまりに勝手過ぎる──シャウラの怒りを感じ取ったグラニエは彼の肩にそっと手を置いた。
恐らく、ヘリオーティスが王都に入ったと聞いて、ティモールは穏やかでいられなくなったのだろう。勘の鋭さだけは褒めてやりたい。もう全て終わった後だったとしても。
グラニエが気になったのは“一週間以内”の箇所である。
ティモールがいるのはエデンだ。
戻って来るには虫食い穴を駆使しても二週間かかるはず。
愚かゆえに二週間と一週間を間違ったか?
いや、アホそうに見えてそんな間違いをするような男ではない。普段の態度がアレなだけで、仕事はきっちりしていた。一週間以内と書いてあるからにはそうなのだ。
──だが、どうやって?
鳥と同じか、それ以上の飛行能力を持つ生き物に乗って移動しなければ、短期間で帰るのは無理だ。
それとも虫食い穴か。
王都の近くでなくとも、大陸寄りの島へ繋がる虫食い穴だったら──そう、虫食い穴は札に封じられる。
とにかく規格外の方法を使うと思われる。道程を予想し、こちらから向かっても出会える可能性は低い。
帰ったらティモールはまず、シャウラの実家に寄る。これは間違いない。エイドリアンが保護されているからだ。そこでティモールを捕らえるのが一番妥当であろう。
──くそっ……まだ足りない。これでは動けない
不安で仕様がなかった。
場所は大体見当がついた。
早く助けに行きたいのに……
動けないのは歯痒い。
そうして、日々だけが残酷に過ぎていった。
サチが学生の時もそうだ。
いっそのこと教師にでもなって見守りたかった。にもかかわらず、気持ちを押さえ込んだのである。騎士団での確固たる地位を得ることにグラニエは邁進した。そうした方が追々役に立つと思ったのだ。
グラニエは常に冷徹だった。
感情に左右されることなく、その時々に応じて最善な選択を取れる。蓄えられた知識や教養が彼を動かすのではない。生まれついての性質が……主を守るという大義、その宿命を背負って転生した誇りが彼を動かしていた。
判断は正しかった。
ただし……
後にサチがイジメに遭っていたことを知り、胸が張り裂けんばかりに後悔することとなる。
──あの時の後悔はもうしたくないものだ
あの堅物オートマトンのユゼフ・ヴァルタンにカマをかけてみるか?
アスターが絡んでいるのだから、宰相のユゼフは把握しているだろう。
屋敷が襲われてからはリンドバーグ卿の厄介になっているそうだから、対面するのは容易いはず。グラニエはかつてリンドバーグの秘書だった。
しかし、これもうまくいかなかった。
ヴァルタン邸やアスター邸の家族、使用人はリンドバーグの城にいたものの、当のユゼフだけは王城に寝泊まりしていたのである。
「何とか話す場を設けていただくは出来ないでしょうか? 晩餐に招待していただくなどして……」
グラニエはリンドバーグに頼み込んだ。
が、リンドバーグは頭を降った。
愛嬌のある丸い顔は沈んでいる。
「声をかけるのすら気が引けるのだ。何度か食事に誘ったりもしたがね……」
「ご恩を受けている立場で断ることはできぬのでは?」
「そうだね、グラニエの言う通りの理由から彼は何度か応じてくれたよ……しかし、見ているこっちが辛くなるくらいなんだ。それぐらい頑なに心を閉ざしている」
「まさか、世間で言われている通り……」
「いや、壊れてはないよ。仕事面に関しては今まで以上にストイックだ。しかし、仕事と関係ないことを話せる余裕が今の彼にはない──グラニエ、君が知りたいのはサチ・ジーンニアの行方だろう? とてもじゃないが、カマをかけて聞き出せるような雰囲気ではないよ。何の縁もない君が問いかけても、立腹させるのがオチだ」
ここまで言われても、グラニエは食い下がった。引く訳にはいかない。
結局、直接の対面は叶わなかったが、サチの居所についてはリンドバーグから聞いてもらうことになった。これが限界だった。
「分かるかね? 彼は最愛の人を失ったんだ。そのまま闇に囚われ、帰って来れない人もいる。我々の出来ることは見守ることだけだ」
沈痛な面持ちでリンドバーグは語る。
グラニエはこの人が善人だと知っている。
少年の時、イアンと共にユゼフがこの善人を襲ったことも。リンドバーグは過去に自分を襲った人間にすら憐れみを感じる人なのだ。
「元々、影のある人だった。モーヴ夫人や友人であるサチが支えていたのだと思う。我慢強く、自我を抑えつけてしまう。得られない理解を他虐ではなく、自虐で解消しようとする。悪い方向へは行かないで欲しいものだ」
リンドバーグの洞察力は敬服に値する。
なるほどな、とグラニエは思った。
何故か脳裏に浮かぶのは、やむを得ず預かっている伝書鳥エイドリアンである。
あの生真面目で禁欲的な白頭鷲のイメージにユゼフ・ヴァルタンは重なる。
しかしながら、グラニエはユゼフにあまりいい印象を持ってなかった。主の親友であっても、どことなく信用できないというか、裏があるのでは?……と、ずっと思っていたのだ。
最愛の妻を失うという悲劇に対しては心から気の毒だと思う。だが、親友を危険にさらして平気でいられるのはいかがなものか。
世話になっているリンドバーグが尋ねようが、情にほだされたりはしないだろう。そう簡単にサチの居場所を教えてくれるとは思えない。正攻法ですんなり答えてくれる相手とは思えない。
いっそのこと、城内を歩いている所に突撃するか。ろくに従者も連れず、歩き回ることもあると聞くし。しつこく付きまとえば、話ぐらいは出来るんじゃないだろうか?
考えるだけの余裕はあった。
だが、ヴァルタン邸襲撃事件を受けて、騎士団は多忙を極めていた。
団長のアスターがいない中、要人の警護に人を取られ、ヘリオーティスの動向の調査、城下の見回りなど。アスター家、ヴァルタン家の関係者への聴取も終わっていないし、やることは沢山あった。ちなみにユゼフ本人からの聴取もまだだ。忙しいのを理由に先延ばしにされたのである。
──我が主よ、どうかご無事で!
グラニエは心の内で嘆くことしかできなかった。
 




