27話 飲み会①
翌朝、蓬莱山へ発つ。
小太郎もついて行くというのでイアンは受け入れた。
出会ったばかりの息子を危険な目に合わせたくなかったが、赤みの帯びた瞳を拒絶できなかったのだ。
普段は黒く、光の加減で赤く見える瞳は母を彷彿とさせた。ヴィナスからイアンへ、イアンから小太郎へ受け継がれた瞳だ。
──ヴィナス様、必ずや泉の水を持ち帰ります
決意は固かった。実浮城に戻ったイアンは、すぐにでも旅立てるよう支度した。海へ落ちた衣服はすっかり乾いている。
冬の日は短い。日が傾いてからあっという間に暮れ、支度を終えたころにはもう夕飯時になっていた。
ズー……ズルピー……ズー、ズー、ズルピー……
ダモンが気持ち良さそうに、いびきをかいている。イアンは音を立てぬよう注意して部屋を出た。
迎えに来たのはアスターだ。
イアンがインクをぶちまけたダブレットを着ていた。花の文様が編み込まれたカラシ色の……インクの染みが取れた代わりに、色はだいぶ褪せてしまった。
前を閉められない借り物の服よりよっぽどマシとはいえ、罪悪感が湧き、イアンは目をそらした。
「支度はできたか? 明日は朝早いからなー! 飲むぞぉ」
「は?」
朝早いのに飲む? 相変わらず意味がわからない。イアンは明日に備えて早く寝るつもりだった。
言っていることの意味がわからないのは良しとして、アスターの異様な機嫌の良さが引っかかる。
「明日いよいよ魔物の巣窟へ挑みに行くのだ。これが呑まずにいられるか? 戦のまえは景気づけに大酒食らうもんだ」
イアンは何も言わなかった。
今朝まで蓬莱山へは連れて行かない、一人で留守番してろとアスターは断固譲らなかったのだ。下手なことを言って、へそを曲げられても困る。
外廊下の雨戸を閉められると、真っ暗になる。夕闇に染められた庭園もなかなか美しいのだが、冬は冷気を防ぐため早くに閉めてしまうという。
皿の上に油を垂らし、灯芯を浮かべただけの灯が暗い回廊を照らし出していた。
蝋燭や松明と同じ赤い灯りだ。白い月光とは違い、人間的な温かみを感じる。今のイアンは、冷たい月明かりのほうがホッとするのだが。
連れて行かれたのは座敷ではなく、土間に隣接する板の間だった。
「客人だからと気を使われても嫌だしな?」
どうやらエンゾに、もてなしは不要と伝えたようだ。イアンは胸をなでおろした。
──俺もこっちのほうが気楽でいいや
小太郎もいる。サチの姿だけ見えなかった。
「サチは?」
「あっちで、なんかしてるそうだが」
アスターは土間を顎でしゃくった。
イアンは苦笑した。ローズ城にいるころから、サチは厨房が好きだった。騎士団などやめて、料理人になったほうが向いているかもしれない。
土間から上がった所にある板の間は、活気に満ちていた。
城で働く多種多様な人々が集まり、好き勝手に飲んだり食べたりしている。老いも若きも男も女もここでは関係ない。誰しも分け隔てなく酒を酌み交わし、大口開けて笑うのだ。
奥に座っていた忠兵衛が立ち上がって手招きしている。
イアンとアスターは忠兵衛と同じ飯台※に腰掛けた。
「しかし、あいつら、蓬莱山までついて来る気じゃあるまいな?」
あいつら=カオル、イザベラ、ティモール、キャンフィ。アスターの開口一番は彼らの話題だった。
忠兵衛が答える。
「カオル様に関しては、そういう気はお持ちでないかと。追って来られたわけではございませんし、ディアナ様と縁を切られ、ここにおられるわけですから。もう関わりたくないのかと存じます」
「ふむ。あの男の精神力じゃ、女王にはついていけぬかもしれんな? 問題はイザベラだ」
「イザベラは大丈夫だ」
イアンは口を挟んだ。
魔国で一緒に生活していたから、イザベラのことはよく知っている。彼女がこんな場所まで来る理由は一つだけだ。
「大丈夫ぅ? あいつが一番ヤバいだろう? 高位魔術も使えるし、身のこなしなど暗殺者のようではないか? 言動もイカれてるし……」
「イザベラは感情の赴くまま行動してるだけだ。邪魔さえしなければ害はない」
イアンはくすりと笑った。もっと、かわいらしく女らしく振る舞えばいいのにと、まえから思っていた。アスターにまで、こんな評価を下されるんじゃあ……
「カオルはともかく、それ以外には警戒しないとな? こんな所まで追いかけてくる理由なんざ、邪魔する以外にないのだから」
「それはそうだが……」
キャンフィのことが脳裏をかすめ、イアンは言葉を濁した。
今朝、カオルと話したあと、部屋へ戻る途中にそれとなく聞いてみたのだ。
すると、カオルは「キャンフィと付き合ってる」と答えた。ショックではあるが、仕方のないことだとも思った。
──俺は彼女には何もしてやれなかったんだから。今、彼女が幸せならそれでいい……
サーシャと小太郎のことにしても、飲まずにはやってられない。
だが、アスターの差し出した杯をイアンは押し戻した。今飲めば、おかしいくらい泥酔してしまうに違いない。だから飲むわけにはいかないのだ。
「どうした? 飲めよ。男なら! 飲めぬと言うのか? このヘナチンめ!」
アスターが煽ってくる。イアンは無視を決め込むことにした。
無鉄砲な愚か者と思われがちだが、戦いに関しては自制がきく。アスターがあんまりしつこかったら、席を離れようと思った。
「アスター様、お酒を無理に勧めてはいけませんよ。そのような行為が信頼を失うのです。自分のペースでなければ、酒は楽しく飲めませぬよ」
「……さようか」
幸い、忠兵衛の助け船でおとなしくなった。アスターでも、まともな大人の言うことは聞くらしい。
「ところで、イアン様はあのダニエル・ヴァルタン様を倒したとお聞きしましたが……」
突然、忠兵衛から振られた話にイアンは当惑した。
確かにユゼフの兄と手合わせしたことはある。ダニエル・ヴァルタンは先の八年戦争にて、アスターと並ぶ戦績を誇る英雄だ。
まぐれで勝ったのはいいが、あとでエンゾにしこたま怒られたのである。戯れで無闇に剣を振るうのは良くないと。
イアンがまごついていると、アスターが余計な口出しをした。
「どうせまぐれだろう」
カチン!
「おまえのことだから、まぐれで勝ったのをユゼフやカオルに自慢してたんだろう?」
「アスター様、まぐれだろうと勝ちは勝ちです。あれほどの英雄を倒せたのであれば、誇って当然でしょう」
忠兵衛が間に入ったおかげでケンカは防げた。
「むむ、そうか? ま、こいつは剣を振るうぐらいしか能がないからな」
そこでちょうどよくサチが現れた。
盆に何か載せている。手前の飯台から順に何かを配り始めた。給仕人が二人現れ、同じように配っていく。カラメルに似た香ばしい匂いが立ち込めた。
「あいつは何をしているのだ?」
「まったく、器用な子ですね」
アスターと忠兵衛は好き勝手なことを言いつつ、盆の上へ好奇の目を向ける。
「サチは料理人のほうが向いている。騎士団にいるより、そっちのほうが幸せだ」
イアンはサチの不運を憐れんだ。優秀なのに能力を生かせない。本人の意向に反することばかりだ。
「何を言ってる? あいつは騎士でもないが、料理人でもないぞ?」
アスターの言葉は、これまでの違和感に切り込むものだった。
「あいつが料理したり、裁縫したりするのはただのお遊びだ。もともと素養があるから、なんでもそつなくこなせるだけだ」
横で忠兵衛がうんうんと、うなずいている。
「身のこなしや礼儀作法、しゃべり方、目線、頭のてっぺんから足のつま先に至るまで仕込まれている。本人も知らぬうちにな? 貴族のなかにいて、違和感を覚えるのは当然だ。なぜならあいつのは貴族用じゃない」
「どういうことだ?」
「そのうち、わかる」
アスターはいやーな含み笑いをした。
※飯台……何人かが一緒に食事をするように作った台。




