18話 混沌
(イアン)
意識を失っていたサチに船長が呼気を吹き込んだ。
辺りはもう薄闇に包まれている。
足元から冷気がせり上がってきた。
一体、どういうことなのか。
初めて見る人魚に意味深な言葉。
──王を守らなくては。それが我らの役目
「……ゲッ、ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ……」
サチが息を吹き返した。
激しくむせて水を吐く。
船長はサチを横に向けた。
イアンの後ろでアスターが安堵の息を吐く。それを聞きながら、イアンの緊張は解けていった。
──良かった
何度、自分のせいで殺しかけてるのだろう。
アスターがサチを巻き込んだとはいえ、俺と仲が良くなければこんな目には遭わなかったのだ……イアンはそう思った。
「サチ! サチ! 大丈夫か?」
情に弱いイアンは目に涙を浮かべつつ、サチの背中をさすった。
──元々不幸な生い立ちなのに、俺のせいでもっと酷い目に……騎士団でもいじめられていたに違いない……
「もう大丈夫だろう。大袈裟な……こいつは簡単には死なぬ男だぞ」
後ろからアスターの声が聞こえた。
振り返れば、腕組みしてでんと構えている。
「死ぬ所だったんだぞ!? シーマのことはサチに何の関係もない。あんたがサチを巻き込まなければ、こんなことには……」
「死んでないだろうが。いちいち仰々しく騒ぐな。みっともない」
「何だと!」
またいつもの喧嘩へ発展しそうになり、ハッとする。
──今は喧嘩してる場合じゃない
二人が言い合いをしている間にサチは一通り吐き終わり、起き上がった。瞳は虚ろだし、薄暗くても顔が白いのは分かる。
「サチ! 気がついたか?」
サチは微かに頷き、松林の方を見やった。風が流れてきて、人工的な香りを運んできた。
香やら椿油、高級なシャボンの匂い──
「誰か来る!」
イアンは立ち上がり、剣の柄に手をかけた。
──何人だ? 一、二、三、四……五
自分でも気付かない内に戦闘モードへ切り替わる。気を読み取る能力も当然のごとく使いこなしていた。寒さで小刻みに震える身体も剣柄を握った途端、シャキッとする。
──五人くらいなら、アスターと二人で何とかなる
一方のアスターは悠然と立ったまま、空なんか仰いでいる。
「アスター、来るぞ……」
「来てから構えれば良いだろう。私は人の気配を読めぬが、この風は良い風だ。大人数でなければ問題ない」
「んな、悠長に構えてる場合か。サチは動けないし、船を沈められたんだ」
「イアンよ、お前はいつも尖り過ぎだ。人間の集中力は保てる時間が決まってる。状況を見て鷹揚に構えなくては足元すくわれるぞ」
「は??」
一瞬それた注意を取り戻させたのは、鳥の羽ばたきである。
バサバサッとガサツな音を立てながら向かってくる影が一つ。鳥……にしては不格好でやや滑稽な……だが、そこが愛らしい──
「ダモンッ!!!」
「イアンサマーーーーー!」
黄色い声を上げながら、猛スピードで飛んでくる。太ってる割に飛ぶ速度は速いのだ。
まばらな配色の羽根を広げれば、不気味な模様が浮かび上がる。山羊の角に牙をのぞかせ暗い目をした………悪魔の顔だ。ダモン本人は丸くつぶらな目をしているのだが。
思わぬ再会にイアンは気を緩ませた。
その隙にダモンが来た方角、松林へアスターは走り始めた。
派手に砂を巻き上げ、ダモンと変わらぬ速度で。走りながら抜刀する。
「え? あ? アスター!?」
イアンは慌てて後を追おうとした。
考える間もなく、追いかけるしかない。
障害物の何もない見晴らし良い砂浜を。
砂は柔らかくブーツが沈む。
走りにくかった。
間もなく、林から姿を現した面々を見てイアンは凍り付いた。
五人……確かに五人だった。
その内、三人はよく知った顔……
──カオル、キャンフィ、イザベラ
「忠兵衛! 忠兵衛ではないか!」
「アスター様! よくぞご無事で!」
アスターは剣をしまった。
どうやら先頭のちょんまげ男と知り合いみたいだ。
イアンは一歩下がり、二歩下がった。
三歩、四歩、五歩……ジリジリ後ずさる。
本当は後ろを向いて走り出してしまいたい。
思い出さないようにしていた。
カオルとキャンフィのことは。
自分を裏切った家来と哀れな娘のことは。
顔を横に向け、見ないようにする。
もうサチの所まで戻った。
船長が不思議そうに見上げている。
「アスター様!! ご無事で何よりです」
聞いたことのないしゃがれ声がアスターに呼びかけた。さっきチラッとだけ見えた変な髪型の男だろうか。まるで鶏のトサカのような……
「げっ! 何だ、お前らは?……さては船を沈めさせたのはお前らの仕業だな!? それ以上、近づくな! 忠兵衛、こいつらは我々の命を狙う悪漢共だ。カオルもそうだ。これ以上、近づけさせるな!」
アスターが再び剣を抜く。小さな擦過音が聞こえた。
「アスター様、どういうことです?」
困惑するちょんまげ。
「アスター様ー、誤解ですよー」
軽薄なしゃがれ声。トサカ。
「サチ! サチ! サチは無事なの!?」
恐らくは髪を振り乱しているイザベラ。
「イアン……」
カオルの澄んだ声。
「……イ、イ……アン様」
キャンフィは泣いている。
「忠兵衛えええ! こいつらを近づけさせるなああああ!!」
「え? あ……はい。カオル様、取りあえず止まってください……あっ! イザベラ様、行かないでくださいよ」
困惑し続けるちょんまげ。
「だからぁ、誤解ですってぇー」
しゃがれ声。トサカ。
「サチ! サチ! サチぃいいいい!!」
イザベラ。
「うっ……うっ……ううう」
キャンフィ。
「近づけさせるなああああ!!」
アスター。
困るちょんまげ。
キャンフィは泣いている──
イアンは前を向いた。
逃げずに受け止めなければ。
今までずっと逃げてきたからこうなったのだ
──もう逃げずにちゃんと向き合おう
大きく息を吸い込み、顔を上げる。
横に気配を感じた。
「サチ……」
立ち上がったサチが隣にいた。
いつの間にか抜刀して構えている。
サチは咳払いした。
そして、一言。
「刺激的な歓迎に感謝する……」
まだ、声は掠れてる。
だが、サチの言葉に場は静まり返った。
「忠兵衛さん、お久しぶりです。その節は世話になりました……忠兵衛さん、理由があるのです。彼らを近づけさせないでください。カオル、キャンフィ、イザベラ、ティモール……彼らはヴィナス王女殿下を暗殺した暗君の一味です。俺も何度か殺されそうになりました。アキラの死にも関わっています。俺はイアンを守らねばなりません。彼らを近づけさせず、テイラー卿の元へ案内していただけないでしょうか」
絶句するちょんまげ……いや、忠兵衛。




