11話 お前に選択権はない
咳払いして、
「イアン、話がある」
アスターは落ち着いた声を出した。
イアンは「中で話しましょう」と。
教会の中へ案内された。
幸い神父は留守のようだ。
サチとアスターは神父が事務仕事を行う部屋へ通された。
必要な物以外は削ぎ落とされたシンプルな部屋である。仕事を行う机と神父本人と来客用の椅子が一脚ずつ、それと収納棚があるだけ。
イアンがもう一脚椅子を持ってきて、三人座ればもう満席状態である。額を突き合わせるほど……ではないが狭い部屋だ。
「まず、先ほどの勝負だがイアン、お前の力を試すためだった。突然、襲って申し訳ない」
口火を切ったのはアスターだった。
サチは目を剥く。
何を言っているのだと、驚きを通り越して呆れるばかりだ。戦う直前にプライドをへし折って言うことを聞かす云々言っていたのだから……
──負けたことのごまかしか。いや、これは次の一手だ
「まずまずは合格だ。誉めてやろう」
──うわっ……なんちゅう上から目線……負けたくせに
「五年前出会った時、お前の太刀筋を見て非凡な才を持つ者だと思った。正直、自分でも甘いと思ったが、殺すのは惜しいと思ったのだ。だから逃した……」
──始まった……
「今では後悔してない。この私が見逃すことなどないのだぞ? 初めてかもしれん。敵に情けをかけたのは……それほどまでにお前の剣に魅了された」
──今度は褒め殺しか。
「このアスターを唸らせる相手など滅多にいない。イアン、お前は強いよ。本当に強い。お互い本気で戦ったらこの私でも負けてしまうかもしれん」
──おい、さっき負けただろうが?
「お前の力を借りたい。だから恥を忍んでこうやって参ったというわけだ」
呆れすぎて溜め息すら出ない。
サチはアスターを睨んだ。
アスターは構わず続ける。
「だが、お前にも色々と事情があるだろうから話を聞かせてはくれまいか? こちらに協力してくれれば、不遇な身の上を変えられるよう尽力する」
平然と言ってのけたのである。
イアンは……というと、最初は照れ笑いをして満更でもない様子だった。が、話が協力を要請するものだと分かった途端、顔を強ばらせた。
「アスター様……」
静かに口開く。
「貴殿の意向がいまいちよく分からないのですが……私が剣を握ることはもうありません」
「何故だ? あれほどまで才に溢れているというのに……」
「五年前、私の浅はかな考えのせいで人が沢山死にました。幼な子や罪のない者達……自ら意図したのではないにせよ、私が引き起こしたことです。大切な友まで自分のせいで失ったと思ってました」
そこで息を大きく吸い込む。
「傲慢だったのです。まだ精神も未熟で周りから自分がどう見えてるか客観視できていませんでした。家柄がなければ何も残らないちっぽけな存在なのだと……自分を認識するのに時間がかかりました。結局は多大な犠牲を払わなければ、何も分からなかったのです。これからは償いのために生きようと思い、剣の道を捨てました」
アスターは薄く瞼を閉じ、頷きながらイアンの話を聞いていた。話が終わってもしばらくそのままで……ゆっくり目を開き、聖人のごとき笑みを浮かべる。アスターを見てサチの肌は粟立った。
「イアン、さぞ辛かったろう。たった一人でこの五年間戦っていたのだな……」
間を開けて……
「よく頑張った。誰にも認められず、人知れず孤独だったろうが……」
何ということか……
アスターの言葉にイアンは目を潤ませている。
「大人になったな、イアン!」
イアンは流れそうになる涙を手の甲で払った。アスターはまた驕っていた。ほんの僅か口の端を歪めて笑いを堪えている。サチはそれを見逃さなかった。
「そこで、だ。イアン……」
あいにく、話を始める前にドアがノックされた。誰か茶を持ってきたらしい。
アスターは聞こえないほど小さな舌打ちをした。
イアンが促し、少年は中へ入ってきた。
頭が小振りなので幼く見えるが、身長はあるので八~十才くらいだろうか。人目を引くほど美しい少年である。くすみがかった栗毛はツルンとして全く癖がない。大きな目を縁取るのは長すぎる睫毛。まるで人形のような……少女と見紛う容姿だ。
ただ、気になる点が幾つか。
少年は足を引きずっていた。
足の長さが左右違うのだ。
更にソーサーを持つ手が震えていた。
とても不自然に……と、よく見れば、指の関節がおかしい。人差し指と薬指の第二関節が反対側に曲がっている。
「ランディル、ありがとう。後はもうやるから」
イアンは少年の震える手からカップを受け取った。ランディルと呼ばれた少年はイアンにはにかんだ後、サチとアスターを不躾にジロジロ見た。
「ランディル、お客様をそんな風に見てはいけないよ。さ、戻りなさい」
イアンに促され、ランディルはサチ達をキツく睨んでから部屋を出て行った。
ランディルが完全に居なくなったことを確認してから、イアンは話し始めた。
「半年ぐらい前だったか……ローズ領と魔国との国境付近であの子が倒れているのを見つけたんです……」
「イアン、ローズへ行ったのか!?」
サチは思わず話の腰を折ってしまった。
「ああ、ちょっとヤバかったけどな。どうしても戻りたくなって……城には入れなかったけど。ぼんやり馬を走らせて国境付近まで来たら突然、魔物が襲いかかってきて……」
イアンは再びアスターに向き直った。
「偶然、騎士団の方が助けてくれたんです。それからあの子、ランディルを教会へ連れ帰りました」
「騎士団? 誰? 名前は?」
「確かグラ……なんとか」
「グラニエさんか?」
「そう、そんな名前だった。知り合いか?」
アスターが咳払いしたので、サチとのやり取りは中断された。話はまだ続く。
「ランディルは虐待を受けた形跡があり、あのように手足も不自由だし、誰とも話そうとしませんでした。唯一、心を開ける相手が私なんです。五年前の罪科を問われるのであれば、甘んじて受け入れる所存ですが……あの子のことが心配で……」
イアンはランディルのことを心から心配している様子だった。情深いのは昔からだ。亡くなった弟のアダムと重なる部分もあるのかもしれない。
「話が少々脱線したようだな……」
アスターは気まずさをごまかすように髭を撫でた。
「イアン、我々はお前のことを捕らえに来たのではない。お前には手を貸して欲しいのだ。手を貸してくれれば、今までのことは全てチャラにできる。それどころか、失った地位も取り戻せるし生活も元通りにできる」
「手を貸す……というのは剣士としてでしょうか?」
「いや。エデン侯爵エンゾ・テイラーを知っているな? 我々がすんなり島へ受け入れてもらえるよう、交渉役をお願いしたい」
「……エンゾ先生? 確かに私の師ですが……お受けすることはできません。先ほども申し上げた通り私はもう剣はやめたのです。師には合わせる顔がありません」
エデン侯爵と交渉させるのが目的なので、イアンに剣士としての能力は求めていない。だが、アスターは剣の道を捨てたのが許せないようだった。
「あれほどの剣さばきを見せる者が何を言うか。そんなもったいないことを言うな」
「いえ。一度我が身に誓ったことを覆すわけにはいきません」
それからは押し問答になった。
アスターもしつこいがイアンも頑なだ。自然と口調も激しくなってくる。サチが口を挟めないくらいヒートアップした。受けろ、嫌だ……その応酬は永遠に続きそうだった。
とうとう、アスターがキレた。
「いい加減にしろ! この頑固者め!」
怒鳴りつける。
「いいか? お前が何と言おうとも選択権などないのだ。謀反人として引っ捕らえられたくなかったら、大人しく従え!!」
アスターの横暴ぶりにイアンは憤然としている。言葉は出てこないようだ。
「でないと、さっきの子供も危険にさらすことになるぞ。これは王命だ!おまえに逆らえる
権限は一切ないっ!!」
「アスターさんっ!」
イアンの顔色が変わる。
サチが止めようとしても、もう無理だった。
「イアン、お前に残された道は一つだけだ。今日中に旅支度をしてアルコを持って、我々とエデンへ向かう。いいな?」




