80話 仮装パーティー②(サチ視点)
(サチ)
仮装パーティーの翌日──
泥酔したサチは、ジャメル家のソファーで一晩過ごした。
普段、飲み過ぎることは珍しいのだが、知らないうちにストレスが溜まっていたのだろう。朝ご飯をご馳走になり、二日酔いのまま王城へ出勤した。
戦争中でなければ、騎士の仕事のほとんどは鍛錬と警邏、警備、護衛、式典への参加などである。いつでも必要とされる仕事ではない。お飾りのようなものだ。
──税金の無駄使いだな。戦はないのが一番だが……しかし、この大陸では致し方ないのかもしれん。騎士という戦闘の専門職が必要とされるのは……
ボンヤリした頭でグチャグチャ考えている間に王城へ着き、サチは騎士団の兵舎に向かった。
──そういや、ランは昨日どうしたのだろう?
町の祭りを見に行きたいと言っていたのに、ランは早々に帰ってしまった。あとでジャメルの奥さんから聞いたのである。リンドバーグの城から迎えに来てもらい、帰ったと。途中からどことなく機嫌が悪そうだったし、サチは少々気になった。
と言うのも、久しぶりに羽目を外したというか……ジャメルやファロフと大騒ぎしていたかもしれない。
嗅ぎ煙草を回し合ってすっかり気分が良くなり、ランのことを放っておいて、男同士でワイワイやっていたのだ。
──女性同士で楽しそうにおしゃべりしていたように見えたけど……
一度、声をかけてみたが、よそよそしい感じで女性グループのほうへ行ってしまった。女同士のほうが楽しいのかと思い、また放っておいたら、いつの間にかいなくなったのである。
──そういや、あいつも……
イザベラも姿を消していた。彼女からは話を聞きたかったのだが……
──まあいいさ、探ったところで俺の得にはならないのだし。これから知恵の島へ行って、学生に戻るのだから……
モヤモヤした気持ちを追いやり、サチは寮へ帰った。
だが、寮に戻るなり、待っていたのは思いがけない呼び出しだった。
寮に届く文は当番の伝書係が管理する。その伝書係が持ってきた文には「話があるからすぐ来なさい」とあった。他にはなにも書かれていない。
送り主はリンドバーグだった。
──なんだろう……
漠然と不安が込み上げてきた。嫌な予感がする。こういう予感は外れたことがない。
早速、上官のグラニエに許可をとり、サチはリンドバーグの城へと向かった。
遅刻……昼頃に出勤したあげく、すぐまた出て行くという。呼び出しの相手が財務大臣ということもあるが、戦じゃない時の騎士団は融通がきく。かなり適当というか、おおらかなのである。
虫食い穴を駆使すれば、大陸の北にある城までは二時間程度でたどり着いた。
しばらく、居館の玄関でサチは待たされた。
いつもだったら、玄関先で待たされることはない。リンドバーグが忙しい時は奥さんかラン、またはランの姉のケイトが応対してくれる。しかし、今日は誰も出てこなかった。
ややあって、サチを執務室へ案内したのは使用人だった。
雑多な書類が散乱する執務室へ通されるのは久しぶりだ。いつもは応接間や、家族のいる居間へ案内されることが多い。
──初めてここに来た時のことを思い出すな……
勢いよく飛び出た鳩時計を見てサチは思った。古びた頑丈な机も、やや傷ついた木の床もあの時と変わらない。変わったのは秘書がグラニエではなく、別の若い男性に変わったことぐらいだ。
十三年前、すべてを失ったサチはここで待たされていた。慌ただしく動いていく書類の山をただ、ただ、ボーと眺めて……
養父母と住む家まで一度に失った。大切に育てられた世間知らずは、突如として世間の荒波に放り出されたのだ。
あれからいろいろあって、つらい経験もたくさんしてきたが、やっと報われる日がきた。幸せな家庭と夢の実現が今まさに叶おうとしている。
今日は待たされなかった。
サチが入ってくるなり、リンドバーグは秘書を下がらせたのである。挨拶を遮られ、とりあえず座りなさいと事務用の固い椅子を勧められる。
秋も深まってきたというのに、リンドバーグの丸い顔にはプツプツと汗の粒が見えた。ハンケチで拭き拭き、いつもだったら笑顔を見せるところが……いやに強ばっていた。
「まず、結論から言わせてもらう」
そう口火を切ったリンドバーグの目つきは鋭い。
「ランとの婚約はなかったことにしてもらいたい」
「えええっっ!?」
ショッキングな展開にサチは言葉が出てこない。リンドバーグは気にせず続けた。
「君との友好的な関係を壊す気はないのだが……知恵の島への入島希望の話はちょっと待っててくれ。今、ヴィナス王女が亡くなったばかりでそれどころではないのだ。もう少ししたら、宰相殿に話そうと思う」
「あ、あの、いったいなにが……」
「恋人がいるんなら、事前に話してくれないと……」
「へっ? 恋人??」
「私も男だから、多少のことは仕方ないと思ってるし理解もしてるつもりだ。だから、事前に相談さえしてくれれば良かった。そうすれば、不用意にランを傷つけたりはしなかったのだ」
「ちょっと待ってください。私に恋人など……」
「亡くなったクレマンティ殿の娘と付き合ってるんだろう? ランは彼女から直接聞いたと言っていた」
「は!? クレマンティ……イザベラとはなにも……」
「頼むから言い訳はしないでくれないか? 君との付き合いをやめるつもりはないし、娘を傷つけたことも許そう。ただし、この話はなかったことにしたいのだ。わかってくれるかね?」
「ええ。でも、まったくの誤解なのです。話を聞いていただければ……」
「何度も言うが、言い訳は聞きたくないんだ。妻はカンカンに怒っている。もう、ランは君の顔を見たくないし、そっとしておいてほしいんだ。男だからしょうがないことだと、わかってはいるよ。だからこそ、ランのことはすっぱりあきらめてほしい。詰めの甘かった君に非があるのだから。もう、なにも言わないでくれ」
そこまで言われると、口をつぐむしかなかった。しかし、こんなことを受け入れられるわけがない。サチは混乱したまま、話を聞くしかなかった。
「こんなことになっても、君がいい人間だということはわかっている。借りもあるしね。だが、屋敷を訪ねるのはしばらく控えてほしい。ランが結婚するまでは……」
リンドバーグの口から飛び出す残酷な言葉の数々……滅多刺しにされ、ぐうの音も出ないほど打ちのめされる。
納得はしていない。できるはずもない。嘘の恋人をでっち上げられて、幸せの絶頂から一気に突き落とされたのだ。
「わかりました」
一切、言葉を受け付けないリンドバーグに対し、サチが発したのはそれだけだった。
ふたたび思い出すのは十三年前、祖父母と住む家を失った時である。あれ以来、物事が上手くいきそうになると必ず邪魔が入るようになった。
学匠の学校へ推薦状を書いてもらった時も、違う学校へ行くことになったし……ローズ家に仕官し、それなりに認められてきた時も……イアンが謀反を起こした。謀反の時もそうだ。シーマをあともう少しで倒せるところだったのに、グリンデルから援軍が……
魔国での生活が落ち着いてきた時も。帰国後、騎士団に入りアスターの娘ユマとの婚約が決まった時だって……
いつだって邪魔が入る。それも不条理な形で。
自分は悪くないのに理不尽なことが起こり、一切合切もぎ取っていく。それまでに自らの努力で勝ち取った物、すべてを。




