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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(前編)五章 シオン王子の行方
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77話 サチの婚約①(サチ視点)

 ここから視点は変わり、サチ・ジーンニアの話。


 痴漢騒動のあと、騎士団から何人かいなくなった。謹慎が解けて、数日たったある日のこと。サチは見習い料理人のファロフのところで油を売っていた。

(サチ)


 野菜を洗いながら、サチは上機嫌で話していた。隣でふんふんと話を聞いているのはファロフだ。



「でさ、リンドバーグ様に話してもらうことになったってわけ」



 王城の大厨房。国王とその家族の食事を作る場所である。


 友人のファロフはシェフ見習いとしてここで働いている。騎士団のお使いの合間に、ここで油を売るのがサチの日課となっていた。


 今はちょうど昼時だから忙しい。二人は前菜に出す野菜を洗っていた。


 コック帽に禿頭は隠れているが、見慣れた赤ら顔が目に入る。


 騎士団の食堂のチーフにそっくりな料理長がスープをかき混ぜていた。チーフと料理長は兄弟なのだ。


 左遷されたチーフが腐ったのもわかるな……とファロフは言っていた。

 

 自身は食堂のチーフ。かたや、血の分けた弟は料理界のトップ大厨房の料理長である。



「サチ、生まれつき恵まれてるおめぇにはわからないだろうけどな、兄弟で差があるほど辛いものはねぇんだぞ」



 首を傾げるサチにファロフは熱く語った。

 


「オレもいつも兄貴と比べられてた。親はな、マトモに生まれた兄貴ばかり贔屓(ひいき)すんだよ。殺してやりてぇぐらい憎いこともあった。そんでもな、成功したらまず親に教えたいって思うわけ」


「わからないな」


「そりゃ、そうだよ。おめぇは嫉妬される側の人間だからな」


「そうかな……」


「そうだよ」



 こんな調子で調理の手伝いをしながら、どうでもいい話をするのである。


 グツグツ煮立つ音。

 パチパチ跳ねる音。

 ジュウジュウ焼く音。

 カチャカチャ食器の音。


 鍋は揺れ、包丁はまな板の上、リズミカルに踊る。カラフルな野菜、ソースが肉や魚を飾り立てる。それに香辛料、ハーブの香りが彩りを添えるのだ。

 

 サチは活気に溢れたこの場所が大好きだった。なにより今日は特別に浮かれている。



「しかし、羨ましいな。あのリンドバーグ様の娘さんとの婚約が決まるなんてさ」


「あの方には助けられてばかりだよ。学匠になる夢だって、あきらめかけていたのに」


「家は継がなくてもいいのか?」


「まさか!? ランは次女だからそういう話になったんだ」




 まとめるとこうなる。


 十三年前、家族と屋敷、土地、使用人……すべて失ったサチ・ジーンニアは元領主であったリンドバーグに助けを求めた。


 哀れに思ったリンドバーグは父親が見つかるまでの一週間、サチを客人としてもてなしたのである。


 その当時、六歳だったリンドバーグの下の娘はサチに好意を寄せていた。五年前、初恋のサチと再会し、恋心が燃え上がったのだという。


 父親のリンドバーグもサチを気に入っており、騎士の叙任を受けて、今や曲がりなりとも貴族の仲間入りをしている。アスターの娘ユマとの縁談話が破談となり、リンドバーグのほうから声をかけてくれたのだった。


 しかも、リンドバーグは学匠の勉強をしたいという悩みの相談にまで乗ってくれた。学匠を輩出する知恵の島の学術士大学校に紹介状を書いてくれると。騎士団を抜けるにあたって、宰相のユゼフに掛け合ってくれるとまで言ってくれたのだ。


 騎士団を辞める時は許可を得なければならない。従騎士であっても、サチの場合は国王から直接叙任を受けている。国王に私事を申し入れるわけにはいかないので、ユゼフを間に挟む必要があった。


 しかし、親友はサチの手の届かない所へ行ってしまった。アスターとの関係も最悪だ。先日、カオルが起こした騒ぎに巻き込まれてから、サチはアスターと一言も話してなかった。そんな折にこの縁談話が舞い込んだのである。



「ユゼフに直接会って話すことはできないのか?」


「以前はアスターさんの屋敷に招待されれば、顔を合わすこともあったさ。でも、最近は全然……最後に会ったのは剣術大会の前、半年前だよ。あれから顔すら見てない」



 財務大臣であるリンドバーグなら多方面へ顔が利くし、ユゼフとも顔を合わせる機会が多い。思ってもない幸運が落ちてきたのだ。



「もう、幸せ過ぎて罰が当たるんではなかろうかと。学匠になる夢と可愛い奥さんの両方を手に入れられるなんてさ」


「自慢はそれぐらいにしとけよ?」


 ファロフが白目を剥いて訴える。



「ちょっとぐらいいいだろう。自慢できる相手が君しかいないんだから。ジャメルは結婚してるし、キュロスは彼女ができたって言ってたな。たしかジャメルの奥さんの仕立屋で働いてる子」


「チッ……まーた、オレだけ損な役回りだよ。まあいいさ、ここで修行して絶対一流のシェフに……」



 話途中でファロフは頭をポカリ叩かれた。うしろにいるのは料理長だ。



「なに、しゃべってばかりいるんじゃ。早く前菜を用意しろ!」


「あっ……さーせん……今、やりまーす」



 サチのことを睨みつつ、ファロフは流し場を離れた。



「それとな、サチ。スープの味見をしてくれんか? バターも入れたんじゃが妙に味がぼやけとる」


「いいですよ」



 ちょうど野菜も洗い終えた。サチはザルの水気を切ってから、スープの大鍋へと向かった。


 杓子(しゃくし)の跡がついたスープは鮮やかな薄紅色をしている。漂うのは芳ばしい海老の香りだ。


 殻の付いたまま煎った海老をすり潰し()した後、トマトのペーストと野菜だしを合わせたスープ。このレシピはサチが考案した。とは言っても、完全オリジナルではない。内海ではこういった海老のスープはよく作られるが、大陸で一般的じゃなかっただけだ。味見をすると……



 ──うん?



 やはり料理長の言うよう味がぼやけている。 



「なにが原因だろう? 野菜は玉ねぎ、セルリー、人参ですよね? 香味野菜は?」


「ニンニク、香菜、月桂樹の葉、パセリ……」



 ふと、調理台の隅に置かれた使いかけのニンニクが目に入った。手にとって、サチは鼻を近づけてみた。


 やはり、香りが薄かった。



 ──これは……保管状態が良くない


 

 レシピを考案したのが夏の終わりだった。初夏に収穫したニンニクは乾燥させて一年間使う。ニンニクをちゃんと乾燥させないと、劣化が進み香りが立たないのだ。



「ええ。原因はニンニクでしょうね。少々痛んでる。保管方法を考えたほうがいいかも」


「だが、これはどうしよう? このまま、お出しするわけには……」



 料理長は困り顔で鍋の中のスープを眺めた。このまま王の食卓に出しても、誰も味の変化に気づかないはずだ。ほんの些細な違いである。充分、美味しい。


 しかし、不完全な料理を出すということは料理人の誇りが許さないのだろう。



「いいこと思いついた! ちょっと待ってください!」



 サチは調理場の奥にある乾物の保管庫へ走った。


 棚に並べられるのは色とりどりの瓶詰め。乾燥イチジク、芥子(けし)の実、カボチャの種、レーズン、クコの実……



「あった!!」



 サチが手にしたのはクルミの瓶だった。早速、調理場に戻り、数個すり潰す。それをスープの上に散らしてみた。



「料理長、どうでしょう?」


「うむ……これは……」



 料理長の顔に笑みが浮かんだ。ニンニクの香りが若干薄まった代わりに、クルミがアクセントとなったのだ。


 クルミは甘味の強い木の実であるが、同時に渋みや苦味といった癖もある。その個性が主役の海老を上手い具合に引き立てた。



「毎回、おまえには助けられるな。サチ、本気で料理人になる気は……」


「何度も言うけど、俺は学匠になるのが夢なんです。学匠の道をあきらめることになったら、料理人も考えますよ」


「なんにせよ、騎士は最も向いてない」



 料理長がそう言うと、作業していた他の料理人たちもクスクス笑い声を立てた。

 


「そんなことより、ニンニクの保管方法ですよ。なんとかしたほうがいい」


「そうじゃな。野菜の管理はミュゼに任しておるからあとで確認するか。おや? この忙しい時間にあいつ、まだ菜園から戻ってないのか……まったく困ったものだ」


 

 ミュゼというのはファロフと同時期にシェフ見習いとして入った青年である。なにかとファロフを目の敵にしているようで、あまりいい話は聞かない。


 

「おっと……もうこんな時間か。戻んないと」



 出入り口の上に据えられた時計は、もう十二時半を指している。

 

 サチはファロフと料理長に軽く挨拶してから厨房をあとにした。

 


 また長居してしまった。財務部へお使いに行った帰りである。財務部の建物があるのは王城の西だ。


 騎士団は財務部と反対の東に位置する。戻る途中いつも、サチは中央の主殿に立ち寄り、この厨房で遊ぶのだった。



 ──早く騎士団の営所へ戻らなければ



 宿舎の清掃やら、いろいろやることがある。下っ端は下っ端なりに忙しいのだ。

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