3話 かぎたばこ
護衛隊が野盗に襲われたのは二日前。不思議なことに最後尾の補給隊だけ襲われた。本隊は無傷だ。
最後尾に水と食料を運ばせるなど、とんでもないとユゼフは思う。だが、ダニエル・ヴァルタンにとって兵士の並びは規則正しく美しくあるべきで、隊列を乱す補給隊はうしろが定位置と決まっているのだった。
おかしいと思っても、ユゼフには意見を言えるほどの権限がなかった。隊長の兄とは、領主と使用人ほどの距離感がある。
そして、飲食をセーブしないのは王女だけではない。この隊のほとんどの人間が能天気だった。逃げるように王城を出たにもかかわらず、一行はモズの中心街に着けば、受け入れられ歓待されるものだと信じていたのだ。
──たった二百程度の兵で、国の第一王女を守っている状態が安全だとは思えない。しかも壁に遮られ、援軍の望みがない状況だ。
なにより、ユゼフは嫌な予感をずっと引きずっていた。
気持ちを落ち着かせようと、腰袋から嗅ぎタバコを取り出す。嗜好品には鎮静作用がある。ユゼフは丸い小箱に鼻を近づけ、独特な香りを確認した。
これはカワウの城下町を出るときに、亜人の子供から買ったものだ。長引いた戦争の影響で、城下は子供の物売りや手足のない物乞いで溢れていた。
亜人──人間とは異なる種族である。
差別され、国によっては奴隷の扱いを受けている。ユゼフに煙草を売った子供も酷く汚れていて、妖精族の特徴である尖った耳がちぎれていた。金を渡した時、茶ばんだ乱杭歯を見せて、ニッコリ微笑む子供の顔が脳裏に焼き付いている。
一方、城では毎日のように大勢の着飾った紳士と貴婦人が集まり、舞踏会やら音楽会やらを開いていた。
入り口までなら、ユゼフも兄のお供で何度かついて行ったことがある。窓から溢れる光や人々の楽しそうな笑い声、楽器の美しい音色が聞こえてきて、自分と縁遠いことは直接見なくてもわかった。
鳥の王国とカワウ王国の八年にも及ぶ戦争が終わったのは、二ヵ月前の水仙の月だ。
戦争終結にあたって、両国の王女と王子の結婚が確約されていたかどうかは知らない。政治的思惑などユゼフは、正直どうでもよかった。
なにより最悪なのは宦官にされることだ。兄たちが無事に帰還したため、王女の侍従として仕えることが決定してしまった。
別に兄たちの死を願っていたわけではない。しかし、ユゼフは兄たちが死んだときの保険である。保険として必要なくなれば、別の方法で家のために貢献する。貴族にとっては当たり前のことだ。受け入れねばならぬ。
煙草の粉を吸い込む。勢いよく吸いすぎて、くしゃみが出ようが気にしない。不安やら喉の渇きやら空腹やらが、少しは落ち着くのだから。
「育ちの悪さが出てますよ? 見張り中に煙草なんか吸って。言いつけますよ」
「そしたら、おまえが吸っていたと話す。おまえの悪童ぶりは有名だからな?」
「うわ。最低だな! エラい人たちの前では、おとなしいくせに」
おとなしくするよう、矯正されたのだ。おまえのような平民には、この気持ちはわかるまい──ユゼフはフッと何気なく視線をそらした。そこで、荒れ地の向こうで光るものに気づいた。
──なんだ?
この土漠は十スタディオン(二キロぐらい)先まで木も家もなく、見晴らしが良かった。賊が近づいていたとしても、すぐにわかるはずだ。
光が見えたのは一瞬だったので、確証はない。火だとしたら、明るさの度合いからだいぶ近い。
「気づいたか?」
「ええ……」
レーベの顔が先ほどとは打って変わって、こわばっている。
王女の天幕は宿営地のど真ん中にある。隣には侍女たちの天幕、少し離れた所には隊長ダニエル・ヴァルタンの天幕、兵士の天幕はその周りを囲んで設営されていた。
人数はわからない。だが、かなり近くまで来ているのは明らかだ。暗闇のなか、平伏姿勢で音を立てず近づくには、それなりの訓練が必要だろう。彼らは賊ではないのかもしれない。
「隊長に知らせに行く」
ユゼフがそう言った直後、ヒューーー!!……と風を切る音が聞こえ、間をあけずボンッという爆発音が響いた。
衝撃と同時にやってくるのは眩い赤、熱気、焦げる匂い。数分前までいた隣の天幕が一瞬で炎に包まれる。中にいるシーバートは?……老人の安否を気遣っている暇はなかった。
それを皮切りに次々と火が飛んできた。風を切る音が背筋を凍らせる。それが何度も何度も……
数秒の間に王女と侍女の天幕を除いて、周りは火の海となった。
どうやら火矢ではなくて石だ。投石機で飛ばした石が、落下後に着火するよう仕掛けている。
左右の天幕が火に包まれたとたん、ワーッという鬨の声が聞こえた。敵が攻め入ってきたのだ。静かな宿営地は、叫び声と剣がぶつかり合う音で騒然とした。
──もう手遅れかもしれない
ユゼフは兄のもとへ行くのをあきらめた。
「今のは、なんの音です!?」
声は天幕の入り口に立った侍女のミリヤだった。ユゼフは答えず、ミリヤを押し退け、中へ入った。脳がフル回転している時は、周りが見えなくなる。
ディアナ王女はベッドの上でシュミーズ※姿だった。天幕内はランプの光で明るいから、胸元がはっきり見える。
「なんなの!? いったい?」
困惑するディアナを尻目にユゼフは行李を開け、中の衣類をいくつか引っ張り出した。
「ユゼフ、おまえ、気が狂ったの?」
ディアナの質問を無視し、ユゼフは背後でまごついているレーベにガウン※とマントを渡した。
「おまえはこれを着て、表から逃げろ」
「は?」
「敵方はここが王女様の天幕だと認識している。離れた所からずっと……今も見られている可能性が強い」
王女の周りの天幕は正確に狙い打ちされていた。どこからか、ずっと見られていたのだ。内通者もいるだろう。
「おまえは背丈格好が王女様に似ているし、女のようにも見えるから囮に適している。俺は王女様をお連れして裏手から逃げる!」
「ちょっと待ってくださいよ! それで、ぼくが狙われて殺されたら、どうするんです? 嫌ですよ。そんなの…」
「大丈夫。憎まれっ子、世に憚る、だ。おまえは死なないだろう。悪運強そうだしな?」
レーベは首を縦には振ろうとしなかった。無理もない。どう考えても危険な役回りだ。しかも、大嫌いな男からの命令とあれば、聞きたくないのもわかる。ユゼフとレーベは押し問答を繰り返した。
永遠に続きそうなやり取りを終わらせたのは外野である。不意に、うしろで見ていたディアナが立ち上がった。
「言うとおりになさい! 協力しなければ、国に帰ってから捕えるわよ?」
悪童は、問答無用で従わされることになった。
薄いですが、赤い線が国境で時間の壁が現れた位置です。
今、ユゼフたちがいる場所。カワウの土漠。ここから隣のモズへと移動します。
※ガウン……女性用の衣服。コルセットなどで身体の形を整えてから着付ける。
※シュミーズ……スリップ。下着。
人物相関図↓
設定集ありますので、良かったらご覧ください。
地図、人物紹介、相関図、時系列など。
「ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる~設定集」
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