65話 五年前の過去へ暗殺者を送る(ディアナ視点)
(ディアナ)
暁城のアナンはディアナを迎え入れてくれた。独特な文化を持つエデンの城と違い、暁城は大陸寄りだ。城の人たちは皆親切で、ディアナを快く受け入れた。ミリヤもそばにいるし、出産までの間、ディアナは平穏に過ごすことができた。リゲルは出産後にまた迎えに来ると言って、姿を消した。
リゲルがふたたび姿を現したのは、出産して三ヶ月が過ぎたころだろうか。時間の壁はあと二ヶ月で消えてしまう。安全なグリンデルとローズ間の壁へ行くには時間がかかる。アナンの領地とヴァルタン領の間の壁は危険だから渡れないのだ。ディアナに猶予は残されてなかった。
そこで、ディアナは残ることを選んだ。リゲルには、「十二年後にまた迎えにきて」と。
生まれた赤ん坊、カオルに愛情が芽生えていた。可愛い息子を置き去りにはできなかったのである。
十二年の間に目まぐるしく状況は変わった。
ディアナがアナンと関係を結んだのは、夜の国での長い隠遁生活が不安だったからだ。それと、もし自分がいなくなった時、カオルが粗末に扱われないか心配だった。
リゲルは本当に次の壁の時、現れるのか……その時、カオルを置きざりにしたら、一人ぼっちになってしまうのではないか……
そういった気持ちが高まって、アナンと仮初めの夫婦生活を送るに至った。地方貴族にありがちな田舎臭さは気になったものの、アナンは優しく癖のない男だったので、居心地は悪くなかった。
カオルを産んで二年後に次男のアキラが産まれ、その五年後にロリエが産まれた。子供は可愛いし、ディアナは大事にされていたので幸せだったかもしれない。しかし、ぬるま湯につかっていても、本来の目的を忘れることはなかった。
そして、次に時間の壁が現れる時、ディアナは息子たちを捨てた。
王国歴三百十五年。壁が現れる一週間前、ディアナは行動を起こした。まだ少年のカオルとアキラが寝ているうちに、末のロリエだけ連れて暁城を出たのである。
リゲルとはバソリーの廃城で待ち合わせた。それと誰よりも忠実なミリヤ。この二人に守られ、ソラン山脈の虫食い穴を通ってグリンデルへと向かう。グリンデルの壁からローズへ入った。
ローズ城へ戻ったディアナはバチッと切り替えた。もう、夜の国の侯爵夫人ではない。穏やかで優しい母の顔は捨てた。
──これが、私の本来の姿
姿見で確認すればわかる。そこには肉付きの良い中年女の姿はない。時間の壁を通る時、リゲルに若返らせてもらった。ここにいるのは、ディアナ・ガーデンブルグ。主国の女王だ。
ディアナは休む間もなく、「彼ら」を呼び集めた。
「彼ら」というのは、シーマ、ユゼフ、アスターに強い怨恨を持つ者たちである。ミリヤとリゲルをそばに控えさせ、女王の間にて待つ。体は疲れていたが、逆に脳は冴えていた。
やがて、「彼ら」が連れてこられると、ディアナは微笑んだ。
カオル・ヴァレリアン
ウィレム・ゲイン
ジェフリー・バンディ
エリザベート・ライラス(エリザ)
キャンフィ・シナモーヌ
リカード・ダーマー
ティモール・ムストロ
「彼ら」を横並びに立たせる。
騎士団にて冷や飯を食わされていた連中である。恨みを持っているのはシーマやユゼフに……というよりか、アスターに対してか。
挨拶もそこそこにディアナは立ち上がり、声高らかに宣言した。
「今日、おまえたちを呼んだのは他でもない。偽王シーマから王位を奪還するため、特別な任務を与える!」
突然の下知に七人ともキョトンとしている。無理もないが……ディアナは気にせず続けた。
「五年前、シーマとその一味はイアン・ローズを煽動し謀反を裏で操った。そして、我が妹ヴィナスを懐柔し、父クロノスの遺言と偽って、偽の遺言書を作らせたのだ。すべてはシーマが王になるために」
玉座から離れた位置にいる彼らの前まで、ディアナは歩いていった。場に緊張が走る。
「よいか? なんとしても、命を奪ってほしい三人がいる」
ディアナは彼らの前をゆっくり歩きながら、口を開いた。
「ダリアン・アスター、ユゼフ・ヴァルタン、サチ・ジーンニアだ」
三人の名を聞くと彼らは動揺し、互いの顔を見合わせた。
怨みがあるとはいえ、アスターは騎士団長だけでなく王国軍の指揮権を有する防衛大臣である。くわえて、過去の戦争で最強の鬼神と謳われた英雄でもあるのだ。とても数人で太刀打ちできる相手ではない。
ユゼフにしても、元はヴァルタンの私生児だったが、今や一国の宰相。こちらも簡単に手を出せる相手ではあるまい。
「おまえたちの動揺はわかる。たしかに今の状態で彼奴らを殺るのは、偽王シーマを直接殺すのに等しい。それぐらい難しい」
ディアナは彼らの動揺を楽しみながら、一人一人の顔を確認する。
「だが、権力を手に入れるまえの彼奴らだったらどうだ? まだ無力だったころの……」
なにか言いたそうなエリザと目が合う。エリザの青灰色の瞳は、次の言葉を知っているかのごとく怯えていた。
「時を越えるのだ! 時間の壁を使って!」
驚いた何人かが声をもらした。かつてのディアナがそうだったように、彼らにとって時間移動者はおとぎ話だけの存在だ。
「……そんなことが可能なのですか?」
聞いたのは、栗色の巻き毛の貴公子、ウィレム・ゲインだ。以前、イアンに仕えていた。カオルと共に寝返って騎士になった男。
「可能だ。私も今日越えて戻ってきたばかりだ。嘘ではないぞ。魔女リゲルは時間移動者だ。心配なら、まず私が渡って戻ってくるところを見せてやろう」
ディアナは、暗殺隊を送り込むまえに自ら壁を越えるつもりだった。
きっと、うしろで控えているミリヤは慌てふためいていることだろう。このことは反対されるとわかっていたから、伝えていない。
先に壁を越え、ディアナはユゼフに危険を報せる。アスターと行動しなければ救える。暁城の信頼できる侍女に文を託した。あの娘ならユゼフが訪れる八年後まで手紙を持っていてくれるだろう。
暁城から五百五十スタディオン(百十キロ)離れたクレセント城の仮面舞踏会。段取りはつけてある。クレセント城の城主アーベントロットに招待状を書いてもらった。アーベントロットとディアナは、夜の国のサロンで懇意になった。好奇心旺盛な彼は、おもしろい身の上話と引き換えに奇妙な願い事を聞き入れてくれたのである。
ユゼフとクレセント城で逢い引きする。危険を報せ、アスターたちと引き離すのだ。
──彼なら、わかってくれるはず。一緒にグリンデルへ逃げようって言ってくれたんだもの。互いの気持ちを確認したい。私たち、今度こそ一つになれるかもしれない
こちらをジッと見つめるカオルに気づき、ディアナはユゼフのことを頭から追い払った。
「おまえたちを暗殺部隊として過去へ送り込むわけだが、長はカオル・ヴァレリアンにやってもらおうと思う。理由はおまえたちのなかで一番、彼奴らのことを知っているからだ。ユゼフとは子供のころからの付き合いだし、サチ・ジーンニアとは騎士団にいた時、親しくしていたみたいだからな」
サチ・ジーンニアがシーマの間者だという話は、カオルとティモールから聞いていた。暗殺対象に選んだ理由はそれだけではないが……
「引き受けてくれるな? カオル?」
「かしこまりました、陛下……あの、ですが、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「アスターとユゼフはわかります。でも……サチ・ジーンニアが対象に選ばれたのは、なぜでしょうか??」
最もな疑問だった。なんの権力も持たぬただの従騎士である。騎士団の中でも一番下の階層に属する。シーマの間者として働いていることも、わざわざ過去へ行って暗殺するには弱い動機だ。
「捨て置いても問題ないと思うのですが……」
サチが間者だったことを報告してしまったこと。それに対してなのだろう。カオルの瞳には罪悪感が浮かんでいる。同情しているのだ。
──甘いわ。その甘さが命取りになるというのに……
ディアナは明確な理由があって、サチを始末しようと思ったわけではない。サチ本人も知らぬうちにディアナの邪魔を何度もしていて、怨みが鬱積していたのである。
──まず、魔国でイアンに囚われていた時、ユゼフは私の救出を別の男に任せて、サチ・ジーンニアを助けに行ってしまった
魔国で軟禁されていた時、ユゼフが助けに来ると聞いた時は心踊った。それなのに……助けに来たのは毛むくじゃらの盗賊だったのである。
──次にグリンデルの百日城から逃げる時、あの時もユゼフは私のことをアスターに任せて、サチを助けに行ってしまった
今から思えばすべて嘘っぱち。伯母のナスターシャ女王が、隠し子の王子と無理に婚姻させるなんて話は。しかし、あの時は逃げざるを得ない状況だった。イザベラの馬鹿はともかく、ユゼフはあの時もディアナではなくサチを優先したのである。
──最後に騎士団での騒動。クリムトとヘリオーティスが亜人どもを一掃する予定だったのに、あいつのせいですべて台無しになったわ
アスターが亜人どもを王国軍へ引き入れ、何人か騎士にまで抜擢したのを、ディアナは知っていた。この情報はミリヤから得ている。
シーマとアスターの横暴を摘発しようと、ヘリオーティスと副団長のクリムトに命じたのである。
サチ・ジーンニアが亜人かもしれないという話もミリヤから聞いていたから(魔甲虫が体内に入っても死ななかった)、真っ先に暴いてやるつもりだったのに……
結果、地下に封じられた魔物は倒され、亜人ということがわかったのは一人だけだった。
「サチ・ジーンニアはシーマの間者である。騎士団の実情をこと細かにシーマへ伝えていた。おまえたち、離反者のことも感づいて密告しているかもしれぬ。情けは不要だ」
隣で「うんうん」とうなずく仲間たちの寒々しい空気を察し、カオルは黙った。
「女王陛下、質問してもよろしいでしょうか?」
今度はエリザが手を上げた。
「申してみよ」
「アタシは五年前、ユゼフたちと共に行動してました。同じ人間が同じ時間枠に存在することは、できなかったと思われます。アタシは一緒に壁を越えられないかと……」
「そのとおりだな。心配ない。おまえには別の役割を用意してある」
「……別の役割?」
「そうだ。五年前のユゼフたちの行動を一番詳しく知るのがエリザ、おまえだ。何日の何時にユゼフたちがどこにいて、なにをしていたか、細かく教えてほしい。出発前に、だ」
それを聞くと、エリザは唇を歪めてうつむいた。露骨な裏切り行為に対する拒否反応だろう。
──だが、教えてもらわねば
「未来をあんまり大きく変えてしまうのは危険だ。聖霊の怒りを買う」
突然、口を挟んだのはリゲルだった。ディアナはそれを嘲笑う。
「意外に信心深いのだな」
「暗殺に関しては反対も賛成もしない。協力してやってもいい。だが、過去へ行くからには、未来の情報を他言しないと約束してほしい」
「……だ、そうだ。守れるか?」
ディアナが顔を見回すと、七人はそれぞれ首肯したり、「かしこまりました」と同意した。
「さてと、エリザ。協力してくれるな?」
「かしこまりました。ただ、五年もまえのことですし、細かいところは思い出せません。時間も曖昧です。それでもよろしければ」
エリザは覚悟を決めたのか、神妙に頷いた。
「よし! では、一旦おまえたちは下がって、明日の打ち合わせをするがいい」
玉座に座り直し、ディアナは女王としての貫禄を見せつけた。




