60話 シーマの気持ち(ユゼフ視点)
演者のいなくなった大広間にアスターの怒号がこだまする。
「いったい、どういうことだ!? 説明しろ!!」
広間に残ったのはシーマ、アスター、ユゼフの三人だけだ。がらんどうはよく声を響かせる。
リリエは地下に捕らえ、身重のヴィナス王女は王城へ帰した。
充分な金を渡し、シーマの前に二度と現れないよう、ユゼフはリリエに言い聞かせるつもりだった。彼女にとっても安全な遠い場所へ、誰にも見つからない場所へ消えてもらう。ディアナ側には死んだと伝えておけばいいだろう。
「おい、ユゼフ! おまえ、知ってたんじゃあるまいな!?」
「……まあ、だいたいのところは」
「なぬっ! どうして黙っていた?? こんなことになるまでっっ!」
アスターが激昂しているのは、シーマの素性を黙っていたことに対してである。
内海の小さな島の少年が貴族の家に使用人として引き取られた。その後、病弱だった跡取りが亡くなったので替え玉にされたのだ。
シーマ本人とユゼフしか知らなかったはずの、この事実を知らせなかったと言って怒っている。
「なにも知らん状態で対応できるわけがなかろう!? ユゼフが動かねば、あのクソ女にしてやられるところだったのだぞ!?」
クソ女=ディアナ。
有事に際し、自分が動けなかったことが余程悔しいらしい。そういえば、アスターは珍しく困惑していた。
「他にシーマの素性を知る者は? あのリリエとかいう娘の他には??」
「他にはいない……」
事後、一言も発さなかったシーマが口を開いた。ひどいかすれ声に、顔もどんより曇ったままだ。
「アズィーズ島はジェラルド・シャルドンとクロノス国王が滅ぼしてしまった。生き残りは一人も残っていないと……五年前、調べさせたんだ。まさか、生きていたとは……」
「あの娘が生きていたということは、他にもいるかもしれぬ。徹底的に調べあげるのだ」
「……調べて、もし、いたらどうするのだ?」
「はぁぁあああ?? 始末するに決まっておろうが!!」
無礼な物言いをユゼフは咎める気もなかった。アスターはシーマが王であることなどすっかり忘れている。
ズカズカ歩み寄ると、座っているシーマを見下ろした。
「いいか? 王様ごっこはもうおしまいだ。これ以上、隠し事もなし。全部話せ。吐き出せ。でないと、協力はできない」
シーマは生気の失った目でアスターを見上げた。まだショックから立ち直れていない。
「……話すことはなにも……そもそも、俺は王になる気など最初からなかった。五年前の謀反はあいつが……あいつらが……アズィーズを襲ってリリエを殺したと思ったから……」
「はぁぁああああ?? なに、寝ぼけたこと言ってる??」
「成人したら、リリエを迎えに行くつもりだった。不安はあったけど彼女と約束したから。何度も手紙を書いていたのに、彼女からの返信は一度だってなかった。あいつ……ジェラルド・シャルドンが俺の手に渡らないようにしていたのさ」
「……なんの話をしてる? 今話してるのは女の話じゃない」
眉根を寄せるアスターを置いて、シーマは続けた。
「アズィーズの島民を皆殺しにした後、あいつは俺に手紙の束を見せた。俺が彼女のために書いた手紙だ。それを笑いながら暖炉の火に投げ入れたんだ」
シーマの独白にアスターの気勢は削がれた。助けを求めてユゼフを見る。
シーマの視線はぼんやり空を漂っていて、どこを見ているかもわからなかった。まともな状態ではない。
抜け殻だけがそこにあった。シーマの口を動かすのは過去の情だろうか。一度堰を切れば、濁流の勢いは誰にも止められない。話は止まらなくなった。
「その時、こいつらを全員根絶やしにしようと心に誓った。民を虫けらと思っているあいつらを制裁してやろうと……幼いガーデンブルグの後継者たちを殺したことに後悔はない。あいつらは成長すれば必ず亜人を虐げる。三百年間、ずっと続いてきた営みだ。奴らに憐れみは必要ない。アズィーズの娘、幼子、老人、みんな殺された。ガーデンブルグの連中がのさばる限り、永遠に悲劇は繰り返される……」
「……よし、わかった。そこまでにしとこうか。冷静に話せるようになるまで少し時間を……」
「俺は彼女を……リリエを愛していた。こんな見た目で家族は俺を納屋に閉じこめていたから──醜いと言われ続け、日の当たらないジメっッとした場所でずっと一人ぼっちだった。抜け出し、村の子供を引き連れて遊ぶことはあったよ。でも、日が落ちれば、結局納屋へ戻る。皆は暖かい家に戻るというのに。俺にはあの暗い場所しか帰る場所がなかったんだ。
帰れば、痣が残るまで鬼婆に尻を棒で打たれる。そんな酷い鬼婆が俺を育てた。父は俺を自分の子でないと言い張り、母は育児放棄していたからな。毎日毎日、朝から晩までずっと目を皿にして蚕の繭をより分けていたよ。腹を空かせて蛹を食べることもあった。虐げられてたんだ、家族から。会いに来てくれる彼女が唯一心の拠り所だった……」
「……うむ……色白や銀髪も悪くないと思うがな」
シーマにアスターの言葉は届かない。残されたリリエの血痕へ視線を這わせた。
「彼女を愛してたんだ……ぺぺ、どうしてあんなことを……」
言葉を詰まらせる。ハラハラと涙がこぼれ落ちた。
「おいっ? 泣くんじゃない。大の男がみっともない……ユゼフ、なんとかしろ」
当惑するアスターにユゼフは溜め息を吐いた。
「アスターさん、頼むからシーマと二人にしてくれないか?」
†† †† ††
アスターがいなくなると、シーマが鼻をすする音だけが残った。
演技で悲しげな顔をするのは見たことがある。だが、さっきの涙は本物だろう。
あのようにシーマが取り乱すのを、ユゼフは初めて見た。アスターの前で弱いところを見せるのは悪手だというのに。
大きな身体を最大限縮こまらせ、シーマは椅子の上に膝を立てて座っていた。
顔は膝に埋めているから表情は見られない。ときおり、銀髪が揺れるのをユゼフはボーっと眺めていた。
「君を守るために仕方なかった」
言い訳をしたところで、どうにもならないことぐらいわかっている。だが、せずにはいられなかった。
「あのまましゃべらせていたら、ディアナ様の思惑通り偽の王だと認めてしまうことになる……」
「偽の王でなにが悪い!」
シーマは顔を上げると、充血した目でユゼフを睨みつけた。
「玉座などもういらない。王位などくれてやる。おまえに譲ってもいい。おまえのほうが向いてる。エゼキエル王よ」
「茶化すのはやめろ」
「……わかるか? 死んだと思っていた最愛の女が生きていた……それを目の前で傷つけられた……しかも、一番信頼していたおまえに!」
「彼女ともう会ってはいけない。ヴィナス様との関係を壊したくなかったら、忘れるんだ」
「脅す気か? ヴィナスをダシにして」
「シーちゃん、君がみんなを巻き込んだんだ。今さら時間を戻すことはできない。君が王をやめれば、みんな居場所を失う。生きていけなくなるんだ」
「……ぺぺ、おまえは自分の保身のために俺から大切な人を奪うと言う」
否定はしなかった。そうだ。保身のためだ。保身のために無垢な彼女を傷つけた。
──でも、シーちゃんも同じだろう? 王子を何人殺したと思ってるんだ。もう無意味な犠牲を出したくなかった。だから俺が代わりに手を汚そうと思ったんだ
「ぺぺ、俺はおまえのことが憎い。誰よりも……」
「なら、殺すか?」
ユゼフは投げやりに答えた。シーマが自分を切り捨てるというなら、それもいいと思った。ならば、死ぬ前に少しだけ猶予をもらって、好き勝手させてもらおう。
「殺さない。おまえにも俺と同じ痛みを味わわせてやる。絶対に、だ」
本気だった。ユゼフはシーマの瞳が銀色に光るのを見た。ゾクッと寒気を感じて下を向く。
──同じ痛み……とは……
「モーヴになにかするのは許さない」
「モーヴ、ではないさ。おまえの想い人は」
これ以上、見透かされるのを恐れ、ユゼフは一歩下がった。下がったところで、どうにかなる問題ではないが……
シーマが言わんとすることは、もうわかっている。必死に隠そうとしていたこと……ディアナへの想いはすべて……
──いつから気づいていたのか……
「最初から知っていたよ。おまえがあいつを好きだってことは」
──知ってて自分のために彼女を守らせたのか
「そうだよ。おまえは鈍感だから自分の気持ちにずっと気づいてなかったろうが。視線を追えば、大抵のことには気づくものさ。別に触れなくても心ぐらい読める」
惨めな罪悪感に支配される。ユゼフにとって純粋な恋心こそ、誰にも知られたくないことだった。
ささやかなプライドさえ無残に踏みにじられる。秘密を白日のもとにさらされ、嘲笑されるということは。
「正直、彼女を手に入れることで優越感もあった。おまえは俺より頭もいいし、人にも好かれる。おまえより優位に立てるのは気持ちのいいものさ……俺のほうが好かれてるって? そんなことはないよ、ぺぺ。俺の周りに集まるのはくだらない俗物ばかり。おまえは三百年前の王の生まれ変わりで、仲間の亜人たちからも崇拝されている。ティモールとか言ったっけ? あいつも剣術大会でアスターに始末させるつもりだった。失敗してそのまま捨て置いたのは、情報源として役に立つからさ。俺にはあのような忠臣はいない。あと、おまえの妹たちの嫁ぎ先を手配したのも俺だよ……」
「知ってる」
「でもこれは知らないだろう? おまえと縁を切るよう、俺は妹たちを脅した。過去を清算せねばおまえは失脚するからと、もう会わないようにと言いくるめたんだ。おまえから暖かい家族も奪った。なぜって? おまえが妬ましかったのもあるし、俺のためだけに働いてもらいたかったからさ」
シーマは容赦なく言葉を続けた。積み重なる言葉はシーマを活気づけた。
「王位を得るために必要だっただけで、ディアナのことは大嫌いだった。おまえの前で仲良しを装っていたのは、単に気分が良かったからだよ。おまえが指くわえて見てるのが、おもしろかった」
ユゼフはシーマを見ないことで、やっと理性を保っていた。目を合わせれば、きっと手を上げてしまう。
「でも……そんな陰気な遊びも、もう終わりだ。ぺぺ、顔を上げろ。おまえに言いたいことがある」
ユゼフはゆっくりと顔を上げた。冷静でいられる自信はない。
シーマは少しも笑ってなかった。灰色の瞳はユゼフを冷たく見据えている。そこあるのは完全なる殺意だ。
「いいか、ぺぺ。俺はおまえの言うとおりにするよ。もうリリエとは会わない。なかったことにする。でも、その代わり──絶対にディアナを許さない」




