38話 サチとヘリオーティス②(サチ視点)
食堂では、麻袋の集団が血まみれの誰かを取り囲み、暴行していた。
リーダーと思われる男だけ、麻袋を被っていない。ペロッと下唇を舐める彼とサチは目が合った。
眼帯、金髪坊主。柄の悪さはアホのティモールと張れるのではないか。一つだけの真っ青な瞳は綺麗過ぎて、逆に怖かった。
食堂の外で兵士が言っていたエッカルト・ベルヴァーレは彼だろう。その隣に副団長のクリムトが立っている。
クリムトは、ジトォっと陰険な目でサチを見た。こちらも金髪角刈り碧眼だが、エッカルトとは種類が違う。痩躯と偉躯。反体制と体制。無秩序と規律。ゴロツキと堅気──これぐらいの差がある。
クリムトは気分が悪くなるほど嫌らしい笑みを浮かべた。視線は動かさず、あとから入ってきたグラニエに声をかける。
「グラニエ殿、ご協力いただきたい。ヘリオーティスが勅命により検査している」
「ヘリオーティス!? 勅命!?」
ピンと反った髭が小刻みに震える。グラニエは明らかに激怒していた。王軍及び騎士団の敷地内に部外者が何人も入り込んでいる。しかも、誰かを亜人という理由で勝手に制裁しているのだ。
構わずクリムトは続けた。
「隣にいるサチ・ジーンニアを差し出してもらおう。亜人の可能性がある。勅命だ」
麻袋を被った甲冑の男……いや、体格からして女……が、サチに向かってきた。手になにか持っている──そう思った瞬間、グラニエがサチを庇った。
バシャァッ
水が弾け、グラニエは“なにか”をかけられた。
「あら、残念」
麻袋の女は舌打ちした。酷い掠れ声だ。
ビクッ──彼らに暴行されていた人が女の声に反応し、顔をわずかに上げた。
「ファロフ!」
暴行されていたのは元盗賊のファロフだったのである。魔法薬のせいだろう。髪は緑色で耳がとがっている。妖精族エルフの特徴だ。
ファロフの顔は元の二倍くらいの大きさに腫れ上がり、原型を留めてなかった。どうしてファロフだとわかったのかというと、サチには精気を感じ取る能力がある。よく知っている人物は、目を閉じていてもわかる。
サチは迷わず、駆け寄った。
「ダメだ! サチ!」
腕をつかもうとするグラニエの手を振り払う。危険な連中の中心にサチは突っ込んでいった。友達が大けがをしているのだ。放ってはおけない。
「大丈夫か? ファロフ!」
つい今しがた、わずかに動いたのだが、助け起こし呼び掛けても反応がない。息はある。医務所へ連れて行こう……サチは自分の肩にファロフの腕を回し、立ち上がった。
「……え?」
サチは絶句した。前にいるのは、麻袋、麻袋、麻袋、麻袋、麻袋、麻袋、麻袋……
麻袋を被った者たちにグルリと包囲されている。遥か向こう、さっきまで一緒にいたグラニエが輪の外に見える。
そして、不意打ちだ。麻袋の一人がいきなり、試験官の中身を引っかけてきた。
サチには避ける余裕はない。液体は弧を描き、光を振りまきながら落下した。サチは反射的に目を閉じる。
ジュウゥゥゥゥウ……
聞こえたのは水分が蒸発する音。
「やめろ! やめるんだ!」
サチが目を開けると、グラニエが輪の中へ入ってきた。しかし、グラニエがたどり着くより早く、麻袋の手が動く。
サチは液体の入った試験官ごと投げつけられた。
一つは肩に、もう一つは腰の辺りで弾ける。蓋が飛び、中の液体が頬をかすめようとしたとたん……
ジュワッ……ジュワッ……
白い煙となって消えていった。
しばし、沈黙が場を支配する。ヘリオーティスだけでなく、そこにいた兵士、騎士たちも喫驚している。
気を取り直した麻袋の一人が、ふたたび試験管を投げつけた。
三打目は当たらなかった。グラニエが盾になったのである。
「グラニエ!! どういうつもりだ!?」
クリムトが怒鳴った。背の高いグラニエが前に立ちはだかっているため、サチには彼らの表情が見えない。
「それはこちらがお聞きしたい。クリムト副団長、ここで行われているのは私刑に他ならない。アスター様は、こんな横暴を許さないだろう。数刻以内にアスター様は戻られる。その時にどう申し開きするつもりだ? 勅命と言うが、ヘリオーティスに国王陛下が命を下すなど考えられない!」
「黙れ!黙れ!黙れ! アスター様が留守にされている今、騎士団の最高責任者はこの私だ! 貴公は従わなくてはならぬ! 勅命は間違いない! すみやかに、亜人どもをこちらへ……」
「たとえ!……たとえ、王命であったとしても!」
グラニエは副団長の言葉を遮った。
「王命であったとしても、私は不義に荷担しない。罪なき者を寄ってたかって、暴行することが正義であるはずがない!」
──グラニエさん
サチは胸のすく思いでグラニエの言葉を聞いた。だが、彼らは感じ入る余裕さえも与えてくれなかった。
「ご高説、ご立派ですねぇ……」
口を挟んだのは眼帯の男、エッカルト。
「でも、それは人間にしか当てはまりませんよぉ。奴らは人間ではなく危険な獣なのですからぁ」
「悪魔めが……残念ながら、ここにいるサチ・ジーンニアは亜人ではない。私は、彼を子供のころから知っている。彼は人間だ」
「……ハッ!?」
エッカルトは身を仰け反らせた。
「ハッ?ハッ?ハッ? なーにをおっしゃってるんですか? 見たでしょう? そこの君も、あなたも、あなたも、あなたも、君も、あなたも? おまえも!」
つぎつぎに麻袋や兵士、騎士たちを指差して尋ねる。
「我々の眼前で、魔法薬が煙のように消えてしまったではありませんか!? 一瞬で! 妙な奇術を使えるコイツが、人間であるはずありませんんんっ!」
エッカルトに同調し、他のヘリオーティスらも「そうだ、そうだ」と相槌をうった。
「俺は人間だ!」
反射的にサチは叫んでいた。
──だって……亜人という理由だけでファロフを痛めつけるこいつらのほうが、よっぽど非人間的じゃないか
青い瞳がサチへ向けられる。サチは臆することなく受け止め、まっすぐにらみ返した。
「人間の定義が人間らしさにあるのなら、おまえらのほうが人間ではない!」
「化物の定義は化物らしさにあります。つまり、非日常的なおまえのことですよぉ」
それまでふざけた調子だったエッカルトの顔つきが変わった。憎悪に満ちた本性が剥き出しになる。奇妙に歪んだ顔は悪魔そのものに変わった。
エッカルトが手を上げて合図すると、グラニエは取り押さえられた。
「はなせ! はなせぇえええ!!」
「勅命ですからねぇ、逆らえばその場で斬りますよぉ。亜人を助けた人間も同罪でぇす」
グラニエは必死に抵抗している。
──なんで、そこまで
サチの胸は締めつけられた。自分のために、グラニエが命を落としてはならないと思った。
「グラニエさん、抵抗するのをやめてください! こいつらに俺は殺せない。絶対にだ。あなたが今ここで、正義感から無駄死にする必要はないのです!」
サチを見るグラニエの目に怯懦が宿った。捨てられるまえの子猫のような、不安と恐怖に満ちた目だ。老練な騎士の目ではなかった。サチは繰り返した。
「いいですか? 俺は殺されません。だから、あなたはおとなしく捕縛されてください」
グラニエの表情が怯懦から苦悩へと変わる。
「そういうわけにはいかないのです……いかないのだ……」
敬語? 小声でモジョモジョつぶやいている。この人がなぜ、自分を気にかけるのか、サチにはわからなかった。
サチは眼帯男、エッカルトに向かって声を張り上げた。
「俺は人間だ! 何度、その液体をかけたって同じだ! なにも変わらない!」
真冬の青空みたいに寒々とした片目が標的を定める。肌を粟立たせる不気味さにも、サチは怯まなかった。
「おまえたちの目的が俺なら、逆らわず捕縛されよう! だが、他の者に手を出すのなら、何人か命を落とすことになる。おまえたちも、同志が減るのはつらいだろう?」
サチの気迫に、麻袋たちは一歩下がった。エッカルトの視線は変わらず固定されたままだ。周囲を黙らせる威圧感を出し、サチとエッカルトは睨み合った。
「裁判に持ち込むつもりでは?」
沈黙を破ったのはクリムトだった。
「この男にはアスター様やリンドバーグ大臣、宰相閣下の後ろ盾がある。どういう手を使って、取り入ったかはわからぬがな。いったん捕まってから裁判に持ち込み、無罪を主張するつもりかもしれん」
エッカルトの耳がピクリと動く。視線はまだ動かない。
「裁判に持ち込まれた場合、有力者の支援で無罪になる可能性が高い。だから、こやつは自信満々で自ら捕らわれようとしてるのだ……とは言え、亜人という確証なしに斬り捨てれば、我々が責任を問われることになる」
「……ではぁ、どぉすればいいと?」
「自白させるのだ」
「はぁ? 捕らえてから拷問すんの? アスター帰ってくるまでにそれ、間に合うの?」
「すぐここで自白させる」
「だからぁ、どうやって……」
属性が違うとやはり、うまくいかないらしい。クリムトとエッカルトは言い合った。
「演習場の地下に閉じ込めるのだ」
「……で?」
「地下には魔獣が封印されている」
魔獣と聞き、エッカルトは歪な笑みを浮かべた。




