35話 サチと料理主任(サチ視点)
兵営の食堂にて。
あまりのまずさに耐えきれず、サチは厨房へ文句を言いに行く。カオルは止めようとするのだが……
(サチ)
なぜ、汁が灰色なのか? なぜ、ドロッとしているのか? なぜ、肉が噛みきれないのか? なぜ、舌触りがブツブツしているのか? なぜ、変な臭いがするのか? なぜ、野菜のヘタが入っているのか? なぜ、塩辛さのあとにえぐみを感じるのか?
なぜ?なぜ?なぜなぜなぜなぜ……
「サチ、頼むからおとなしくしてくれよ?」
カオルがサチを押し止めようとする。サチは乱暴にスプーンを置いた。
ここは王城内。王軍と騎士団が共用する食堂である。波乱の剣術大会からひと月が過ぎていた──
「いや、これは我慢できない!! まえに腹を下したが、その危険性を今ヒシヒシと感じている!」
「じゃあ、食うのやめてパンでも買いに行こう。今の時間だったら、屋台も出てるだろうし」
城内中央の郭※は小規模な町である。祭日にはパンを買いに城外からも民が来るし、時間によっては屋台も並ぶ。城内で働く者たちの憩いの場だ。
立ち上がろうとするカオルを、今度はサチが制止した。
「ダメだ。今日こそは言う! 言わせてもらう!」
サチの決意は固かった。目を合わせると、カオルの表情が困惑からあきらめへと変わる。背後にイアンがいた時は威勢良かったが、単体だと気弱なのである。
まずいのでサチは食堂をなるべく利用しない。だが、給料日前は金欠だ。サチは一定額を貯金し、毎月使える金額を決めていた。仕方なく食堂に入ったところ、腐った灰色汁を出されたのである。
以前、腹を下した恨みもあった。喧嘩になろうが、文句を言わずにはいられない。サチは厨房をキッとにらみつけた。
サチたちの他に食事をしているのは数人だけだ。やはりまずいから、誰も食べにこない。運営費の無駄遣いだ。
サチは肩を怒らせ、厨房へ向かった。石の床を踏むブーツの音がカツカツと響く。
おもしろいことが起こると察知して何人か立ち上がった。皆、料理はほとんど口にせず、エールを飲んでいる。まずいと誰もが思っている。
文句を言わないのは臆病だからである。料理人と言えども、城で雇っているから王の所有物だ。それに難癖つければ面倒なことになる。
同じく闘いを察知し、ゆで蛸のような赤ら顔のチーフが厨房の奥から顔を出した。
「まーた、テメェか? エセ騎士のクソガキが!!」
「そうだよ。今日は徹底的に言わせてもらうぜ」
下町で生活していたサチは、庶民の口の悪さに慣れている。
「あのなぁ、オヤジ。食事を提供するにはそれなりの覚悟が必要だ。食い物は血肉になる命の源だ。料理人ってのは、人の命に直結する誇り高き職業なんだよ。しかも、アンタは国王陛下の所有する王軍の食事を作ってる。そのうえ、騎士団からも食べに来てるんだ」
「口だけ達者の成り上がりがぁ! エラそうなこと言うんじゃねぇっ!!」
オヤジの恫喝にオーディエンスがクスクス笑う。
騎士団でサチは有名人だった。主君を裏切り、国王の温情で騎士にしてもらったイアン・ローズの従者。口だけ達者な剣も振るえぬ元庶民。アスターとグラニエに贔屓されている嫌な奴。剣術大会の決勝戦に乱入し、試合を台無しにした張本人──
学生時代から庶民のくせに生意気だと虐げられてきたから、今に始まった話ではない。嘲笑の的になろうが、サチはまったく気にしなかった。
「俺はな、この間、同じ色のシチューを食った時、腹を下したんだ。戦のまえに同じことをしてみろ? 敗戦だ。一人の料理人のせいで国が滅亡する。アンタのせいで大勢の命が絶えるんだよ」
「黙れ! 黙れ! 黙れぇえええ!!!」
オヤジ……いや、チーフはシェフ帽を脱ぎ捨てると床へ叩きつけた。哀れなシェフ帽は、ピシャァッといい音をさせる。
白髪混じりのもみあげがフサフサしていたため、サチは気づかなかった。シェフ帽で覆われていた部分……もみあげ以外はツルツルだ。そして今はタコと同じ赤色に染まっている。はて、シェフ帽をかぶる意味とは?
「いいか、オヤジ? 俺の問いに答えよ。なぜこのスープはドロッとした灰色をしている? 肉が噛み切れず、舌にブツブツ残るのは? 臭い、えぐみの原因は?」
「知るかっ! 噛み切れねぇのはテメェの歯の問題だ! 臭いのはテメェの鼻がおかしいんだよっ!」
完全にゆで蛸と化したハゲオヤジ……いや、チーフは今にもつかみかからん勢いだ。カウンターテーブルに唾の雨を降らせ、怒声をあげる。オーディエンスは増え、控え目に笑っていたのが皆、腹を抱えて大爆笑している。
「爺……わからないのなら、俺が教えてやろう。まず、この灰色とトロミは痛んだ里芋が原因だ。肉は筋切りしていない。煮込み時間も少ないだろう。洗って湯をかけないから肉の臭みが残る。舌に残るブツブツは小麦粉がちゃんと溶けてないからだ。野菜や肉の下処理をしてないから、えぐみを感じる。ちゃんと食材の状態を確認してから調理したか? 痛んだ野菜を使ったり、肉の血抜きが不十分だったりすると臭くなる。それと最後に、野菜のヘタは入れるな!」
笑っていた連中がとたんに白けた。誰もが呆けた顔をしている。料理人でもない男が、料理の話をする違和感を受け入れられないのだろう。
ここにいるのは末端とはいえ、戦士だ。兵営で手間のかからない煮炊きぐらいはするが、大ざっぱな男料理に限る。細かい下拵えの話は彼らにはわからない。また、騎士に至っては戦士であるまえに貴族である。料理の作り方を語れる者など騎士団にはいなかった。
チーフの代わりに、傍らのシェフが口を開いた。
「当たってます……全部」
チーフ……いや、もはやただのハゲオヤジは口をあんぐり開けている。
「サチ、行こう」
カオルがサチの腕を引っ張った。場の空気にいたたまれなくなったのだろう。言いたいことはすべて言ったので、サチはカオルに従った。
「待て!!」
背を向け一歩踏み出したところで、ハゲオヤジが怒鳴った。
「そこまで言うんなら、テメェが作ってみろ……その……命に直結する誇り高き料理とやらを!」
「へ?」
「厨房も材料も、全部自由に使っていい。ワシの舌を唸らせたら、テメェの言うことを素直に聞いてやる」
チーフの言葉にサチは一瞬言葉を失った。まさか、作れと言われるとは思っていなかった。
カオルが袖を引っ張る。気弱ゆえに、面倒が起こるまえに逃げたいのだ。頭をわずかに振って、目で訴えている。
──悪いな。カオル
すっかり静まり返った食堂で、サチは宣言した。
「いいだろう。受けて立つ」
†† †† ††
厨房に入ったサチはまず、道具をチェックした。だいたい必要な物は揃っている。見渡したところ、意外にも掃除は行き届いていた。よく研がれた包丁に手入れされたまな板。竈の周りは綺麗に拭かれているし、床は塵一つ落ちていない。
──うん、やりやすそうだ
カオルと、冷やかしにきた元盗賊のファロフが一緒についてきた。
「中へ入るんなら、手をちゃんと洗え。それと長い毛が料理に入っては大変だ。手拭いを頭に……」
言いながら、サチ自身も頭に布を巻く。しぶしぶ、ファロフは手拭いを受け取った。ファロフは緑色の髪が特徴の亜人だが、今はレーベの薬で黒髪にしている。頭に布を巻くと、盗賊時代に戻ったようだ。しかし、布をうまく留められず、苦戦している。
「うん? こうか? あれ……ちがう」
「違ぇよ! やってやるから……あっ、カオルも」
「おれはいい……外で見てる」
カオルは一歩後ずさり、背を向けた。当然の反応である。庶民だって料理人でなければ、台所に立つのは女だ。剣を握る人間は包丁を握らない。
ファロフの頭の手拭いを縛ると、サチは腕まくりした。
「さてと、始めるか。ファロフ、手伝え」
チーフは壁に寄りかかり、腕組みをしている。やれるものならやってみろと、睨みをきかせているのか。全然、怖くないが。
「……あ、あの、よろしかったらお手伝いしましょうか?」
声をかけてきたのは、チーフの傍らにいたおとなしそうな料理人だった。薄汚れたエプロンを付けたチーフとは異なり、白く清潔なエプロンとシェフ帽を身に着けている。
「トッドと申します。チーフの補佐をしております。許可をいただいたので、手伝わせてください」
──なんか真面目で誠実そう。この人がチーフやったほうがいいんじゃないの
そんなことを考え、サチはうなずいた。
「じゃあ、外に吊るしてある鳥を水洗いしてから、持ってきてくれるか?」
「かしこまりました!」
トッドは嬉しそうに勝手口へ向かった。厨房は家畜小屋や菜園に隣接している。肉やハーブは勝手口から持ってくるのだ。
「ファロフ、君は菜園で葉物野菜を取って来い……今は百日紅の月だから、ジュート※なんかが生えてるといいんだが……」
「わかった」
ファロフたちが去ると、サチは他の材料を揃えた。
「ニンニク、玉ねぎ、コリアンダー、月桂樹、適当にスパイス選んでっと……あと、なんだろう?……」
竈の隣にある調味料棚には、所狭しと高級な香辛料が並んでいる。軍営内とはいえ、さすがは王城の厨房だ。
「……ああ、里芋だ」
野菜かごは、かまどとは反対側の壁に置かれている。入っているのは、貯蔵庫から持ってきた根菜類だ。里芋もある。
──少々痛んでるな……数が間に合えばいいのだが
状態の良いものを選んで洗い、皮を剥く。同時進行で湯を沸かし、ニンニク、玉ねぎを刻む……チーフはその間も腕組みしたまま、サチをジッと見ていた。刺すような視線は最初よりか、少し和らいだ気がする。
そうこうしているうちに、トッドが戻ってきた。サチは渡された鶏の状態をササッとチェックする。血や臓物が付いて、汚れた状態はよろしくないからだ。
──よしよし、ちゃんとキレイになってるな
サチは手早く鶏を解体し始めた。すでに内臓は抜き取ってあるから、まず胴体からモモを切り離し、胸肉、胸骨を外し、ささみを外す……
「手慣れてますね。ひょっとして以前、どこかの厨房にいらっしゃった経験が?」
「まさか!? 狩りをすれば、これぐらいのことは誰だってできる。あとは……事情があって、十歳から家族の食事を自分で用意するようになった。それぐらいだ……」
「信じられません」
トッドは目を丸くする。ちょうど、両手にいっぱいのジュートを抱えたファロフが戻ってきた。
「おしゃべりはもういい。トッド、君はジュートを洗ってくれ」
「かしこまりました」
骨を外し筋を抜く。やることのなくなったファロフが不思議そうに、その様子を見守った。街育ちの元盗賊には縁のなかった世界かもしれない。
「白いの、なんで抜くの?」
「これは筋だ。筋肉に沿って入ってる。たくさん残すと、噛みづらくなるんだ。だから硬そうなのは取り除いておく。ほら、こうやって切り込みを入れてから包丁を当てて……」
サチは筋を引っ張り、抜いて見せた。
「おぉぉ。オレも、オレもやってみてぇ!」
「ダメだ。君はもう一度手を洗え」
「チッ……おまえ、ほんとに潔癖だな。」
カオルがカウンター越しにこちらを見ている。カオルのうしろには大勢の野次馬が集まってきていた。
「ジュート、洗い終わりました!」
「じゃあ、里芋が茹で上がったところだから、滑らかにすり潰してくれ……お、ちょうど湯も沸いたな」
サチは解体した鶏をかまどの隣の洗い場へ持っていった。
湯の沸いた鍋を両手でつかみ、鶏へぶっかける。湯気がモウモウと立ち、視界が真っ白になった。
驚いた声を上げたのはファロフだ。
「うぁー! 目が見えねぇ……どうして肉に湯をかけんだよ?」
「こうやって、肉の臭みを取るんだよ」
「里芋、すり潰しました!」
「お、早いな。さすが! でも、もっと滑らかにな。クリームみたいに……それとスープを煮出すまでに時間がある。瓜の蜂蜜漬けはあるか?」
「ええ……昨日の晩、漬けた物が確か貯蔵庫に」
「塩漬け肉は?」
「鴨、鹿、ウサギがあります」
「鴨で……あっ、思い出した!……ほんの少しでいいんだが、バターもあれば」
「バターはないです。主殿の大厨房にはありますが……」
大厨房というのはその名の通り、城内で一番大きな厨房だ。王族の居住空間(パレス)にあり、王の食事を作る。
「そっか、贅沢品だもんな……」
サチはすんなり、あきらめた。すると、
「ワシが取りに行ってやろう」
「!?」
耳を疑ったのはその場にいた全員である。タコオヤジ……いや、チーフが自ら協力しようというのだ。




