32話 大馬鹿者(ユゼフ視点)
剣術大会の決勝戦。勝ち抜いてしまったティモールはアスターと戦うことに……
真剣勝負をしようと言うアスターの誘いに応じてしまう。
「我が名はティモール・ムストロ!! 我が君の御前にて、この世で一番尊敬するアスター様に真剣勝負を申し込む!!」
ティモールが高らかに宣言すると、観客席では混乱が渦巻いた。我が君というのは誰も気づいていないが、ユゼフのことである。想像だにしなかったパフォーマンスに歓喜する者、ブーイング、ヤジ、かけ声……
ユゼフは眉間を押さえた。目眩がしそうだ。本当は顔を覆いたい。
少しまえまで、険しい顔でティムをにらんでいたシーマが弾けるような笑顔になった。
「おもしろい! なあ、ぺぺ? アスターは受けるのだろうか?」
「……そりゃ、受けるでしょう」
アスターが誘導したのは明らかで、シーマもそれをわかっている。阿呆はあれだけ注意したにもかかわらず、アスターの誘いに乗ったのだ。そして、ラセルタはまだ戻ってこない。
──もう知るか! 死んでしまえ!
心配より怒りが勝っている。自分を守るため生まれ変わった男が、勝手な戦いに身を投じて死に行こうとしている。
──あいつのほうから来たんだ。あなたを守りますと。それなのに
ティムと出会ったのは五年前。五首城と夜の国で襲われた。未来から来た刺客の中に紛れていたのだ。戦いながらユゼフを安全な場所へ導き、助けてくれた。
家来として認め、初めて命令を下したのは帰国後──今にも崩れそうな実家の近くだった。
──大馬鹿者め。いったい、なんのために転生したというのだ??
ユゼフがエゼキエル王の生まれ変わりである事実を共有する唯一の人物。彼は蘇った守人だ。
「よかろう。申し出、受けて立とう」
アスターが答え、観客席からは大歓声が湧き起こった。
一礼し、ティムが剣を取りに行っている間もユゼフは気が気でなかった。
──あいつは情報源として優秀だから、いなくなると困るのだ。僕はラセルタだけでも充分だが
「どうした? そわそわして」
シーマが楽しそうに尋ねる。表情の変化に応じて銀髪も煌めいた。妖精族特有の甘ったるい香り。邪欲を刺激する香りが漂ってくる。
髪を染めるのをやめ、本来の姿に戻ったシーマは美しかった。女でなくても、見とれてしまうことはある。別に変な意味ではなくて、美に惹きつけられる純粋な衝動からだ。
目立つ容姿が危険であることにシーマは鈍感だった。容姿だけで、あらぬ疑いや嫉心、憎悪、嗜虐性を生み出す。
反対にユゼフは自分を隠すことに長じていた。シーマは隠れ蓑にちょうど良い。シーマが宰相の傀儡だという世間の噂は、的を得ているのかもしれなかった。ユゼフはシーマの忠臣である一方、誰よりも彼をうまく御せると自負もしていた。
──光と影
二人で一人の王を演じている。役割分担は完璧だ。どちらか欠ければ、崩れてしまう。その危うさをわかっているからこそ、許せないことも互いに許容していた。
ユゼフは顔に憂いを滲ませ、声のトーンを落とした。演技ではない。暗い顔が自分に似合うのを知っている。
「アスターが心配なのです。義父ですから」
「アスターなら問題ないだろう」
「相手は双剣と呼ばれるめずらしい剣術の使い手です。さすがのアスターも戦ったことがないでしょう。苦戦するかもしれませんし、真剣では危険です」
「随分とあの男について詳しいのだな」
「当然です。陛下の右に座っているのですから」
「ふぅん……」
シーマが含み笑いしたところで、反対隣に座っているヴィナスが不安げな声を出した。
「危険なことはやめてほしいですわ。血を見たら私、倒れてしまうかも……」
「そうです。ヴィナスは身重なのですから。あまり刺激の強いものを見ては、お腹の子に障ります」
ヴィナスの隣の太后まで口を挟む。シーマはヴィナスの肩をつかみ引き寄せた。
「戦いが恐ろしくなったら、俺の胸に顔を埋めていればいいだろう?」
シーマの胸に半身を預けることになり、ヴィナスの耳は真っ赤になった。
「陛下!!」
ユゼフは思わず声を荒らげた。
「公衆の面前でそのようなことはおやめください。ヴィナス様とは義理の兄妹なのですから」
「はぁー、めんどくさい。ぺぺ、おまえ、やっぱりイラついてるだろう?」
シーマは愚痴りながらも、ヴィナスを椅子に戻した。可憐な王女は胸元まで桃色に染め、潤んだ目でシーマを見つめている。
「ユゼフの申す通りです。ヴィナスはまだ妃になっていないのだから、皆の前ではしたない姿を晒してはいけませんよ」
なにも悪くないヴィナスが太后に叱られる。唇を尖らせ、うつむくことによって、ヴィナスは理不尽な母親に抵抗した。
「まだ妃になってない」か──
ヴィナスがシーマの妃になるのは当たり前なのだと、太后は思っている。太后だけでなく、シーマもヴィナスもそうだ。ディアナはもう戻ってこないと……ユゼフの胸はキュウッと締めつけられた。
ディアナのことを、最初からいないものとして扱うシーマが腹立たしい。
もちろん、シーマを信じているし、忠誠を誓ったその心は今も変わらない。妻のモーヴのことだって愛している。
でも、それらとこれとは別なのだ。この五年、ユゼフはディアナのことを何度も忘れようと思った。だが、彼女が視界の端に移るだけで、胸は締めつけられ、呼吸が苦しくなる。モーヴとの幸せな結婚生活が紙上の出来事かと思えるほど、薄っぺらに思えてくる。
ディアナが悲しそうにしていれば胸を押さえ、楽しそうにしていれば歯軋りした。
──今頃、ディアナ様はどこで、なにをなさっているのか
思いを馳せているうちに、ティムが戻ってきた。




