表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第二部 イアン・ローズとは(前編)二章 剣術大会
252/874

21話 それでも助ける(サチ視点)

 暗い地下室に監禁されたサチは、絶望感に囚われていた。未熟な我が身を呪い、消えていった人たちに懺悔した──まさか、出してもらえるとは思わなかったのである。


 例えるなら、巨大なトカゲが壁を這うような音だ。そんな音が聞こえ、悪寒が走ったあと解錠された。半信半疑で扉を押してみたところ、いやに呆気なく開いてしまった。


 階段の先に見える一筋の光を目指し、サチは走った。ここが暗黒だったら、まだあきらめもつくが、光が差し込んでいる。なおかつ自由だ。


 地上に出て真っ先に聞こえたのは、聞き覚えのあるしゃべり声だった。ユゼフとアスターの従者。ラセルタとダーラだ。

 地下室の出入口は、アーチを作る太い柱の影にあり、彼らからサチの姿は見えない。


「もう、おいら行かなきゃ。アスター様の決勝戦が始まっちゃう」

「ダーラ、オメェはすげぇよ! 地磁感応っての? 感じ取れんのは地磁気・地熱・地脈だっけか?」


「アスター様がときどき能力を使えって。いつか役に立つことがあるかもだって。おいら、尻尾とか生えそうだから、ほんとは嫌なんだけど……でもさ、なんで地下室なんか探してたの?」


「それは……そう!ネズミだよ、ネズミ!……ユゼフ様がネズミの巣を探せってな……」

「たしかに生命反応はあったけど……ネズミじゃなくて、もっとデカかった。それって宰相様の仕事なの?」

「宰相の仕事は多岐に渡るから……」


 こんな話をしていた。さきほどの巨大トカゲの気配はラセルタではないか、とサチはピンときた。ラセルタはただの少年に見えて、トカゲの特徴を持つ亜人だ。今の話だと、ダーラの地磁感応を利用してサチの居所を突き止めたらしい。


 ──ラセルタが動いてるってことは、ユゼフが?


 ごちゃごちゃ考えるのはやめた。ダーラは決勝戦と言っていた。決勝戦で誰かが殺されるかもしれない。サチは柱の影から飛び出した。


「あっ! サッちゃん!!」

「今、決勝戦と言ったな? 死人やけが人は出てないのか? 決勝戦は誰が戦う?」

「サッちゃん、試合見てねぇのかよ? 誰も死んでねぇよ。けが人は何人か……でも、たいしたことねぇ。なんでそんなこと……」


「教えろ! 決勝戦は誰が!?」

「アスター様とアホのティモールだよー! なんだよ? サッちゃん、落ち着けよ?」


 それだけ聞ければ充分だった。サチは疾風をまとい駆け出した。どこへ?──決めていなかった。


 風となって通路を走るうちに、だんだんと考えがまとまってきた。闇雲に突っ走るだけではダメだ。


「君のために誰かが死ぬことは考えないのか?」


 グラニエの言葉が耳の奥で響いた。


 ──そうだ。もっと冷静に。狡猾にならねば


 このまま走って戦闘の場に乱入したら、間違いなく取り押さえられるだろう。そして、すぐに試合は再開される。力を貸してくれる人間が必要だ。


 地位があって、耳を傾けてくれそうな人──リンドバーグは体調不良のため、来ていない。ラセルタに頼んでユゼフと会うか……国王シーマの隣で観戦しているから難しい。それに、ユゼフがラセルタを使ってサチを解放したのだとしたら? サチが試合の邪魔をするのを期待している? だとしたら、ユゼフには試合を止める力はない。ユゼフに試合中止を訴えても無意味だ。


 最後にサチの脳裏に浮かんだのはグラニエの険しい顔だった。説得は困難をきわめるだろう。


 ──覚悟が必要だ


 サチは五年前、切腹までしてイアンを説得したことを思い浮かべた。大胆な作戦にはリンドバーグの協力が不可欠だった。しかし、過去の遺恨からリンドバーグは首を縦に振ろうとはしない。プライドの高いイアンに頭を下げさせるしかなかった。


 ──追い詰めたはいいが、逆転されたがな


 今でも悔しくて歯噛みしそうになる。腹の古傷がしくしく痛んだ。

 あともう少しだったのに! グリンデルから援軍さえ来なければ!

 壁の向こうで援軍を手配したのはユゼフ。シーマとユゼフのチームに、サチは完敗したのである。


 気持ちを落ち着けるため、サチはあの時、刻んだ誓いの傷をそっと撫でた。これは癖になっている。触ると安心するのだ。


 ──きっと、あの時と同じくらいの覚悟が必要なんだ


 ティモールは友達でもなんでもないが(むしろ嫌いだが)、命の重さは誰でも同じだ。

 これ以上、無駄に誰かを死なせたくない。サチはグラニエと話すことにした。

 

 グラニエの居場所はわかる。爆発があった天幕の近く──几帳面な性格は事件の真相を追っているはずだと、サチは思った。サチのことを厳しく叱りつける一方で、彼自身は気になったことをそのままにはしない。

 燃えかすや、足跡、髪の毛、塵に至るまで……ありとあらゆる証拠を集めて、精査するだろう。そういう人だ。


 狙い通り、グラニエは燃えた天幕の裏手にある通路をうろついていた。腕組みし思考するグラニエの前に、サチは風を連れてきた。グラニエは監禁されているはずのサチが姿を現しても、そこまで驚かなかった。眉を少し動かした程度である。尖った髭と同じく、くっきりとした眉だ。

 厳格な態度にも、サチは怯まなかった。


「グラニエさん、俺に最後のチャンスをください。騎士団を辞めることになっても構いません」

「君の話は聞かないよ。おかしな動きをしたら、取り押さえるがね」

「聞かなくてもいいです。ただ、横で話させてください。気に食わなくなったら、力でねじ伏せても構いません。理不尽な暴力には慣れていますから」


 この言葉にグラニエは眉根をギュウウウッッと寄せた。怒ってくれてもいいと、サチは思った。


「でも、さっきみたいに騙して閉じ込めるのはやめてくださいね。そっちのほうが傷つきます」

「黙りたまえ。なんの力も持たぬくせに噛みつくな。小虫が噛んだところで叩き潰されるだけだ」

「おっしゃるとおりです。だから、こうやって話しに来たのです。俺一人では、どうにもできませんから」


「協力しないからな?」

「存じております。ただ、おそばで思いの丈をぶちまけさせてください。それも、いけませんか? 鳴くことを許される虫もおります」


 グラニエの鋭い視線をサチは受け止めた。グレーの瞳が一瞬、暗くなったのは気のせいか。


「グラニエさん、イアンは馬鹿だし最低な奴でした。そうです。以前仕えていた城の若殿様ですが、あえて悪く言います。だって事実ですから……」


 慣れぬ打ち明け話を始める。グラニエはサチを見ようともしない。サチは尊敬する上官の耳たぶに向かって話した。


「聞いてください。学生時代、俺はいじめられてました。大勢に殴られ、意識を失ったこともあります。殴られている間、遠くでヴァイオリンの音色が響いていました──」


 グラニエの耳が微かに動いた。

 虐められていたなんて、恥ずかしい過去だ。軽蔑されるかもしれない。だとしても、サチは構わなかった。


「目の前は真っ暗で何も見えませんでした。痛みしか感じないのに、耳の中をヴァイオリンの音だけが何度も行ったり来たり……朦朧とした意識のなか、その音が俺をつなぎとめてくれました。夢や幻聴ではありません。イアンが一人、教室でヴァイオリンを弾いていたんです」


 サチたちがいる通路は、闘技場を囲む観客席の外側に巡らされている。幸い、通路には誰もいなかった。

 決勝戦のまえにアマルの朗詠が始まったのである。そのため、人々の意識は美しい吟遊詩人に向いているのだった。



 恥辱に満ちし獣の貌、

 置き忘れし憎悪は

 追ひかけ来る。


 いたづらなる思ひ出をば消さん、

 天魔を取り出だし、

 さすべき子とならむ。


 今宵は内海人も

 大陸人も同じなり、

 殺し合ふほどに、

 癒し合ふほどに、

 まことの我とならむぞ。


 天下はあやしく満ちたり、

 別の道を示せども

 なんぢら逃れられず。


 教へよ、

 母は何をすべきや。

 うつつを見よ、

 はらからにそれを言ふなかれ。


 安易なる道を選ぶならば、

 うつろにはあらじ。




 闘技場はやけに静かだ。サチは深く息を吸って吐いてから、また口を開いた。


「それは「生きろ」と言っているように聞こえました。どんなに苦しかろうが「生きろ」と。そのあと、俺は意識を取り戻しました」


 グラニエは何も言わず、顔を傾けた。奥歯を噛みしめている。


「だから思うんです。この世に完全な善人がいないように、完全な悪人もいないのだと。天の下、人の命は皆平等です」


 しばらく、気まずい沈黙に支配された。アリーナから打ち合う音が聞こえてくる。試合が始まったのだ。

 呼吸するのさえ憚られる。サチは辛抱強く待った。気持ちが通じなければ、この人はそれまでの人ということ。サチが買い被っていただけだ。


 ふいと、グラニエは顔を上げた。


「わかった。君を助けよう」

 

 ピンと上を向いた髭先が震えている。サチにはグラニエが泣いているように見えた。


現代語訳↓


恥辱に満ちた獣の顔、

置き去りにされた憎悪が

追いかけてくる。


いたずらな記憶を消すために、

天魔を呼び出し、

そうなるべき子となる。


今宵は内海の者も

大陸の者も同じだ、

殺し合い、癒し合うほどに

本当の自分になるのだ。


世は奇しく満ちている、

別の道を示しても

お前たちは逃れられない。


教えてくれ、

母は何をすべきか。

現を見よ、

兄弟にはそれを言うな。


安易な道を選ぶなら、

決して虚ろにならないだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不明な点がありましたら、設定集をご確認ください↓

ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

cont_access.php?citi_cont_id=495471511&size=200 ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ