20話 一人ぼっち(サチ視点)
目がチカチカする。サチは壁の灯りをつまんで消した。
去ったクリープに動揺して、無意識に消してしまったのである。サチに照明は必要ない。
暗闇に目が慣れるまでは数秒。シンプルな四角い箱だ。天井は低く圧迫感がある。寝そべった時、足が伸ばしきれないぐらい小さな立方体にサチはいた。換気口はない。この石室で空気は数時間と持たないだろう。
サチは鉄の扉を荒々しく何度も叩いた。叩いているうちに、感情が高ぶっていく。
──また、誰かが死んでしまう。俺の力が足りないせいで
怒り、叫びながら……哮りに近かった。野獣のようにサチは吠えた。拳は血で濡れた。喉も痛い。肩で呼吸しながら思う。
──俺は愚か者だ
どうして毎回、感情に任せて思ったことを口にしてしまうのだろう? どうして、考えてから行動できないのだろう? どうして、人の気持ちに気づいてやれないのだろう?
──君のために誰かが死ぬことは考えないのか? 君の軽率な行動が屍を増やしていく。くだらん友達ごっこはもうやめるんだ!
耳の中でグラニエの言葉がこだまする。
「君は賢いのに愚か者だ!」
突然、怒鳴られたような気がして、サチはビクッと身を震わせた。
「小賢しい」「頭だけいい」「狡猾だ」「ずる賢い」「生意気な」
今までさんざん言われてきた。
──でも、愚か者は初めてだな
真っ暗な四角い箱の中、一人ぼっち……
──ああ、あの時みたいだ
妹をメリク神父に託し、ローズ城へ向かっていた時のこと。今と同じように黒く塗りつぶされた森の中、動物みたいに駆けた。誰もいない森を……自分と同じように、一人ぼっちのイアンを助けたくて……
──俺は妹すら満足に守ってやれなかった。イアンのことも
ちゃんと注意していれば、謀反は防げたのだ。
──イアン、どうしてるかな
魔国に置いてきてしまった。あの性格では一人で生きていけるかどうか……いや、生きているのはわかっている。サチは左腕の臣従痕を撫でた。
魔族のやり方で臣従礼を済ませたから主であるイアンが死ねば、サチも死ぬ。サチが生きているということは、イアンも生きている。
生きているからといって平穏無事であるとは限らない。赤々と燃えていた瞳が生気を失い、心が壊れている可能性だってある。わがままな乱暴者のようでも、内心は繊細で臆病なのだ。弱いからこそ、イアンは居丈高に振る舞っていた。
──ごめん……イアン、助けられなかった
イアンだけではない。亡くなった祖父母を思い出す。自分と関わった人間は、みんな不幸になるような気がした。
フッと、サチの脳裏に彼女の顔が浮かび上がってくる。五年前、彼女とも別れた。
──イザベラ
正当防衛とはいえ、サチは彼女の父親を殺した。恨まれて当然だ。それなのに、彼女が突っかかってくると、必ずキツい言葉を返した。自分でも、なぜつらく当たってしまうのか、わからなかった。今から思えば、サチの態度が原因でイザベラは裏切ったのではないか。
彼女の裏切りで、カオルとヘリオーティスに帰り道を知られてしまった。あの時、アキラがバルツァーの騎兵を連れてこなければ、全員殺されていただろう。代わりにアキラが生贄となった。
当時、サチはイザベラに腹を立てていた。だが、冷静に考えたら仕方のないことだ。十七そこらの娘が男たちに囲まれて尋問されたのだ。教えてしまって当然である。
──今頃どうしてるのだろう? 戻ってこられるのだろうか。何もされてないといいが
クルクル踊る巻き毛が白い胸元に垂れている。長い睫毛、黒く濡れた瞳……プックリと膨らんだ赤い唇を不満げに尖らせ──
──かわいかった……すごくかわいいんだよ、見た目はな? 言動が変じゃなければ、俺だって……
記憶の中の彼女はどうしようもなく愛らしくて、胸が締めつけられた。風変わりとはいえ、まだ小娘だ。
──俺は彼女の人生を奪ってしまった
父親を殺しただけでなく、暗殺者の手に渡したまま置いてきてしまった。サチが意識を失っている間、彼女は看病してくれたというのに。
──ごめん
胸の奥底でくすぶっているこの感情はなんなのだろう? サチは罪悪感とも少し違う気がしていた。
彼女と最初に出会った時は萌芽の状態だった。通常だったら、五年も放置すれば枯れてしまう。その芽は辛抱強く生き続けていた。
ガチャリ……
唐突に音がした。
──え? 鍵?
直後にサァァアアアアアと、なにかが離れていった。爬虫類的な生き物が天井を這っていくのを連想する。巨大なイモリかトカゲのような動物が──サチはゆっくり扉を押してみた。
ギギギギギィイイイ……
開いた。
──嘘だろ!? いったい誰が!?
爬虫類はあっという間に去ってしまった。サチは暗い階段を忍び足で一歩踏み出す。石の冷気が靴底を通じて這い上がってくる。
コツコツ……
湿った石と金属の靴底が乾いた音を立てた。階段の先に細長い光が差し込んでいる。床の石が少しズレていて、そこから光がもれているのだ。
光が網膜を刺激したとたん、サチは走り出していた。