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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編) 二章 闇の気配
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23話 闇の気配

 投石は思っていた以上に、うまくいった。

 発火した石弾がインパクトを与えたのだろう。恐れをなした盗賊の進撃は止まった。

 ユゼフとエリザは互いの拳をぶつけて、健闘を称え合った。

 

 ただし、油断は禁物。火が消えればまた城壁を登って来るだろうし、石弾もあと数個しかない。

 狭間胸壁から(のぞ)いたところ、坂の下で三手に分かれ、待機している盗賊たちが見えた。中心には、例の熊と見紛う毛むくじゃらの男がいる。

 これも亜人の能力なのか、ユゼフの目は弱い灯りだけでも、はっきりと捉えていた。頭領の姿は見えない。

 ……と、急に寒気がした。


 ──あの感じ、だ


 ナフトを出てから消えていたのに……あの得体の知れない邪悪な気配が近くに感じられる。西、正面の方だ。(おぼろ)としていた存在が今は明確に捉えられる。


「どうした?」 

 エリザが心配そうにこちらを見た。


「しばらくは攻撃してこないだろう。今のうちに俺は正面側の様子を見てくる」

「待て!」


 行こうとするユゼフの腕を、エリザが痛いくらいに強くつかんだ。青灰色の目に溢れんばかりの涙をたたえている。共に戦っていた時の勇ましさと反して弱々しく、ユゼフはたじろいだ。


「……でも、調べないと」


 こういう時、「大丈夫だ、安心しろ」と言うのが正解なんだろうが、そこまで器用ではなかった。

 腕を引っ張られ、接近する。バランスを崩せば、エリザの額が自分の顎にぶつかってしまうくらいの距離になった。


 ──どうしよう?


 近くで見るエリザの顔は愛らしかった。そばかすだらけの白い肌や少しだけ上を向いた鼻、上唇と下唇が同じ厚みなのは安心感を与える。幼い……まだ、少女ではないか。


 ──こんな子を一人にするのか


 だが、怪しい気配の方へ連れて行きたくはない。一人にするより、そっちのほうが危険だ。

 ユゼフは腰を少しだけ落とし、エリザと額をくっつけ合わせた。しばし、そのまま……呼吸と心音を感じ合う。


「いいか? 緊急時には指笛で知らせる。それを聞いたら、一人でも逃げるんだ」


 エリザは何度も(かぶり)を振り、涙がこぼれ落ちた。


「すまない……」

 

 ユゼフは彼女の手を振りほどき、全力疾走しなくてはならなかった。後ろを振り返ってはいけない──嫌な予感がするのだ。


 

 

 †† †† ††


 正面門側に着いたユゼフは、まず下をうかがった。

 こちら側は松明を灯しておらず暗い。よく晴れた半月なので月明かりだけでも、ユゼフの視力なら見通すことができた。

 白い月が苔むした石壁を優しく照らしている。月の光は清らかで、不気味な城さえ浄化してしまいそうだった。

 

 誰もいない。跳ね橋も上がったままだし、城壁をよじ登る者の姿も見えない。門塔を上って調べるまでもなさそうだ。主殿の屋上はすべての塔と密接しており、扉一枚開ければ行き来することができる。

 ホッと安堵の溜め息を吐いたその時──階段をダダダッと駆け上る音が聞こえた。


 目の前に(そび)える門塔からだ。門塔は階下の門とつながっている。跳ね橋もかかっていないし、門には錠がかかっているから安心?……だとしても、せいぜい数キュビットの濠はロープを使って越えられるし、錠など(つち)で簡単に叩き壊せる。現に彼らは濠を越えて城壁を登ってきていた。


 嫌な予感、的中──

 間をあけず、鉄扉がバタンと開かれ、ユゼフは数キュビット※先の頭領アナンと対峙することになった。


「いたな! ユゼフ・ヴァルタン!」

 

 アナンは剣を抜いた。

 鋼鉄の剣は月光を反射して(きら)めく。

 後ろには長い髭を生やした身なりのいい男がいる。ユゼフの父と同じくらいの年齢だろうか。ナフトで見たこの男を筆頭に、次から次へと階段を上って盗賊が現れた。

 

 十二人……勝ち目はない。

 瞬きする間に囲まれてしまった。今、できることは一つだけだ。

 ユゼフはエリザに知らせるため、指笛を吹いた。


 ピューーーーーー!!! 

 甲高い音が緊迫した空気を切り裂き、アナンの怒鳴り声がそれを追いかけた。


「逃がすな! 一人たりとも!」

 

 盗賊の半分はエリザのいる東の胸壁へ走って行った。


「剣を持っていないのか?」

 アナンは丸腰のユゼフに眉根を寄せる。


「今までの貴様の抗戦ぶりに敬意を表して、闘う機会を与えてやろう」

 

 闘う……とは?? ユゼフはいまいちピンと来なかった。決闘の申し込みなどされたことがない。戦功を挙げる兄たちの影で、ひっそりと生きてきたのだから。


「ナフトでワームを出した能力には驚いた。貴様、亜人(デミヒューマン)なのか?」


 アナンの問いにユゼフは答えなかった。

 言っている意味はわかる。亜人の一部には不思議な能力を持つ者がいる。能力は評価されることなく、亜人=被差別民だ。


「まあ、いい。この間の続きをしよう!」


 アナンは仲間から剣を借り、ユゼフの方へ滑らせた。


「今度は逃げるなよ?」


 ユゼフが剣を取るや否や、斬りかかってくる。突風のごとく一打一打が鋭い。鋼と鋼がぶつかり合う金属音が響いた。


 ──重い……

 

 受けるだけで剣が吹き飛ばされそうになる。力の差は歴然で柄を握り締めるのがやっとだ。ユゼフはイアンと真剣で立ち合った時のことを思い出した。


「弱い! 弱いな! そして遅い!」


 アナンが繰り出す自由自在の剣撃に対し、ユゼフはギリギリで避けるしかない。

 それでもアナンは手加減していた。ユゼフの技量を量るためだろう。しばらくすると、間断ない攻めにユゼフの体は疲労してきた。

 走り慣れていない者がいきなり長距離に挑戦しても、へばってしまうのは当然のことだ。慣れない体はどのように補給すればいいか、休息すればいいか、疲労を軽減すればいいのか……わからない。


 後ろに避けようとした時、とうとう足がもつれた。バランスを崩し尻餅をつく。

 剣は手から滑り落ち、カランカランと乾いた音を立てて転がっていった。ユゼフの目前に見えるのは白く輝く剣先、アナンの持つ大剣だ。


「王女はどこにいる?」

 

 月明かりに照らされたアナンの顔は傷に目がいくものの、女性的な美しさがあった。


「早く言え! 魔獣使いだかなんだか知らんが、貴様の奇術のせいでさんざんな目にあった。これからたっぷり報復してやるから覚悟しろよ?」


 アナンはだいぶ苛立っているように見えた。


「なんだ? 人の顔をじろじろ見るんじゃない! 目玉をくり貫いてやろうか?」

 

 ユゼフはアナンから目を離さずに答えた。


「君によく似た人を知ってる」

「なんだと?」

  

 アナンの表情が変わった。


「名はカオル・ヴァレリアン。俺の従兄弟、イアン・ローズの家来だ」

 

 アナンの目が大きく開かれる。明らかに動揺していた。剣を持つ手が少し震えているのはその証拠だ。


「たしかにカオルは兄の名だが……」

 

 残念ながら、このやり取りを続けることはできなかった。なんの前触れもなく、月が隠れたのである。

 ……隠れた、と言うより消えたと言ったほうが正しいかもしれない。降り注ぐ神聖なパワーが同時になくなってしまった。星すら見えなくなる。盗賊たちの持っていた松明の火が風もないのに消され、闇に覆われた。

 邪悪な気配はすぐ傍に感じられた。


「火を! 早く火をつけろ!」

 

 異様な気配を感じ取ったのだろう。アナンの叫ぶ声が聞こえる。

 ザワザワっと(うごめ)く何かが近づいてきていた。

 気配の次は音。悲鳴だ。何かが盗賊たちに襲いかかっていく。彼らは続けざまに叫声を上げ、ドサリドサリと倒れていった。


「いったい、なんなんだ!?」

 

 視界を覆われたアナンは、闇雲に剣を振り回している。


 ──ちがう……そっちじゃない


 黒い化け物がアナンの方へ向かって行くのが、ユゼフにはわかった。


「避けろ!」


 思わず教えてしまった。別に恩を売るつもりはない。なぜか放っては置けなかったのだ。彼が知り合いの弟の可能性がある、それだけで他人事とは思えなかったのである。

 アナンが避けると、黒い塊は別の盗賊に襲いかかった。その隙にユゼフはアナンの背後へ回り、腕をつかんだ。


「ここから離れたほうがいい」

 

 言った直後に赤い火が灯り、明るくなった。ナフトで会った長髭、貴族風の男が火をつけたのだ。

 アナンはユゼフの手を振り払った。

 視界が色を帯び、黒い固まりが甲虫の集まりだったことをユゼフは知った。火の光を当てられた虫の群れは、暗がりへと逃げていく。

 

 アナンと髭の男を除いた盗賊は全員倒れていた。哀れなのは、大きく空いた眼窩と気管が剥き出しになった喉である。彼らはこの短時間で急所を食い破られた。そして──


「これは、どういうことだ?」

 髭の男がユゼフを見た。


「……わからない」

 

 聞かれても、わかるわけがない。こちらが聞きたいぐらいだ──と、ユゼフは思った。

 まだ気配は消えていない。虫の集まりとは別の……もっと大きな闇の気配をユゼフは感じていた。

 

 ──これで終わりじゃない


 立ち尽くすユゼフたちの前で、倒れていた盗賊たちの体が痙攣し始めた。

 ブルブルと身を震わせるさまは、下の妹がひきつけを起こした姿と重なる。


 下の妹がまだ二、三歳のころだろうか。高熱で寝込み、ひきつけを起こした。

 こういう時、周りはあたふたするだけで何もできない。せいぜい舌を噛まぬよう気をつけてやるぐらいだ。ところが、当人は取り付かれたみたいに全身の筋肉を暴れさせる。寝ながら、体が浮かぶんじゃないかと思うくらい派手にのた打ち回った。


 今もその時と同じだった。

 最初は震える程度だったのが、だんだんと激しくなっていき、最後には地面から跳ね上がるほどになった。ユゼフはそれをただ眺めるしかなかった。


 妹の時と違うのは収まったあと──彼らはムックリと起き上がった。

 青ざめた顔は死人そのものだ。空いた眼窩は底なし沼のようで、目を食われていない者も虚ろだった。ヨダレやあぶくを口から吹き出し、言葉にならない呻き声を上げている。


 アンデッドだ。


 甲虫に命を奪われたあと、盗賊たちはその肉体まで奪われたのである。

 ユゼフ、アナン、長髭の三人は完全に包囲されていた。東側へ走って行った連中も死んでから戻って来たらしい。十人以上……数が増えている。


「どうする?」

 

 髭の男が尋ねた。松明は下に置いている。

 ユゼフたちは背中合わせに剣を構えた。

 先ほど、ユゼフは反射的に剣を拾っていた。普段は鈍臭いとよく言われるのだが、この逃走劇が始まって以来、先を見て行動するようになった。生き延びるため、本能に動かされているかのようだ。


「やるしかないだろう」

 

 アナンが言い終わらないうちに、死人が襲いかかって来た。

 刃が光を放ち、黒い血がほとばしる。辺りに充満するのは生臭い血肉の匂いではなく、死臭だ。

 アナンが素早く胴を切り付け、胸を刺しても死人の動きは変わらなかった。

 

 ユゼフも何人かを斬りつけた。

 彼らは近づくと俊敏になり、力が強くなる。目は見えていないようだから、ユゼフと同じように気配を読んでいるのかもしれない。


「頭だ! 頭を狙え!」

 

 髭の男が怒鳴る。

 空いた眼窩に剣を差した瞬間、ようやく止まった……が、口から虫がブワァっと溢れ出て……こちらへ向かって来る!

 ユゼフはアナンたちが気を取られている間に、光の届かない闇へ突っ込んで行った。


 ──ディアナ様の所へ行かなくては

 

 その強い気持ちだけが体を動かしている。彼らを置いて、ユゼフは屋内に通ずる階段へと走った。




※数キュビットは数メートルというニュアンスで。

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