4話 元盗賊シリン(ユゼフ視点)
軽い話し合いというか報告のあと、アスターがレーベの寄宿舎を見に行くと言うので、ユゼフは別れた。剣術大会のことを報告したかっただけらしい。五年前の出来事を思い出させる意図のほうが大きかっただろうが。
西日は傾いたとたん、あっという間に沈む。校舎の柱に彫られた物語、紫陽花、まだあどけない少年たちの頬まで、夕日が赤く染めていた。
長くなった影を見つつ、浮遊する記憶の断片にユゼフは思いを巡らせた。
未来からの刺客。異国情緒溢れる暁城。仮面舞踏会。亜人たちの悲しい歴史。ヘリオーティス──
──そういやアキラが死んだあと、黒猫を助けたな。あの黒猫はどうしたろう?
なぜ、血を与えて瀕死の黒猫を助けたのか、自分でもよくわからなかった。おそらくアキラを助けたかったが、すでにこと切れており混乱していたのだ。
ふと、長い影をたなびかせ、門のほうから歩いて来る用務員が見えた。肩には、見覚えのある鴉を止まらせている。
──ああ、あの鴉はたしか
アーチをくぐって中庭に入るなり、
「アスター様! アスター様はいらっしゃいませんか?」
用務員は声を張り上げた。鴉の足に結わえられた文を見て、ユゼフは確信した。
「アスターの身内の者だが、その鳥はたしか騎士団のグラニエ殿の使いではないか?」
「そうです。アスター様はどちらに?」
「今、寄宿舎へ行っている。よろしければ文を預かろうか?」
「ありがとうございます。あ、あとこの鳥を連れてきた方が、虫食い穴でお待ちだそうで」
「わかった」
ユゼフはラセルタを連れ、学校から歩いて十分ほどの虫食い穴へ向かった。文の内容は急を要するものではないだろう。筒に入っていないし、封蝋も押されていない。代理人に渡しても使い鳥は平気な顔をしている。
ユゼフは後回しでも構わないと思った。どうせ、今夜はアスターの屋敷で一緒に食事をするのだ。
グラニエからの文では、国境を越えて魔国から魔物が入り込んだということだった。Aランク以上と思われ、援軍要請を副団長のクリムトに依頼したという。非番のアスターには報告だけだ。襲われていた男と少年を保護したと書かれてあるのが、グラニエらしかった。わざわざ必要のないことまで、こと細かに報告する男なのだ。死傷者はいないし、以前も同じことがあったので騒ぐことでもないとユゼフは思った。
──しかし、最近多いな。時間の壁が現れる前兆だろうか
鬱々とした気持ちは虫食い穴に着くまで拭われなかった。
虫食い穴があるのは校舎の裏手。外壁に沿って歩いていくと、小さな家が見えてくる。古びた木造家屋だ。
目を引くのは屋根一面を覆う柔らかな緑である。屋根に土を盛り芝生を生やしているのだ。北部の農村部ではこういった家はめずらしくないが、産まれてからずっと王都で生活しているユゼフは、ノスタルジーを刺激される。幼いころの身近な風景でもないのに不思議なことだ。
若い緑がそよ風に揺れている。今の季節は青々し過ぎないのがいい。
重厚、荘厳な校舎とは対象的に牧歌的だった。同じ古い物でも種類が違えば、百八十度印象が変わる。緊張感をもたらす校舎に対し、こちらは安らかにさせてくれた。
軋んだ音を立て、ユゼフは扉を開けた。待っていたのはアスター家の執事、シリンだ。
「お待ちしておりました。ユゼフ様、ラセルタ」
馴れ馴れしくもなく、よそよそしくもなく、親しげな挨拶。いつもと変わらず、穏やかなシリンの顔を見て、ユゼフはホッとした。
顎周りの丁寧に整えられた髭は濃く、大きな目と凹凸の激しい顔立ちは典型的なカワウ人だ。
ユゼフはアスターが遅れて来ることを伝え、鳥を渡した。シリンはグリンデル製の合金で作られた義手で受け取り、自分の肩に乗せる。
「レーベは元気でしたか? たまには屋敷へも顔を出すよう言っているんですがね」
そう、彼は元盗賊のシリンだ。温和な性格にもかかわらず、なぜかレーベと仲が良い。
五年前、シリンは魔国で右腕を失くした。炎を吐く黒獅子との戦いで、ずたぼろに引き裂かれたのである。こんな目に合っても周りを気遣い、泣き言一つ言わなかった。
盗賊に入ったのも親の躾に反抗したからで、もともと育ちは悪くない。医者の家の長男は医療の知識に精通していた。そのため、アスターが魔国への同行を勧めたのだ。
四年前、時間の壁が消えるとアスターはシリンを召し抱えた。機転が利き、賢いシリンを気に入っていたのもある。だが、一番の理由は、魔国へシリンを強引に連れて行ったことの罪滅ぼしだろう。
窓から入る夕日は眩しかった。小屋には小さなテーブルとベンチがあるだけだ。テーブルの上には水差し、ランタンが置かれている。
ユゼフが無駄なおしゃべりを嫌うのを知ってか、シリンはそれ以上話さなかった。スマートに虫食い穴へ誘導する。
部屋の中心にぽっかり穴が空いていた。
そこから煙のように揺らめき、溢れ出る光が見える。シリンに導かれるまま、ユゼフは光の穴に踏み出した。
体を包み込む色とりどりの光は、ユゼフを大陸へと連れて行った。




