69話 カオルとウィレム、ジェフリーがお迎えにあがりました
川の近くに設営されたささやかな駐屯地。その天幕の一つでユゼフたちは一晩過ごした。気が高ぶっていようが、どうしようもなく疲労しているときは寝られるものだ。熟睡した翌朝は馬を走らせ、ローズの森に入った。王都につながる虫食い穴までは距離がある。三日、馬を走らせ続け、四日目の朝──
朝食を済ませ、身なりを整えている時にシーマの寄越した迎えが来た。
天幕の外で少し待ってもらい、ユゼフは聖水を振りかけたラセルタと共に外へ出た。尻尾と角のないラセルタはいつにも増して幼く見える。盗賊と言うよりか浮浪児といった感じだ。
王城へ行くのだから小綺麗にしてやりたいが、長旅の疲れは隠しようがない。カワラヒワの暁城で旅装を整えてもらわなかったら、もっとひどかった。
天幕は木々の合間にぽつぽつと円を描くように張られている。中央の林間地に焚き火を燃やし、目印とした。そこに王城からの迎えが待っていた。
待っていた面々を見てラセルタは体を強ばらせ、剣柄に手をかけた。ユゼフはその手を押さえて首を振る。
「ユゼフ! 久しぶり!」
まず、満面の笑みで出迎えたのはカオル・ヴァレリアンだった。
カワラヒワで出会った時のエデン風のまとめ髪ではなく坊主頭だ。カオルのこんな笑顔は見たことがない……
カオルの背後にはジェフリー・バンディとウィレム・ゲインもいる。もったいぶった口調で話し始めたのはシーマの腰巾着のジェフリーだった。
「ユゼフ・ヴァルタン、シーマ国王陛下の命により、貴公を夜明けの城(王城)へ案内する役を仰せつかった。この二人は謀反人の家来だった者たちだが、戦時に協力したゆえ、免罪されている。学院の同級生だったということで、王室に不慣れな貴公を安心させるため陛下が同行させた……おい、聞いているのか?」
ジェフリーは眉間に皺を寄せ、以前と変わらず敵意のこもった目をユゼフに向けている。ユゼフは口を半開きにして、唖然とするばかりだった。
あのジェフリーだ。五年後にシーマを裏切る。つい数日前、隣にいるウィレムを殺したあの……。
最初に「仲間だ」と知らせてきたウィレムはシーマの放った間者だった。カオルを殺そうとして、誤ってアキラを刺し殺した。そして、そのウィレムを殺したのがジェフリー。
──カワラヒワにいたのは五年先の未来から来たカオルたち……ここにいるのは現在のカオルたち
ユゼフは自分に言い聞かせた。五首城で出会ったカオルたちが五年後の未来から来たということは認識しているが、実感したのはたった今だ。
彼らの態度がすべてを物語っていた。
ユゼフに嫌われまいと、懸命に笑顔を作っているカオルとウィレム……訝しげに、にらんでくるジェフリーの態度が演技とは思えない。
「おい! これはなんの嫌がらせだ!?」
背後からアスターの無遠慮な声が聞こえた。
ユゼフが振り向くと、不機嫌そうなアスターとおびえるダーラが立っている。ダーラもラセルタと同様、狐の耳と尻尾を隠していた。
「……まさか! あなたはアスター様では!?」
ジェフリーがユゼフに対するのとは、百八十度違う声色で呼びかけた。
カオルとウィレムもアスターのほうを見る。憎悪に満ちた視線ではなく、憧れの眼差しだった。
「いかにも……私はダリアン・アスターだが……」
アスターは不機嫌な姿勢を崩そうとはしない。忌々しげにカオルたちを睨め回した。
「すごい! まさか本当にお会いできるとは!」
ジェフリーは興奮気味に叫んだ。先の戦争の英雄を前にして、純粋に喜んでいる。
不意にアスターが意地悪な笑みを浮かべたので、ユゼフは嫌な予感がした。こういうことは、まえにも経験している。笑えない状況でアスターが笑う時は、決まって悪巧みをしている時だ。
「私もおまえらを知っているぞ」
「えぇ! なぜですか!?」
ジェフリーが仰々しく驚く。
「ダーラ、こいつらの名前を端から言ってみろ……それと、そのケチな性格もな」
獣感が薄れ、おとなしめの金髪少年と化したダーラにアスターは命じる。ダーラは恐る恐る口を開いた。
「黒髪、ジェフリー・バンディ……片手剣、性格……怖い、人殺し……茶色い巻き毛、ウィレム・ゲイン……性格……裏切り者……」
ジェフリーの顔から笑みが消える。
「おいおい、語彙の少ない奴め。怖いとか裏切り者じゃあ、表現としてつまらないじゃないか。最後はもっと気の利いたことを言えよ?」
アスターは楽しそうに茶々を入れた。ユゼフは険悪な雰囲気にいたたまれなくなり、止めようと思った。だが、それよりも早くダーラは言を発した。
「坊主? 髪型がまえとちがう。カオル・ヴァレリアン……臆病者……」
「ああ、あと卑怯者と腑抜けも付け加えとけ」
カオルの綺麗な顔が蝋人形みたいに固まる。顔から表情が消えると、皮膚も死んだようになるから不思議だ。カオルは何を言われているのか、理解できないようだった。学生時代、あのイアンでさえ憧れていた人物に理由もわからず罵倒されている……
ちょうどいいタイミングと言うべきか、サチとクリープが天幕から出てこちらに歩いてきた。
気まずい沈黙を破って、ジェフリーが声を荒らげる。
「どうして謀反人の家来が拘束されていない?」
ジェフリーに気づいたサチは、げんなりした顔でユゼフを見た。
ユゼフは強い視線を向けるジェフリーに対し、冷ややかな口調で説明した。
「陛下にも文で許しを請うている。サチ・ジーンニアは謀反とは無関係だったと。帰国の際に俺を助けてくれたから拘束する必要はない」
「謀反とは無関係」のくだりでカオルとウィレムが薄笑いを浮かべた。イアンの腹心だった彼らは、サチがイアンを操作していたと思っているのかもしれない。
「そんなこと、許されるはずがないだろう!? いい気になるなよ、ユゼフ? 壁の向こうで王女様に付き添っていただけのくせして……」
さきほどのアスターの態度に傷ついたのか、八つ当たりなのか、ジェフリーはユゼフにつかみかからん勢いで迫った。
「いいよ。ユゼフ。無理にかばわなくても……縛りたきゃ、縛ればいい」
サチは投げやりな口調で言った。
ジェフリーはカオルとウィレムに目配せする。すっかり従属させられているカオルとウィレムは、縄を持ってサチに近づいた。
「駄目だ!! サチを拘束することは、この私が許さん!」
怒鳴りつけたのはアスターだった。カオル、ウィレムの軟弱コンビは萎縮し後ろへ下がった。熊に吠えられて、身を縮こまらせるウサギを思わせる。猛獣と小動物ほどの差がある。
ジェフリーがおずおずと口を開いた。
「ですが、アスター様、このサチ・ジーンニアは謀反人の家来でして……」
「違うとユゼフが言っておろうが! サチはおまえらと違って、後ろめたいことがないからこうやって堂々と姿を現したのだ。陛下からお咎めがあるなら、この私が全責任を持つ! だから拘束することは許さないっ!」
アスターがなぜサチをかばうのか、その心理は本人にしかわからない。一緒に過ごしたひと月で情が湧いたのかもしれないし、他に何か理由があるのかもしれない。この点に関して、ユゼフはアスターを低くも高くも評価しなかった。
白けた沈黙の後、ジェフリーは受け入れた。
「……わかりました」
真面目君の顔はまったく納得していなかった。遊び心のない黒髪直毛は権威に弱い。アスターの気迫とオーラに圧倒され、何も言い返せなかったのである。
とりあえず、ユゼフは胸を撫で下ろした。アスターの行動は意想外だったが、サチを守ってくれたので良しとしよう。
やがて、エリザとレーベ、ハンスが来て、寒々とした空気のままユゼフたちは出発することになった。
馬で四十スタディオン(約八キロ)ほど離れた虫食い穴へ行き、王都まで移動したら馬車が用意してあるという。
ユゼフは無言で馬を走らせた。
刺々しいジェフリーとは正反対に、カオルとウィレムは愛想が良かった。
イアンという後ろ盾を失った今、居場所を得るために必死なのだろう。誰でも構わないからすり寄って、なんとか立ち位置を確保したいといったところか。
ジェフリーに殺されたウィレムと、ウィレムに殺されたアキラとそっくりなカオル……
ユゼフはこの二人としゃべりたくなかった。顔を見るだけで、脳裏に焼き付いた残酷な場面が浮き上がってくる。シーマがどういう意図で迎えに寄こしたのか、理解に苦しんだ。
今までユゼフを見下していた彼らが惨めたらしく、媚びるさまを見せたいのか……おそらく、たいした意味はない。洒落のつもりだろう。
彼らが五年後、反旗を翻すことをシーマはまだ知らないのだから……
虫食い穴を出ると、豪華な馬車が三台用意されていた。
ユゼフはラセルタ、ハンスと同じ馬車に乗り込んだ。カオルが最後に入ってきたときにはうんざりしたが、まあ仕方ない。ジェフリーやウィレムよりはマシだ。
嫌悪感を露わにするラセルタにカオルは気づいていなかった。従者の少年のことなど目にも入らないのだ。カオルが入って来たため、ラセルタは御者台へ移動した。
カオルが気にしたのはオレンジ色の瞳と尖った耳、桃色の髪を持つハンスだった。ハンスだけはラセルタ、ダーラのように、亜人の特徴を隠していない。
ローズに着いた初日、シーマに文を送っているから、アオバズクの王を連れているのは聞いているはずである。それでも、内陸育ちのカオルには亜人がめずらしいようで、チラチラとハンスを盗み見ていた。
「気になりますか? ボクもあなたと同じヒト科です」
ハンスがしゃべったので、カオルは何も言わずに目を伏せた。
王に対して失礼ではないかとユゼフは憤った。注意したかったが、なるべく口をききたくない。黙っていたところ、カオルのほうから話しかけてきた。
「壁の向こうはどんな様子だった?」
「別に……普通……」
「王女護衛隊を任されていたイグナティウス閣下(ダニエル・ヴァルタン)が亡くなったと聞いた。残念なことだったな。王女殿下の護衛兵は全滅したと聞いている。王女様……今は妃殿下だが……お守りするのは大変だったろう?」
壁の向こうへ逃げたイアンがどうなったか、先に帰国したディアナ王女が話していると思われる。話がどのように広まっているかわからず、ユゼフは安易な回答を避けた。
ユゼフの態度がよそよそしいのに気づき、カオルは卑屈な笑みを浮かべた。
「イアンのことはしょうがなかったと思う。魔国で死んだと聞いてるが、自業自得だよ。まあ、旧知として多少憐憫の情はある。でも、子供のころからユゼフも振り回されてきたよな?……正直言うと、解放された気持ちが強いんだ。シーマ様はイアンとちがって公明正大な方だから、結果として良かったと思う」
最後の言葉は絶対に本心ではない。ユゼフが黙っているのに、カオルはなおもしゃべり続けた。
「ローズ家はなくなったから、おれとビリー(ウィレム)は王国騎士団に入ったんだ……あ、あとキャンフィは王国軍のほうに。キャンフィのことは覚えてるだろう? 子供のころ、よく一緒に遊んだし……シーマ様の温情には感謝している。イアンが敵将だったら、こうはいかなかったと思うんだ……」
「イアンの悪口は言うな」
思わずユゼフは反応してしまった。ずっとイアンに仕えてきたくせに立場が変わっただけで、手のひらを返すのには虫酸が走る。
たしかにイアンは、身勝手で横暴で癇癪持ちでわがままで、馬鹿で乱暴者で女ったらしで……どこもいいところはないが、どこか憎めないというか……とにかく、イアンを悪く言われると、身内を馬鹿にされたように感じるのだ。
カオルは少しの間、口をつぐんだ。
「ジニア(サチ)からおれのことを聞いたのか?」
しかし、すぐにまたゲスの勘ぐりが始まる。カオルがこんなにもおしゃべりだったとは知らなかった。
鬱陶しいと邪悪な気持ちが湧き起こってくる。一緒にいたせいで、ユゼフはアスターに似てきたかもしれない。
ユゼフは冷笑した。視線だけは鋭くカオルを捉え、
「サチからは、なにも聞いていない。俺が聞いたのはイアンからだ」
と言った。それを聞いたとたん、カオルは青ざめた。
髪がないのが残念だ。色を失うことで、いっそう美に磨きがかかる。物言わぬ女顔は美しい。ユゼフは話を続けた。
「イアンの最期は壮絶だった。最後までカオル、君のことを言い続けていたよ。あの時、カオルが裏切らなければ……怨めしい、悔しいと……」
カオルは青い顔でうつむいた。それから王都に入るまでは一言も発さなかった。
ユゼフは嘘が嫌いだ。キャンキャン吠える子犬の鳴き声はもっと嫌い。おとなしくお座りできる子が好きなのだ。




