60話 緑湖城
ハンスの声が直接頭の中へ届いた時、湖にそびえる壮麗な城にユゼフは気づいた。
白亜の城は陽光を反射し、溢れんばかりの光を放っている。まるで城自体が発光しているかのようだ。天上の世界があるなら、これにイメージは合致する。
すべての城壁は白い石を積んで建てられていた。屋根もきっちり同じ形に切られた白い石で造られている。細く尖った何本もの塔に至るまで、どれもが白い石で組み立てられていた。
白い漆喰が塗られた瀟洒なシーラズ城をユゼフは想起していた。あの可憐な城はシーマにピッタリの城だった。きっと今、シーマがいるのは夜明けの城(王城)だろうが。
ユニコーンが降り立ったのは、高い塔に囲まれた城の中庭だった。上から見た時には、ちょうど城全体の中心部に位置していた。
塔の影になっているため陽当たりは悪い。代わりに、色とりどりの紫陽花が咲き乱れる。
ユニコーンから降りたユゼフたちを大勢の妖精族が出迎えた──というのは勘違い。彼らが待っていたのはハンスだった。
「ハンス様、お帰りなさい!」
装飾のない質素なリネンをまとった子供たちがハンスに駆け寄る。髪色はさまざまで、尖った耳と半透明の羽は皆同じだ。彼らは脅えた目でユゼフたちを見て、近づこうとはしなかった。
──人間だからか
「いえ。人間の姿をしているからではありませんよ。もちろん人間に対しても恐怖心を持っています。ですが、子供たちが恐れるのはあなた方の持つ強い魔力に対してです」
すかさずハンスが回答する。また、ユゼフが言葉を発するまえに答えられた。
さきほど、言葉が頭の中に直接響いてきたのも気になる。人心掌握に長けているのかもしれないし、読まれている可能性もある。余計なことは考えないほうが良さそうだと思い、ユゼフはなるべく心を無にした。
強い魔力──ハンスの言っているのが誰と誰のことかは、わかっていた。
「話しながら案内しましょう。さあこちらへ……」
ユゼフたちはハンスのあとに続いて塔の間を通り抜け、緩やかな階段を上り始めた。
移動中、アスターは落ち着かない様子で髭を撫でていた。
城は神々しく、人々は天使のようだ。ついさっきまで暗い世界にいたのもあって、この国の明るさは眩しすぎた。アスターには天国より地獄のほうが似合っている。とても場違いな場所に来てしまったという感じだった。
魔国にいた時のしっくり感を思い出し、ユゼフはこっそり笑った。けれども、それはアスターだけでなく、皆がそうなのかもしれない。エリザとレーベ、クリープは人間だが、ダーラとラセルタも魔属性だ。
「そうですね。あなた方のように邪悪な気をまとう方々を迎え入れるのは、この国始まって以来のことかもしれません」
ハンスのストレートな言葉に羞恥を覚えたのは、アスター以外全員だろう。それぐらい神聖で清らかな場所だ。
アスターは心外だと言わんばかりに口を尖らせた。
「それはいくらなんでも失礼だぞ? たしかに邪悪には違いないが。とくに、私の後ろにいるチビの平ら顔はな?」
「おい!」
アスターの物言いにサチが声を荒らげた。サチもここに来てから妙におとなしい。
「なんだか、綺麗な所だから緊張するね」
萎縮するダーラがラセルタに声をかける。二人とも、まだ聖水の効果は切れていない。
「オレらはお呼びでないって感じだな。同じ亜人でも種類が違うっぽい」
ラセルタの小声が届いたかのようにハンスは立ち止まった。ユゼフたちより、少し遅れて歩いていたダーラとラセルタを待つ。夕焼け色の瞳は何か言いたげだ。
「おっしゃる通りです。我々妖精族とあなた方魔族は敵対関係にあります。というのも、ボクたちの血肉はあなた方の食料だからなのです」
ハンスは憂いに満ちた顔で伝えた。ダーラとラセルタはどう反応したらいいかわからず、固まっている。
ハンスが前を向いて歩き出してから、二人はコソコソ話した。
「……マジか。オレらのこと、獣かなにかと思ってんじゃねーの?」
「でも、さっきからスゴくおいしそうな匂いがしてこない? あの人たち、いい匂いがするよ。おいら、腹減った」
匂いを嗅ぎ取っているのはダーラとラセルタだけではなかった。ユゼフもここに来てからずっと、食欲を刺激されている。通常の空腹感とは違い、どうしようもないほどの飢餓感である。言うなれば、数日なにも食べていない状態で目の前に大好物をたくさん並べられたかのような──
ハンスは不快感を露わにして振り返った。
「どうか粗暴に振る舞わないでください。玉座の間で少しだけお話ししたら、すぐに食事を用意させますから……」
「おいら、肉が食べたい! 猛烈に肉が食べたい気分だ!」
即座に反応したのはダーラだ。
「こら! 行儀の悪いことを言うんじゃない。我々は客人として招かれているのだぞ?」
アスターに怒られる。
階段はカーブしながら、屋根のある所に入った。今度は石柱が整然と立ち並ぶ回廊を歩き続ける。しばらく歩き、いくつものアーチを潜り抜け、ようやく広間に入った。
広間の中央には白い石の玉座が据えられてあった。
玉座の前まで来たハンスは、ゆっくりと腰掛けた。ついてきた供人たちは無言で左右に立つ。
ユゼフたちは訳がわからず、その様子を見ていた。
「申し遅れました。ボク、ハンスがアオバズクの王です」
ハンスは柔らかく微笑み、ユゼフたちを見回した。




