57話 次に会う時まで、このハンケチは預かっておくわね
連行しようとするバルツァー兵に、ヘリオーティスは抵抗した。
「だ、か、らぁ、ワタシたちはぁ、金で雇われただけですぅ。あの人たちとは関係ありませんんっっ!」
血の滲んだ麻袋を被った男が耳障りな声を上げる。
「ワタシはぁ、ヘリオーティスカワラヒワ支部長ぉ、エッカルト・ベルヴァーレと申しますぅ。なにか問題があればぁ、あとでヘリオーティスをお訪ねくださればいいでしょぉ? ワタシたちをここで無理やり捕らえれば、ただでは済みませんよぉ。ヘリオーティス本部が黙っていませんん」
バルツァー家家臣ユリウス・ブランケはたじろいだ。ヘリオーティスの悪評は有名である。しかも、主国王家と深いつながりがあるため、下手に手出しできない。
「いいだろう。だが、本件は我が主君に報告させていただく。壁が消えた暁には、主国にある貴公らの本部へ苦情が入ると思うが……」
「別に構いませんよぉ。それでは失礼いたしまぁす」
馬に乗ったエッカルトは悠々とブランケに背を向けた。進行方向はユゼフたちが来た方だ。山向こうのアイアンロードを南に下って行けば、ヘリオーティスの支部がある。このまままっすぐ行って、合流する道に入るつもりなのだろう。
傭兵たちの大部分は狭い道からはみ出て荒地に広がっていたが、道にいた者は慌てて避けなくてはならなかった。荒地に立っていたユゼフは、前を走り過ぎていくエッカルトをぼんやり眺めた。
ユゼフから数歩離れたあと、エッカルトは歩みを止めた。
「あっ! そうそう。ユゼフ・ヴァルタンと言いましたねぇ?」
エッカルトは後ろを向いたまま話した。麻袋で隠れた頭部が不穏な空気をまとう。
「アスターのクソ野郎に伝えておいてくださいなー! この借りはぁ、必ず返すと。百倍ぐらいにしてねぇ」
捨てゼリフを吐き、エッカルトは馬の腹を蹴って、スピードを上げた。
エッカルトに続き、ゾロゾロと麻袋を被った不気味な集団は走り去っていく。恐怖を煽るような物々しさだ。形容しがたい威圧感がある。ユゼフが呆気にとられていると、最後尾のヘリオーティスが振り向いた。
馬上からこちらを見ている気がする。体格の良い者が多いせいか、黒いマントをまとったそのヘリオーティスには、華奢な印象を受けた。
……と、彼(または彼女)はハンケチを高く掲げたのである。深い藍色のハンケチは風に吹かれ、翻った。目に入ったのは鮮やかな赤い月とアトリの橙…… ユゼフは慌てて上衣のポケットを探った。いつ、どこで落としたのか。それはユゼフが暁城を出る時に、娘たちから送られた物だったのだ。
「このハンケチ、次会う時まで預かっとくわね。魚屋さん!」
かすれ声で女は言った。黒猫の傍にたたずむユゼフへ向かって、そうはっきりと……
──魚屋さん
私生児であるユゼフの実家が魚屋である事実。それを知っているのはごく限られた人間だけだ。女の声には、まったく覚えがない。気味が悪くなり、ユゼフは身震いした。
「ニャー」
元気になった黒猫が起き上がり、ユゼフの足に鼻を付けてくる。何ごともなかったかのように、全快していた。
ヘリオーティスが去ったあと、岩影に隠れていたアスターとダーラ、それにサチとクリープも姿を現した。カオルたちは捕らえられたし、眼前の脅威はなくなった。根本的なことを除いては、ひとまず解決したと言っていいだろう。
カオルに命を下したのが何者か、聞き出さなくてはならない。それ以外も、ティモールのこととかいろいろ気になることはあるが……。ちなみに、ティモールもカオル側の人間として捕らえられた。
ユゼフはポケットにしまっていた金貨を取り出し、握り締めた。これはクレセント城で応接係のアマルからもらったものである。王妃となったディアナの肖像が描かれた金貨だ。刻まれた年号は王立歴三二八年、今から五年後。現在には存在しないはずの物だ。
ユゼフは自分の憶測が誤りであることを、ひたすら願っていた──
翌日、鉄の城にて。 捕らえられていたカオルたちは脱獄した。イザベラ、ティモール、ユゼフが救った黒猫も一緒に姿を消してしまった。
ファロフら盗賊はアスターがバルツァー卿に進言したので、解放されることになった。金で雇われただけの傭兵だから何も知らないし、領内で略奪や殺人を行ったわけではない。即刻、バルツァー領から立ち去れば、追及しないと沙汰が下された。
ユゼフ、アスター、ダーラ、ラセルタの四人は盗賊たちを見送りに行った。レーベはエリザと部屋で休んでいる。合わせる顔がないのは当然だろう。
鉄の城は巨大な鉄船である。鉄船の周りに鉄の町と呼ばれる城下町があり、さらにその周りを壁が囲う。盗賊たちを見送ったのは広大な甲板の端だ。アスターはレーベの犯した残虐行為に責任を感じており、めずらしく落ち込んでいた。
レーベを戦いに駆り立て、幾度となく凶悪な場面につき合わせてきたのはユゼフの責任でもある。小生意気な子も、力を使って人を殺めるのは初めてだった。正当防衛といえばそれまでだが、負った心の傷は深いだろう。苛烈な戦いのなか、レーベが学んだのは無慈悲の心だった。
アスターはタラップを降りようとするファロフに声をかけた。
「ファロフよ。そう暗くなるな。お互い生き残るために戦ったのだ。それで双方に犠牲が出てしまった。仕方のないことだ。十ヶ月後、時間の壁が消えれば、約束どおりシーマから報奨を与えられる。信じて待っていろ」
言い聞かせるように、ファロフの肩に手を置いた。不謹慎だが笑ってしまいそうなぐらい白々しい。とにかく言い訳して大丈夫だと言わせたいのだろう。そうすれば、重い気持ちも少しは楽になる。ユゼフは苦笑を我慢した。
一方のファロフは精彩を欠いた 瞳をアスターへ向けた。
「アスター、魔国の天幕で話した時のこと、覚えてるか? オレとダーラと死んだアルシア、あとジャメルもいた……」
アスターがうなずくと、ファロフは続けた。
「あん時、話を聞いてくれて嬉しかった。オレたち、一人一人の話を……オレは髪が緑色のせいで、イジメられていた話をした。オレたちは戦わなくてはいけない時に動けなかった役立たずだ。それなのに、アンタはオレたちを切り捨てようとはせず、話を聞いてくれた……アスター、アンタは悪役だけどいい人だ」
アスターの表情は微妙だ。ファロフの言葉は、レーベの一件を責めているようにも取れる。
「それはおまえの勘違いだと思うぞ?」
アスターはそう言うのが精一杯のようだった。
「けど、オレはやっぱ、殺し合いとか向いてねぇわ。不良の延長で盗賊になったけど、間違いだったと思う。だから、実家に帰れたら帰ろっかな……」
ファロフの実家はモズの町で書店を営んでいる。不良仲間と窃盗事件を起こしたことがきっかけで、ファロフは勘当されていた。
「うん。おまえのしたいようにすればいい」
「ありがとう。アスター……ユゼフも……」
最後に頭を下げ、ファロフは仲間とタラップを降りていった。




