53話 挟まれる
海岸沿いの道に馬が三頭並ぶと、近過ぎて危ない。平らに舗装された道は断崖とボコボコした岩だらけの荒地に挟まれる。荒地は常足なら、なんとか馬で移動できるだろうか。蹄を痛めてしまいそうだ。
刺客たちは馬を降りて岩陰に隠れ、少しずつ近づいていた。もう、かなり近くまで来ている──ユゼフたちが逃げる場合、別の敵がいる前方へ進むか、断崖から落ちるか。緩い傾斜のせいで見えないが、来た方の道にも坂の上で伏兵が待ち構えている。
それまで黙っていたサチが突然、馬の向きを変え、騎乗するエリザとレーベの狭い隙間を通って、来た道を戻ろうとした。数十歩走らせ、ピタリ停止する。
ユゼフは追いかけて、止めようとした。
「サチ!」
「わかってる。近くまで来てやがるな……」
「一人、亜人の気配が感じられます」
クリープが色のない声を出した。たしか、クリープは魔力だけを探知できるはず。サチはやはり、ユゼフたちと同じ……亜人なのだろう。気配を感じ取っている。
ユゼフは、暁城の前で会った盗賊のファロフを思い浮かべていた。
「たぶん、その亜人は敵じゃない。サチ、何人ぐらいだ? 俺は三十人くらいいると思う」
「四十五人だ。道側に十人、騎乗したままの兵を配置している。アスターさんを行かせたのは間違いだったな。手強いあの人が外れるのを、待っていたのかもしれない……」
今、ここにいるのはユゼフの他、サチ、ラセルタ、クリープ、エリザ、レーベの五人。レーベは戦力にならないし、クリープも使えるかわからない。となると、戦えるのはユゼフ、サチ、ラセルタ、エリザの四人だけ……四十五対、四。
マリクが吠え始めた。ユゼフたちは馬から降り、赤い月に照らされた荒地をにらむ。
短く吠えていたのがやがて遠吠えになり、その長い警報が収まるまでの間に、岩陰からぞろぞろと男たちが現れた。
同じ釜の飯を食った盗賊もいる。魔国で一緒に戦ったファロフとオーランも……。旅装を兼ねているからだろう。胴体や腕だけに甲冑をつけているか、革鎧を着ている程度の軽装だ。
五首城で剣を交えた五人の姿もある。ローズ城の女剣士キャンフィ、イアンの家来だったウィレム、シーマの家来だったジェフリー、トサカ頭ティモール。そして、その中心にいるカオルが、勝ち誇った顔でユゼフを見ていた。
最後に岩陰から出てきた人物に対し、サチが責めるように叫んだ。
「イザベラ!」
イザベラは長い巻き毛を束ね、動きやすい男装姿だった。目を合わせようとはせず、バツが悪そうにカオルの背後へ隠れた。
──そうか、気配を消していたのはイザベラのせいだったのか
ユゼフは唇を噛んだ。今さらながら、精神的に不安定な彼女を放置していたことが悔やまれる。鉄の城へ向かうことはイザベラに話していなかったが、盗み聞きしていたのだろう。カオルに捕らえられた彼女が情報を流す可能性も、もちろん考えてはいた。それにしても、気配を読んでいたことまで漏らして協力するとは……
カオルが口を開いた。
「この人数差では、無駄死にさせることになるぞ?」
やや顎を突き出し、ユゼフを見据えている。その目は少年時代、無関心だった時とは違い、好戦的で悪意に満ちていた。なにかの誤解だと、説得できる自信がユゼフにはない。
カオルは声を張り上げる。
「おれたちの目当てはユゼフ・ヴァルタン、ダリアン・アスター、サチ・ジーンニアだ! 武器を捨て、戦闘に加わらなければ、それ以外の者には何もしない!」
即座に反応したのはイザベラだ。後ろに隠れていたのが、グイッとカオルの肩をつかむ。身長差があまりないのと、全身から立ち昇る精気の量で、彼女のほうがカオルより大きく見える。さらには、恐ろしい魔女の形相だ。
「ちょっと! 話が違うわよ!! サチには何もしないって……」
カオルに襲いかかろうとしたところを、キャンフィとウィレムに取り押さえられた。カオルのほうが女顔、なおかつイザベラは男装しているから、男女が逆転して見える。
「悪いな、イザベラ。君の彼氏には消えてもらう。なぜなら、そいつはこれからシーマのイヌになるからだ」
カオルはユゼフたちのほうを向いたまま言った。
「はなして! はなしてよ! サチ、聞いて! 誤解なの! わたしはあなたのことを……」
興奮して暴れるイザベラは猛獣を思わせた。若干、恐怖を覚えるレベルの殺気である。羽交い締めにする優男のウィレムが、吹き飛ばされそうだ。だが、締め上げられると、案外コテッと気絶した。
「さて、どうする? アスターはこの先でヘリオーティスに始末されているだろう。こちらとしても、子供や女相手に無駄な血を流したくはない」
──ヘリオーティス? ヘリオーティスだと!?
ユゼフは耳を疑った。
労働者連盟ヘリオーティス。
表向きは貧しい労働者階級の地位向上を目指す団体である。三百年前にアニュラスへやってきた新国民のみで形成され、旧国民、主に亜人を排除するための活動を続けている。
主国ガーデンブルグ王家、グリンデル王家と深い関わりを持つ政治団体だ。庶民の味方であることを全面に掲げる一方で、亜人を憎悪する。亜人の殺戮、暴力行為など、非人道的な活動が問題視される団体──こんな悪名高い連中とまで関わっているとは……
カオルの視線の先にはラセルタ、レーベ、エリザがいる。
まず、角とトカゲの尻尾を持つラセルタが答えた。
「オレは死んでもこの人を、ユゼフ様を守ると決めて、ここまでついてきた。言っておくが、オレは子供じゃない。それに亜人だ! 憐れみは不要!」
「アタシも同じ気持ちだ!」
エリザが同調する。瞳には一片の迷いもない。レーベだけが両手を上げ、おもむろにカオルのほうへと歩いていった。
「ぼくはただの従僕で、巻き込まれただけです。武器も持ってはいません」
ユゼフは胸をざわつかせた。
レーベのことだ。おとなしくカオルに保護されればいいものを、何かとんでもないことをしでかす可能性がある。
魔法使いの弟子ではなく、「従僕」と表現するのはなぜか。レーベが哀れな少年に見えたのか、カオルは油断している。優しく微笑み、難なく受け入れた。
「本当に武器を持っていないか、念のため確認させてもらう」
カオルはレーベが自分の近くへ来るまえに目配せして、盗賊の一人に調べるよう促した。
モズの盗賊含む傭兵は、道にも広がっている。坂の向こうにいた伏兵も合流し、逃げ道は完全にふさがれていた。
カオルが指名した男は、このなかではリーダー格なのだろう。男の顔を知っていても、ユゼフは名前が思い出せなかった。
バルバソフに似た外見をしている。大柄で毛深く、額に傷痕があった。しかし、野獣のような外見の割に目つきは柔和だ。穏やかな証拠に黒猫が甘えてまとわりついている。
盗賊はレーベを自分たちのほうへ連れていった。
彼はレーベのことを知っている様子だった。親しみのこもった微笑すら浮かべている。けがの手当てをしてもらったことがあるのかもしれない。
レーベが連れてこられると、ローズ城の元女兵士、キャンフィが黒猫を呼んだ。
「クロ! こっちへ来なさい!」
と同時に、呪文を唱えるレーベの声が響き渡った。
「イクリクシー!」
刹那、まばゆい光と共に凄まじい爆音が炸裂する。辺りは白煙に包まれ、何も見えなくなった。ユゼフは目を閉じた。
──レーベの奴、やりやがったな
馬が数頭、走って逃げていく。ユゼフたちが乗っていた馬と通路をふさいでいた伏兵のものだろうか。何頭かは暴れて伏兵を振り落とし、逃げ惑う何頭かは断崖から落ちた。音だけでも充分にわかる。
バースト系は回復系と同じく、かなりの上級魔法だ。威力は相当なものである。けれども、レーベの魔力では、人数差を克服できるほどのダメージを与えられないだろう。殺れてもせいぜい二、三人だ。
──勝手なこと、しやがって
ユゼフは舌打ちした。いたずらに敵を刺激してしまった。ユゼフとサチだけで済んだものを、皆が危険にさらされる。
「かかれーーーっっ!」
カオルの叫び声が聞こえる。
焦げた匂いが立ち込め、パチパチ火の爆ぜる音が鼓膜を打つ。隣にいたサチが先に前へ出た。弱いのに勇気だけは人一倍ある。ユゼフはサチを追おうと、剣の柄に手をかけた。
来る、敵が! 強い精気をまとった手練れが! ユゼフは目を開けて、相手を確認した。
煙を散らし、ユゼフに向かってきたのは、二本の剣を持ったトサカ頭……ティモールだった。




