51話 仕方ないから馬で行く
馬を操れるユゼフにとって、盗むのはたやすかった。一部の馬を騒がせればよい。激しくいななく馬たちに衛兵は気をとられる。その間に馬柵棒※を一本外しておいた。
城門まで来て、馬柵棒を外した馬房の馬を呼ぶ。指笛は短めに、門衛に感づかれない程度の音で充分だ。選んだ馬はおとなしい子?……いいや、滅茶苦茶、気の強そうな子を選んだ。黒鹿毛の暴れ馬。傷だらけの体を見て、ユゼフはピンときた。この子はおいおい、処分されるだろうと。こういう馬を乗りこなせるのはユゼフしかいない。
──おいで
厩番を振り切り、爆走する彼が門の向こうに姿を現すと、ユゼフは笑んだ。
門衛が身構えた時には地面を蹴っていた。以前だったら、考えられない跳躍も、今では平然とやってのける。ユゼフは高速で駆ける黒鹿毛の上に飛び乗った。
門衛の目には、ついさっきまで横にいた男が消えたように見えただろう。馬に乗る人間の背を見て、今頃目をこすっているかもしれない。
「このまま、まっすぐ! まっすぐだ!!」
ユゼフは叫んだ。気持ち良い潮風が頬を撫でる。潮の匂いは好きだ。できるだけ海沿いを進もうとユゼフは思った。
海沿いにまっすぐ。優しい風が吹くジギタリスの花畑を駆け抜け、まだら雲が進む紫空の下、草原を走る。竜口半島はすぐに終わってしまった。
「おまえ、速いなぁ! なんて速さだ!」
騎乗は楽しい。潮風と疾走感、広大な草原のおかげで鬱屈した気持ちは吹き飛んだ。ディアナに似た女のこと、彼女への恋心、考えてどうにかなる問題ではない。今、考えるべきは戻ってからの言い訳だ。それもあまり考えたくないので、ユゼフは馬と走ることに集中した。
──それにしても、こいつ、魔獣じゃないかってぐらい速いな? グリフォンの速度には劣るが、獅子以上に速いかもしれない。本当に馬なんだろうか
そこまで考えて、ユゼフはひらめいた。放出した魔力を馬の体に帯びさせているのだ。四肢の筋肉は増強され、精気は循環器を高速で駆け巡る。要はユゼフの力を得て、馬は走っているのであった。
──なるほど、そういうことか。
能力に救われることは数知れず。人間離れするのは嬉しくないが、内へ向かう気持ちは高揚感に食われた。疾駆は馬とユゼフの共同作業だ。ユゼフが馬に力を与え、馬はそれを脚にみなぎらせる。かつてない力に馬は歓喜し、ユゼフも高ぶった。
──二日もかからないな!
丸一日、ほとんど休まずに走らせた。クレセント城を出たのが、午前十一時頃。翌日、午後一時には柊の森へ入った。
小道の交差点で突っ立つサチとダーラの姿が見えた時、ユゼフは崩れ落ちそうになった。落馬してもおかしくないくらい脱力したのである。一晩中、寝ずに馬を走らせていた。一瞬の気のゆるみでバラバラになってしまう。ユゼフは懸命に意識を保った。
疲弊しきったユゼフを待っていたのは、悪い知らせだった。
アナンが今日中に出ていけと。
理由はカオルだ。カオルのことが耳に入ってしまった。
まず、城に出入りする食料品などを積んだ馬車をカオルは止めた。馬車に乗る調達係は暁城に長く仕えており、カオルのことを知っていたそう。長年、留守にしていた若様が突然現れたら、話ぐらい聞く。カオル曰わく、
「今、暁城にいる客人は極悪人だ。おれたちはある高貴な方の命で、彼奴等を捕らえようとしている。彼奴等が城を出るときは知らせてほしい」
この話を調達係から聞いたアナンは大激怒した。最悪なことに、グリフォンで移動するつもりだったアスターがアナンを煽った。
「貴公の甥(カオル)は主国で謀反人の家来だったうえに主君を裏切り、暗殺を請け負うまで落ちたそうだな」……とかなんとか言って。火に油を注いだあと、ユゼフがいないことに気づいた。結果、なんとか場を収めようと、間に入ったアキラは座敷に監禁され、皆は城を追い出されることになってしまった。
「唯一の救いは、アオバズクとの国境を管理するバルツァー卿に連絡してくれたことかな。バルツァー卿の鉄の城まで行けば、あとはなんとかなる。馬も用意してくれるって言ってたけど、アスターさんが断った。グリフォンがあるからいいって……ユゼフ、おまえ、グリフォンを扱えるって……」
淡々と説明するサチは静かな怒りをまとっている。ユゼフは友に能力のことを話していない。訝しむサチの視線が痛かった。
「ぐ、ぐ、ぐ、グリフォンは……な、ない」
「なんだと!?」
「え、えと……ぬ、ぬ、盗まれたんだ」
これ以上は無理。言い訳は考えていない。言い訳があったとしても、憤怒しているサチを前に言葉が出るか自信ない。
「盗まれたって誰に!?……まさか、娼婦か!? ラセルタから聞いたんだけど、おまえ、夜の町の娼館へ遊びに行ったって。本当なのか?」
ラセルタの言い訳よ……
本当のことをバラされるよりはいい。だが、もっと言いようが──
怒り狂うサチの目に軽蔑までプラスされる。サチと一緒にいたダーラは、夜の町で捜索している仲間を呼び戻しに行った。捜索の対象はユゼフとイザベラ。同じ日になぜかイザベラまで行方不明になっていた。
ひとまず城に帰り、皆が戻ってくるまでにユゼフは身支度した。
捜索組が戻ってきたのは三時間後。全員、御殿の前に集まった。
ユゼフは針のむしろ状態である。子供のころ並みにどもり、たどたどしく事情を説明する。皆の鋭い視線に刺され、顔も上げられなかった。
丸一日、捜索に費やされ、グリフォンまでなくされたとあれば当然だ。
直前まで忠兵衛たちと酒盛りし、追い出される一因を作ったアスターにも口答えできない。
「……で、酒場で出会った娼婦に媚薬だと睡眠薬を飲まされ、気づいたら魔瓶が消えていたと……」
「面目ない……」
「ふざけるんじゃないっ!! 面目ないで済むかぁーーっっ!!」
ユゼフにつかみかかろうとするアスターを、サチとダーラが押さえる。
ユゼフはラセルタと口裏を合わせることにしたのだ。ただし、夜の町にはいなかったので、ここから八百スタディオン(百六十キロ)離れた別の町へ行ったことにした。
アスターを押さえるサチには呆れと軽蔑の入り混じった目、エリザやレーベには、馬糞を見るような目を向けられる。
黙って外出して女遊び。挙げ句の果てにグリフォンの入った魔瓶を盗まれ、丸一日留守にした最低人間。彼らからしたら、下半身で行動する女と子供の敵だ。ここにイザベラがいなかったのは幸運といえよう。絶対に罵られる。
サチの話だと、アナンはイザベラの捜索には協力的だった。百人規模の捜索隊を組み、捜してくれている。ユゼフたちが去ったあとも、しばらく続けてくれるという。
イザベラは成り行き上、旅に同行していただけなので、仲間とは見なされていないのかもしれない。
約束の刻限が迫っていたため、イザベラのことは任せて出て行くことになった。
やっと、落ち着いたアスターが皆を促し、サチがテキパキと指示を出した。
「野宿するのは危険なので目的地から遠ざかるが、いったん夜の町に戻る。各自荷物をまとめて、またここに集合すること! では解散!」
──なんか、アスターさんとサチがリーダーみたいになってるな……
ユゼフはモヤッとした。致し方ないとはいえ、多少のやっかみはある。本来なら、ユゼフの依頼でこの二人も動いているのだから、でしゃばって取り仕切るのはおかしな話だ。
「ユゼフ、おまえはもっと賢いと思ってた」
去り際、サチは言った。淀みない黒い瞳は劣等感を刺激する。
「どうせ、俺は愚かだよ。サチやアスターさんみたいに機転もきかないし、皆に的確な指示を出すこともできない」
自然といじけたことをユゼフは言ってしまった。サチはユゼフの背後に回り肩を叩いた。
「あとで話そう」
アスターは激昂したあと、水でもぶっかけられたみたいにシュウゥゥゥと冷めていき、うなだれている。
「ユゼフよ、おまえに女遊びを教えたことを私は悔いている……」
十数分後、ユゼフたちは暁城をあとにした。
ユゼフは倒れそうなぐらい疲労していたが、休む間もなかった。立腹中のアナンと謁見することは叶わず、アキラとも会えずじまいだ。
馬の手配は忠兵衛がしてくれた。グリフォンを失った今、馬の足に助けられる。なにかと便宜を図ってくれる忠兵衛には感謝してもしきれない。
主君の逆鱗に触れて追い出されるにもかかわらず、城門の内側には多くの人が集まっていた。
城に仕える兵士、使用人、奉公人……アスターに憧れていた者たちがこの二週間、剣を交え、酒を酌み交わし、ますます慕うようになった。
鋭い洞察力と冷徹な頭脳を持ち、気取らず、くだけた人柄が惹きつけるのだろう。アスターを中心にユゼフたちも城の住人と親交を深めることができた。
暁城は自由奔放なカワラヒワ人と生真面目なエデン人の文化が融合している。薄暗い環境と相まって風変わりな場所だった。人々は控えめで親切、慣れると陽気で好奇心旺盛なカワラヒワ人の特性が際立ってくる。
道中、ここにいる時が一番ホッとできたかもしれない。陰気な五首城や土漠、盗賊のアジト、魔国、グリンデル……どこも、いつ足をすくわれるかわからない緊張感で満たされていた。
忠兵衛が兵士を代表して、袱紗に包んだ金をアスターに渡している。
「気持ちばかりで、たいした助けにはならないかもしれませぬが……」
「そんな……頂くわけにはいかんよ……」
「いえ、ほんの気持ちですから。お気になさらず。兵士たちの受講料とでも思ってください」
「……わかった。ありがたく頂戴しよう」
社交辞令のあと、受け取った金をアスターはダーラに持たせた。
名残惜しそうに忠兵衛が下がり、後ろで控えていた娘たちが目を潤ませ、アスターにお辞儀する。
「アスター様、私たちからはこれを……他の皆様にも……」
藍染のハンケチに絵と名前の刺繍がされている。柊の葉と実、赤い月、その周りを飛び交う二羽の愛らしいアトリ……夕闇の深い藍色を背景に柊の実と月の赤、アトリの橙色の腹が鮮やかだ。
アスターは人数分受け取り、娘たちに礼を言った。
別れを惜しんでグダグダするのは性に合わないのだろう。忠兵衛の顔を見てうなずいたあと、アスターは衛兵隊長ヨアヒム・ブリーゲルに合図しようとした。
と、その時、背後の城山を慌てて駆け下りる人が見えた。台所頭の甚左衛門だ。ゆで卵のごとくツルツルした月代に汗をかいている。
「……間に合って、よかった」
甚左衛門はサチの前までたどりつくと、月代と額の汗を拭った。目を丸くしているサチに差し出したのは二つの巾着袋だ。
「干し飯と味噌玉が入っている。旅の途中で腹の足しにしてくれ」
「あ、ありがとうございます」
戸惑ってはいても、サチは柔らかい笑みを浮かべる。
「心変わりしたら、おれの下で働くがいい。おれや忠兵衛様が、殿様を説得するから」
サチを一人前の料理人に育て上げたい、そんな熱い情熱が感じられる。
「買い被り過ぎですよ」
サチは嬉しい半面、期待に応えられない後ろめたさからか、複雑な表情で馬に乗った。
もう皆、馬に乗っていた。アスターの合図で立派な口髭の衛兵隊長、ブリーゲルが片手を上げる。
黒く頑丈な木の門が軋音と共に開かれた。
「アスター様、御一行、お帰りにございます!」
ブリーゲルが高らかに声を上げ、衛兵が一斉に敬礼する。
馬は駈け出した。門をくぐり抜け、ユゼフたちは跳ね橋を渡る。振り向くと、娘たちがあとを追いかけてくる。手に持っているのは紫陽花の花束だ。投げた花束は勢い良く宙を舞った。
白い紫陽花の花言葉は「寛容」
見ず知らずの、厄介者でしかないユゼフたちを受け入れ、もてなしてくれた城の人たちには感謝せねばなるまい。
いくつもの花束は橋の手前で落ちて、雪が降ったように白くなった。
黄金の髪をなびかせ、ダーラが飛んで来た紫陽花を一つ器用につかみ取った。まだ薔薇の月だからか、それとも日の昇らぬ土地ゆえにか、花弁が小さい。香りを吸い込み、微笑むダーラの横顔は少し成長していた。
橋の向こうで待つマリクは尻尾をひっきりなしに振っている。新しい場所へ行くのが嬉しくてたまらないのだ。冒険心に胸膨らませる犬は最後に吠えた。木の影に隠れてしまった弦月へ向かって、細く長く……
別れの挨拶は嬉しそうな犬の顔と反して物悲しく、ユゼフの憂鬱を慰めた。
マリクの声は城内に残るアキラまで届いたろうか……
※馬柵棒……馬が逃げないよう、馬房に取り付ける棒。




