2話 宦官になった従兄弟の末路
ユゼフはブルブルッと身震いした。身体だけでなく、冷気が目にもしみる。泣き黒子のあるほうの目をゴシゴシこすった。
ディアナ王女の命により、彼女の天幕を見張っている。星空は高く、まだまだ夜は明けそうもなかった。
カワウ国からモズ国へつながるこの土漠。昼間は鉄板の上の焼肉、夜は雪に埋まった冷凍肉になった気分が味わえる。どちらにせよ地獄には変わりなかった。
天幕の前で見張りをしていた兵士に代わることを伝えると、大喜びで去って行った。
鼻水を啜りつつユゼフは思う。旅に出てから連日見る夢は、いったいなんなのかと。縛られ、燃やされ、闇の底へ落ちていく。それを繰り返すだけの最悪な夢。
──それに、この不気味な空気はなんなのだ??
誰かに見られているような、いやーな感じが続いていた。邪悪な空気が悪寒を運んでくる。人あらざる者……超自然的な何かが、ジッとこちらをうかがっている。そんな気がしてならないのだ。
しかし、振り返ったところで、目に入るのは天幕の帆布だけである。
暖かな天幕ではディアナ王女と侍女のミリヤが眠っているはず。気性の荒い王女も寝顔くらいは、かわいらしいだろう。美少女たちがベッドに横たわり、穏やかな寝息を立てているさまは微笑ましい。
想像して頬が緩みそうになった時、テントの裏手からヌッと影が現れた。
ユゼフはあやうく、飛び上がってしまうところだった。ごまかすために短い襟足を触る。
影の正体はよく知っている人物だった。
──ああ……こいつは、かわいくない
少女のようにも見える黒髪おかっぱの少年はレーベ。学匠シーバートの弟子である。この子は小綺麗な見た目と裏腹に、悪魔的で意地悪を楽しむ傾向があった。そのうえ自分勝手。勝手気ままに行動し、居場所が特定できないことはよくある。さすがのシーバートも手を焼くほどだった。
ユゼフが自分の天幕を出る時、シーバートがこの悪童を探していた。最悪なことにユゼフはレーベと同じ天幕だ。
「レーベ……シーバート様が探しておられた」
「城を出て、もう二日経ちましたねぇ。城下町を出た直後に野盗に襲われるとは不運というか、なんというか……」
レーベは嘲るような笑みを浮かべる。肩に提げていたスリングから、おもむろに水筒を取り出したかと思うと、見せつけるように飲み始めた。
ゴクリ……ゴクリ……
まだ、盛り上がっていない軟骨を上下させ、大げさに嚥下音を立てる。
まったく、なにがしたいのだ??──
とは思いつつ、ユゼフにはだいたい見当がついていた。二日間飲まず食わずのユゼフに飲んでいる姿を見せつけたいのだ。ただそれだけ。
ユゼフは手持ちの水をすべてディアナ王女に差し出していた。王女は我慢を知らず、飲みたい時に飲み、食べたい時に好きなだけ食べる。
「あーー、おいしかった……あれ? なんだか物欲しそうですね? あ、もしかして、ほしい?……いやいや、これ、ぼくの物ですもん。残念ながら、あげられませーん!」
レーベはとっても楽しそうだ。毒の含んだ笑顔を見せ、水筒をしまった。
こういうのは無視に限る。ユゼフは無愛想を貫いた。だが、黙っていると、ますます調子に乗る。
「そういえば、アダム・ローズの話って聞いてます? 老人になって死んでしまったっていう……あなたからしたら他人事じゃないですよね? だって、ディアナ様ではなくてヴィナス様の侍従になっていたら……」
「まだ正式には侍従ではない」
ユゼフは遮った。
自分のことだけならともかく、亡くなったアダムまで笑い物にするのは腹が立つ。アダム・ローズというのは、ユゼフの家系図上の従兄弟だ。とは言っても、義母方なので血は繋がっていない。ユゼフと同じく私生児のアダムは、第二王女ヴィナスの侍従だった。
ユゼフたち名家の私生児は僧籍に入れられるか、宦官になるか。シンプルにこの二択しか選べない。不運な境遇が自分と重なり、ユゼフはアダムに同情していた。
幸い、ユゼフはまだ去勢されていない。今回の外遊に伴い、臣従礼と去勢を済ましてしまおうという話もでたが、時間がないため見送られたのである。まあ、刑の執行がただ延びただけの話だ。
暇なのか、からかいたいのか、レーベはなかなか去ろうとはしなかった。
「アダムは時間の壁を通り、シーバート様に文を持ってきたわけですが……さて、ここで問題! アダムはなぜ老人になったのでしょう?」
「……時間の壁を通ったからだろ?」
「ぶっぶー!! 間違いです! 正確には、体に重石をつけて時間の壁を通った、です。そのまま、渡ったら、時の粒子に運ばれて別の時間に飛ばされてしまいますからね? けれど、飛ばされないと粒子が体内に入りこんでしまいます。その結果、体内時計だけが超高速で進み、アダムは老いてしまったというわけです」
「わかってるよ、そんなことは」
子供らしい戯れは鬱陶しい。大人びた子でも、話し相手がほしいのかもしれない。庶民出身同士の気安さはユゼフにとっても、ありがたかった。不思議と、どもらない。
「しかし、時間の壁に抜けられる所なんて、本当にあるんでしょうかね? モズ出身のぼくでも、聞いたことがないですよ?」
「アダムが命がけで届けた文にそう書いてあったんだから、間違いないだろう? わざわざ、そうまでして知らせたんだから」
「まあ、ぼくも、そうであってほしいとは思いますよ? 壁が消えるのは一年後ですもん。一年もテント生活なんて、まっぴらゴメンです……あ、ごめんなさい。あなたは帰りたくないですよね? 帰ったら、去勢されちゃいますもんねー?」
油断すれば、当てこすってくる。毒吐きはレーベにとって、枕詞のようなものだ。
「うるさいな……まだ、決まってないからな? ディアナ様がお気に召されるか、わからなかったため、今回の外遊に同行することになったんだ。だから、ディアナ様がノーと言えば、宦官にはならない」
「だから、嫌われるための努力をしてるの?」
「まあ、そうだ……いっ、いや、ちがう!」
「プッ……くくく……はははは! さっきのやり取りも傑作だったし」
レーベは苦しそうに息を殺して笑った。ついさっき、ディアナを怒らせて蹴られたあげく、水をかけられた一部始終を見られていたようだ。
「くくくく……で、気に入られなかったらどうなるの?」
「ヴァルタンの姓を捨てて、実母の魚屋を手伝う」
「え、その顔で魚屋って……」
レーベは腹を抱えて笑い出した。
日焼けしていない青白い顔がそんなにおもしろいのか。ここ数年のユゼフは男らしい教育をあきらめられ、専ら屋内で過ごしている。ヴァルタン家に引き取られたのが八年前。歩き方から立ち居振舞いまで厳しく躾られ、見た目は貴族らしくなっていると自分では思っていた。
「しぃーっ! 静かに!」
また王女を起こすと厄介だ。それまで小声でやり取りしていたレーベの声が、普通の声に近くなっている。
寒いなか、こんな奴でも話し相手がいてよかったとユゼフは思った。少しは気が紛れる。
別視点もあります↓
二話シーバート視点
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