46話 未来に託された手紙
(ユゼフ)
昼間、稽古していた時、ユゼフはアキラにどうしても言い出せなかったことがある。この二週間、ずっと聞けずにいた。
まえの奥様からと渡された招待状のことだ。今日は薔薇の月 二十六日。
今夜、クレセント城で開催される仮面舞踏会にユゼフは招待されている。これが、いったいなんなのか、罠なのか、それともただの戯れなのか……八年後、ユゼフがこの城に滞在することをどうやって知り得たのか。また、舞踏会に招待したアーベントロット卿とは何者なのか。
まえの奥様、すなわちアキラとカオルの母親のことがもっと知りたかった。招待状を八年前から預かっていたという、侍女イリスと再会することは叶わず……もっと事情を聞き出したかったのだが、昨日早朝、嫁入りのため城を出たと門衛が話しているのを聞いた。
アキラに話しかけづらかったのもある。
カオルのことを気にして、アキラはユゼフたちと距離を置いている。剣の稽古には付き合ってくれるものの、会話は少なく、以前のように他愛ない話で笑わなくなった。
食事を終え、兵営の食堂を出ようとするアキラをユゼフは呼び止めた。
「聞きたいことがあるんだ……歩きながらでいい」
アキラは微かにうなずき、ユゼフたちは御殿へ向かい並んで歩き始めた。
灯籠の灯りは橙。温かくて優しい光は眠気を誘う。赤い月は沈み、今夜は月が昇らなかった。
「君の母上のことなんだけど……」
ユゼフの言葉にアキラは肩を小さく震わせた。
「じつは……」
ユゼフは招待状の話をした。このことを知っているのはラセルタだけだ。迷ったが、アスターとサチには結局相談しなかった。あの二人のことだから、正しいことを言うんだろうが、自由に決められなくなる。
セレーネ?……カオルの母親のことを、ユゼフはまるきり知らないのだ。ヴァルタン家と関わりがある人なら、ひょっとして義母の開催するお茶会に顔を出していたかもしれない。とにかく、わずかでもいいから情報がほしかった。
すべて話し終えたところで、ユゼフは足を止めた。
「どうして、八年前に君の母上が俺に招待状を手配したのか……なにか心当たりがあれば……」
「ないよ。あるわけない」
アキラは即答。それはそうだとユゼフは納得し、肩を落とした。しかし、先へ進もうとするアキラの背中が止まった。
正面の石段を上らず、踵を返す。今度は御殿の裏手へ向かって歩き始めた。御殿は小山の頂上に位置し、その周りの郭は守城のためにある。裏手には弓兵や石弾、射石砲が置かれている。それと、側面の下った所に温泉がある。ユゼフは小走りでアキラを追いかけた。
「君の母上のことが知りたい。命懸けだと母上はおっしゃっていたそうなんだ。なにか事情があることなのか……」
「聞いてもいいか?」
アキラは不意にユゼフの言葉を遮り、問いに問いで返した。
「おまえ、ディアナ王女のことをどう思ってる?」
「どうって……」
「好きなのか?」
ユゼフは恥ずかしくなって、うつむいた。なんで今、そんなことを聞くのか意味がわからない。
「ま、ま、ま、まさか……王女様だぞ? そんなこと……」
灯籠の頼りない光に照らされた地面へ向かって、ユゼフは答える。頬に痛いほどアキラの視線を感じていた。
柊の花の香りが風に乗ってここまで漂ってきた。甘過ぎてむせるような香り。それは若い娘というより、たわわに熟れすぎた婦人を思わせる。
「オレの母は悪人ではない。命懸けと言ったのなら、そうなんだろう。行ってみればいい。行けば、謎は解ける」
頬に吹き付けられた言葉は、いやにハッキリしていた。ユゼフは耳元で囁かれたのかと思ったのだ。だが、顔を上げると、アキラはもうユゼフを見てはいなかった。虚ろな目は石垣に揺れる影を追っている。
アキラの悲しげな横顔が、誰かの顔に見えて、ユゼフは言葉を失った。




