44話 え?俺のこと好きなの?(サチ視点)
ラセルタとダーラのおしゃべりを右耳で、アスターと忠兵衛の歓談を左耳で聞く。しかし、サチが気になっているのは別のことだった。
アキラを追って、食堂を出て行ったユゼフ──
──なんか、慌ててる様子だった……あいつ、また俺に隠し事してやがる
残りのエールを一気飲みして、立ち上がる。聞き出さなくては……隠し事はもうたくさんだ。
「あれ? サッちゃん、もう行くの?」
ラセルタが言った時、背後の引き戸が音を立てた。
流れ込む花の香り。爽やかで甘い香りに少しだけ肉の生臭さが混ざる。蠱惑と忌避のせめぎ合い。耽美と理性を戦わせるような──
中に入って来たのはイザベラとエリザだった。
「おや? ご婦人方、どうされました?」
忠兵衛の問いには答えず、イザベラはサチに駆け寄った。目が潤み、頬は紅潮している。
「サチ! あなた、けがは大丈夫なの!? わたし、なにも知らなくて……さっきエリザから初めて聞いて、心配で心配で……」
「大丈夫だ」
サチは素っ気なく答えた。
──いつも演技じみてて仰々しいんだよ
早くユゼフの所へ行きたいのに、邪魔が入ったのでサチは苛ついた。
「大丈夫なわけないでしょう? 剣で頭を割られたとエリザから聞いたわ……クリープの奴、許せない……」
「クリープは悪くない。刃引きした剣だし、防具も身に着けていた。もうなんともない……」
イザベラは目からこぼれ落ちそうな涙を拭った。口元を押さえる手は小刻みに震えている。まとめた髪はだらしなくほつれているし、額には汗の粒が光っている。きっと慌てて走ってきたのだろう。
ともすれば、噴出してしまう感情を懸命に抑えこんでいるようにも見て取れる。それとも恐れか。どちらにせよ演技ではない。本気でサチが死ぬのではないかと、心配しているのかもしれない。
そこで、サチは自分の横柄な態度に気づいた。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だ」
なるべく口調を和らげ、口元に笑みを浮かべる。不幸なことに、それはあまり良くない効果をもたらした。
「傷を、傷を見せてちょうだい! わたしなら医療の知識があるから、手当てが適切だったか見てあげられるわ!」
イザベラは手を伸ばしてきた。サチは椅子を引いた。
じつのところ、傷はとうに塞がっている。それはサチが人間ではないことの証明であり、ここにいる誰にも知られたくない事実だった。
「もう大丈夫だってば」
「いいえ。見せて! 消毒もしたほうがいいわ!」
イザベラはサチの頭部へ手を伸ばしてくる。いいと言っているのにしつこい。
「いいんだよ! さわんなよ!」
サチはイザベラの手を払いのけた。その態度が冷たいと、イザベラには感じられたようだった。自尊心を傷つけられたイザベラは怒り始めた。
「なによ! 心配して言ってやってるのに! 見せなさいよ!」
つかみかかろうとしてきたのでサチは避けた。様子を見ていたアスターが呆れ顔で口を挟む。
「いい年頃の娘がはしたない……嫌がってるんだから、しつこくするんじゃない」
「暁城の医者が診たので大丈夫ですよ」
忠兵衛も訝しげにイザベラを見る。
いつしか周囲の注目を集めていた。女がこの場にいるのがまず珍しいし、よく通る大声で騒いだからである。イザベラは好奇の目に晒されていた。
「もういいわ! あんたなんか……わたしがいなければ、魔国で死んでたくせに……」
とうとうイザベラの目から涙がこぼれ落ちた。背後にいたエリザが「戻ろう」と肩に手を置く。
「サッちゃん、謝ったほうがいいよ。女の子泣かせて……」
ラセルタが余計な口出しをする。
──なんで俺が……
サチはイザベラを見据えた。振り回されるのは毎度のことながら、どうにもこうにも納得できない。これに慣れる日は来るのだろうか?
魔国で生活していた時も、うっとうしいぐらいに干渉してきた。拒めば、今みたいに激昂して罵ってくる。
彼女の父親を殺してしまったことは申しわけなく思っているが、どのように接すればいいかわからなかった。
「……どうして俺に関わろうとする? 関わらないほうが、お互い平穏に過ごせるのに」
その言葉はイザベラの纏う空気を変えた。彼女は大きな衝撃を受けたあとのように口を半開きにし、サチを見つめた。
──ヤバい……言ってはいけないことを言ったか
子狐ダーラが追い討ちをかける。ダーラはラセルタの向かいに座っている。
「イザベラはサチのことが好きなんだよ」
「えっ……」
サチが驚くと、イザベラは顔を真っ赤にして目を伏せた。涙で濡れた長い睫毛が震えている。
彼女は令嬢らしく、胸元の広く開いた青いガウン※を着ていた。走ってきたせいでまとめ髪はほつれ、黒く捻れた髪がいくつか落ちている。白い胸元は淡いピンクに染まり、ひっきりなしに上下していた。
忙しいのと、女性と関わらない環境下に置かれていたため、サチは恋愛に疎かった。モテた経験もないし、妹以外の女性と話す機会もほとんどなかったのである。
──だとしたら……嬉しいかも! そういえば、ユゼフもそんなこと言ってたな……やっと俺にも春が来たか!
イザベラの不可思議な行動も説明がつく。心臓が早鐘を打ち始めた。
「そうなのか?」
サチは期待を込めて尋ねた。返答次第では受け入れてもいい。
これまでの好戦的な態度が好意から来るものだったのなら、許すこともできよう。荒々しい気性は直してほしいと思うが──そう思った。
が、イザベラの目はサチではなくて、その向こうのアスターと忠兵衛に向けられていた。
「……?」
次の瞬間、イザベラはサチをきつく睨みつけ、罵倒し始めたのである。
「まさか! そんなはずないでしょう? 私は名家の娘よ! あんたみたいなどこの馬の骨ともわからない、クソ生意気で美男子でもないちんちくりんのことなんか、好きになるわけないじゃない!」
期待を持ってしまった分、サチはダメージを受けた。
「馬鹿じゃないの? うぬぼれもいいとこ。いいこと? 女がまず見るのは家柄よ。その次が見た目、勇ましさ、教養、最後が性格。あんたは、そのどれも当てはまりませんからね」
イザベラはフンと鼻を鳴らして、あからさまに見下した態度をとった。すっかり涙は乾いている。
「弱くて役立たずのあんたがあんまり哀れで、けがを見てやろうと思っただけ。勘違いするんじゃないわよ」
サチはがっかりしたが、やっぱりという気持ちもあったので立ち直れないほどではなかった。
「そうだよな? 安心しろ。君のことは嫌いだから」
それだけ伝え、食器を片づけ、サチはユゼフを追うため食堂をあとにした。
※ガウン……女性用のドレスのこと




